第二章 橋城(きょうじょう)での邂逅と…… 第七話 ショウとタケル
守るとは、どちらかを選ぶことじゃない。
「いいかいショウくん。橋ってのはね、単なる構造物じゃない。
……想いをつないでいるんだよ」
穏やかな、拍子抜けするほど優しい声で先輩は言った。
「またそれですか。……青臭いですよ、先輩。
僕らはエンジニアであって、詩人じゃないんですから」
俺は図面から目を離さず、わざと無愛想に返した。
「はは……そうだね。でも、いつか君にも分かる日が来るよ」
先輩は困ったように笑うだけだ。
何度目になるだろうか、このやり取り。
そのたびに、俺は自分の中にある「いらだち」を抑えきれずにいた
俺は子供の頃から、橋のことしか見えない変わり者だった
設計図の中の機能美、完璧な応力計算、無駄のないフォルム
俺の描く橋は誰よりも美しく、合理的だと自負していた
技術試験の成績は常にトップ
プライドだけは、超高層橋の主塔よりも高くそびえ立っていた
だが、俺の設計は通らない。
採用されるのはいつも、どこか甘さの残る、先輩の設計ばかりだった
『君の図面は、数字しか見ていない』
『もっと現場を、架ける人を、渡る人を考えろ』
上司たちの言葉に、俺は腐っていた
同僚とのコミュニケーションを無駄だと切り捨て、
孤立を深め、ついには設計の現場を追われそうになった
そんな俺を「自分の部下に」と拾い上げたのが、先輩だった
「君の設計がいいのはね、
君が誰よりも『橋の気持ち』を考えているからだよ」
……意味がわからなかった
皮肉か、お世辞か
最初は食ってかかった。
けれど、一緒に現場を回るうちに、俺は気づかされた
この人は、俺とは違う次元で橋を愛している
橋をただの道具ではなく、意志を持った友のように、
家族のように慈しんでいる
いつのまにか俺は、
先輩の背中を追うようになっていた
口では相変わらず「合理的じゃない」と毒づきながらも、
俺の引く線は、少しずつ先輩の温かさに似てきた
そんな時だ。あの事故が起きたのは
子どもたちを招いての現場見学
突然、安全なはずの仮設足場が、
悲鳴を上げて軋んだ
「逃げろ! ショウくん!!」
叫ぶ暇もなかった
足場が崩落し、俺と一人の子供が
宙に浮いた鉄骨に取り残された
少しでも動けば、真っ逆さまだ
俺はせめて子供だけでもと、
駆け寄ってきた先輩に放り投げようとした
だが、それよりも早く、先輩が崩れかけの足場へと飛び込んできた
「先輩、馬鹿な! 来ちゃダメだ!!」
叫んだ瞬間、俺の体は宙を舞った
先輩さんに突き飛ばされ
安全なデッキへと放り出されたのだ
子供を抱えた俺が着地したのと同時に、轟音が響いた
先輩が、足場と共に闇へ消えていった
幸い、先輩は一命を取り留めた
だが、全身ボロボロの、大怪我だった
病室で、俺は礼を言うよりも先に、怒りで涙をこぼした
「なんで……なんで自分を守らないんですか!
俺一人なら、あそこから子供を投げることだってできた!
あんた、死ぬところだったんだぞ!」
「……どちらかを選ぶ、なんて寂しいこと言わないでよ
どちらも守る……そういう選択肢が、いつだってあるはずなんだ」
先輩は、管に繋がれた姿で、以前と変わらない穏やかな笑顔を浮かべていた。
「それより、ショウくん。……君、見えたんじゃない?」
「な……何を。怪我で頭でも打ったんですか」
「わかるよ。君は僕と同じなんだから」
先輩はいたずらっ子のように笑った。
そう。あの崩落の瞬間
先輩が飛び込んできた時。
俺を支えるはずのない「何か」が、
一瞬だけ足場を押し留めるのを、俺は確かに見た
光る粒子のような、不可思議な生き物の気配を
そこからだ。先輩が、
誰にも話さなかった秘密を俺に語り始めたのは
橋精と橋獣
橋に宿る魂
この世界の橋が持つ、真の役割
かつては「青臭い」と切り捨てた言葉たちが、
今度はすんなりと俺の中に浸透していった。
俺と先輩が、ただの上司と部下ではなく、
同じ「世界」を見る同志になった瞬間だった。
退院後、先輩は新たな一歩を踏み出すことを決めた
海外の、より困難な架橋プロジェクトへの参画だ。
「ショウくん。僕は、もっと多くの橋が見たい。
世界の橋も、きっと……もっと深いところでつながっているはずなんだ」
「先輩なら、どこへだって行けますよ。僕なんかより、ずっと遠くへ」
「いや。君は僕より、もっと遠くへ行ける。……確信しているよ」
先輩は、希望に満ちた目で笑った。
「いつか、また一緒に橋を見よう。約束だ」
「ええ、先輩、いえ、タケルさん。必ず、追いつきます」
タケルさんは、大きく目を見開いたあと、
うれしそうに顔をほころばせた
「ああ、名前で呼んでくれたね。ありがとう」
伸ばしてきた、まだ、チューブのついた手を
握りしめながら、俺はこみ上げるものを押さえることが出来なかった
あの日、守られたのは命だけじゃなかった。




