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第二章 橋城(きょうじょう)での邂逅と…… 第四話 それぞれの想い

  その夜、橋城の客間を支配していたのは、重苦しい静寂だった。

  窓の外では、乳白色の霧が大河の咆哮ほうこうを吸い込み

  ねっとりと流れている。


  「明日か……」

  ショウは膝の上に置いた自分の手を見つめた。

  指先が、わずかに、だが確実に震えている。

  (……どうしてだ。今まで、気にならなかったのに……)

  この世界が現実であるという実感。自分の技術が通用しなかった時の恐怖。

  そして、あの温厚だったタケルが命を落としたという事実。

  それらが濁流となってショウの胸をかき乱す。

  彼は逃げ場のない不安を押し殺すように、力いっぱい拳を握りしめた。


  (……橋ってのは、ただの構造物じゃないんだよ。

   人が渡って、想いが積み重なって、初めて『橋』になるんだ)

 

  脳裏に、ベルモンドとは違う、もっと穏やかで透明な声が響いた。

  かつては「青臭い理想論だ」と一蹴していた言葉。


  (あちらとこちら、岸と岸、村と村、街と街、目に見えるそれらをつなぐだけじゃない。

   願い、祈り、そういった想いをつなぐことが橋の役目なんだ)


  (僕らは、ただ橋を架けるだけじゃだめなんだ。新しい橋は、生まれたその想いを、

   古い橋は、つながれてきた想いを、これからにつなげる手伝いをするんだ)


  (誰のですか?)


  ばかにしたような口調の自分の声がする


  (君にも見えるようになると思うよ……)


  声が遠のいた


  「俺にも、なれますかねぇ」

 

  独り言が、冷たい夜気に溶ける。


  「……ショウ……」

  不意に、隣にいたアララが袖を引いた。その指先は、ショウの拳よりも激しく震えていた。

  「眠れないのか?」

  「胸が、ぎゅって……痛いの。橋が苦しくて叫んでる。なのに、来るなって……。

   どっちの声も聞こえて、怖いよ」

  ショウは言葉を失った。精霊が感じる恐怖。

  それは、構造計算や図面では決して測ることのできない、魂の領域だ。

  「大丈夫だ。俺がついてる。明日も、その先もずっとだ」

  震えるアララの背をなだめるショウの指先に、自分自身の震えも少しずつ収まっていくのを感じた。


  その時、部屋の扉が遠慮がちに叩かれた。

  「若造、起きてるか」

  ベルモンドだった。彼は部屋に入ると、窓の外の霧に視線を落とし、重い息を吐いた。

  「……明日の調査だがな。あそこはただの石の塊じゃねえ。生きてる場所だ。

   ……昔は、確かにあそこにも、声があった」

  「タケルさんのこと、もっと教えてくれませんか。あんたから見た、あの人を」


  ベルモンドはしばらく黙り込み、過去の残像を追うように目を細めた。

  「……あいつはお前と一緒で、この世界の理屈が通用しない『外の人間』だった。

   知識は凄まじいが、現場の常識はからっきしでな。

   放っておけなくて、俺が叩き込んでやったのさ。石の積み方から、酒の飲み方まで……。

   手間のかかる野郎だったが、あれは――ああ、最高に楽しい時間だったよ」

  ベルモンドの口角が、わずかに上がる。

  「あいつは橋を、まるで家族のように扱ってた。

   あいつがいるだけで、橋の隠れた病気が見つかるんだ。おかげで、多くの橋が救われた」


  「そんなひとが、なんで……」

  問いかけようとした瞬間、ショウの頭の中を鋭い熱が走った。

  「――っ、ぐあ!!」

  「おい、若造!?」

  激痛と共に、記憶の断片がフラッシュバックする。

  工事現場。崩れる足場。自分を突き飛ばして笑顔で消えていく背中。

  (タケルさん、俺は……俺はあんたを!)

   必死に何かに手を伸ばそうとするが、指先は虚空を掴む。

   「思い出せそうなのに……手が、届かない……っ!」


  「無理をすんな!」

  ベルモンドがショウを抱きかかえ、無理やりベッドに寝かせた。

  「知らない世界に来て、ずっと張り詰めてたんだろう。その反動だ。

   タケルの話はまた今度にしてやる。今日はもう寝ろ。……いいな」

  有無を言わさない職人の強引さに、ショウは不満げながらも目を閉じた。


  部屋を出たベルモンドは、一人ドアの前に立ち尽くした。

  彼は誰もいない空間を仰ぎ、小さく、祈るように呟いた。

  「……タケル、ミオ。こいつを守ってやってくれ」


  ベルモンドが去り、ショウが深い眠りに落ちた後。

  アララは一人、窓辺に腰掛けて霧の流れを見つめていた。

  風もないのに、霧がふわりと揺れる。まるで誰かの指先が触れたように。

  「……だれ……?」

  霧の奥に、曖昧な影が立っている気がした。顔は見えない。でも、その気配は、ひどく懐かしい。

  「……あなた、ミ……」

  影が揺れ、霧の深淵に溶けて消える。

  「……待って。行かないで……!」

  

  アララは胸を押さえ、声にならない涙を流した。

  その声に応えるのは、遠い大河の、低い唸り声だけだった。

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