第六話 失楽園
六話『失楽園』
朝。ぼさぼさの髪を梳かして、味気ない朝食を食べる。
「痛っ」
洗い物をしていると、またあかぎれができていた。我慢して洗い物を終え、爪を噛んだ。まただ、やめないと。噛み跡の残った右親指を見て考える。親指を抱え込んで握りしめた。
制服に着替える。味気ない制服、かわいくないズボン。能力を使わなければ、鏡に映るのはただの凡人だ。
いつも通りの通学カバンを背負って大通りを行く。ビルにはヒーローの広告が垂れ下がっていた。
『収束する正義のちかりゃ!!!』
……興味ないや。
今日は、ヒーローが来るとかいう噂でクラスは持ちきりだった。興味もないから輪に入れず、一人で本を読む。
「お前誰応援してんの?」
「俺はハチベイかなあ。同い年らしいぜ」
「まじかよ……いいよなあ、能力持ちって」
「お前がヒーローになっても、すぐ死んじまうだろうがw」
「まあそうか。最近、すぐヒーローが変わるしな」
男子グループに対して、女子グループもヒーローの話をしている。
「ヒーローって、ハー様も来るのかなぁ」
「生のハー様見れたら、一生の宝よね」
「「「キャーキャー」」」
面倒だなあ。うるさくて文字も入ってこない。
カチッ、カチッ。爪を噛んだ。
「なあ、セチは誰推し?」
「えっ?」
突然話を振られて驚く。特に意味もないのに、右手を机の下に隠した。
「ボ、ボクは……」
今朝目に入った広告の記事を思い出す。
「ユリシアかな……」
「あ~、確かに好きそうw」
「なんかわかるわ~、かわいいもんな」
男子たちが興味なさげに笑う。知らないくせに。ボクのことなんて、何もわかんないくせに。
**************
つまらない、いつも通りの日常。退屈な授業。無味な友達。
ボクは違う。特別なんだ。
と、昼休み、突如校内に轟音が響く。生徒たちは恐怖と歓喜が入り混じった声で叫ぶ。教室からみんなが出ていき、ボクもゆっくりとその後を行った。
卑しい視線の先には半壊した校舎と野次馬のような生徒たち。破壊の中心にはヒーローと思われる色とりどりの鎧を着た三人がいた。あれが、ヒーローか。生で見るのは初めてだ。
やがて、彼らは面した悪と戦い始める。
「あれ……」
悪側と思われる怪物たちのほうに人がいた。悪そうだとか全然そんな風には見えないけど、彼にも正義と戦う理由があるのだろうか。
「ハチベイやっちまえ!!」
「そこだ! 行けえ!」
生徒たちがヤジを飛ばす。なんだかこうして近くで見ると、正義も悪も、心なしか戦いを楽しんでいるように見える。
……いいなぁ。
校舎が壊れたため、授業は中止になり家に帰ることになった。つまらない通学路を帰った。家でベッドに寝転がりながら音楽を聴いていると、いつの間にか眠りに落ちていた。
**************
目を覚ますと、キッチンの明かりがついていた。
寝ぼけ眼でキッチンに入ると、父さん――調評院コオリが夕食を盛り付けていた。
「何、してんの」
「なんだ、起きたのか。久しぶりに時間が取れたから戻ってきたんだ。たまには息子の顔も見たくなるというものだ。」
「知るかよ。ボクは出かけるから、カギ閉めて出てってよ」
父さんは、少し悲しそうな表情をして言った。
「また、アングラか。」
「悪い?」
「いや、出かけるというのならアングラほど安全な場所もない。ただ、もう少し話がしたかっただけだ。どうだ、最近。学校は楽しいか?」
こちらをうかがうような口調に腹が立つ。あんなところ、楽しいわけないのに。
「父さんには、関係ないだろ」
言い捨てて外に飛び出す。走ると外の少し冷たい空気が肌に刺さった。
**************
アングラの公園。嫌なことがあったとき、いつもここに来てしまう。アングラの空は、星もないのにどこか優しい。町の活気を見ていると、いつの間にか気持ちが楽になった。
いつもは誰もいない公園だったが、今日は先客がいるようだった。
「あれ……」
公園のベンチでため息をついていたのは、昼に見かけた名前も知らない悪役だった。羽を休める天使のように、とげとげしいオーラのない彼は、一層普通の人間に見える。
「あの」
勇気じゃなかった。ただ、彼にも悩みがあるんだなって思っただけ。天使も怪物も、結局人なんだって思ったから、声をかけた。
「あ、ごめんなさい。ため息なんてついて」
普通の人だなあって印象。とても悪い人には見えない。
彼は顔を上げると、ボクの羽と輪っかを見て驚いた。
「それ……」
「驚いた? ボクは天使なんだ」
彼はそれを信じたのか分からないが、少し笑顔になった。
「何か悩みがあるの?」
本当は、悩んでいるのはボクのほうだったけど、そう聞いた。
「ボクが聞いてあげようか」
ボクが横に座ると、彼はぽつぽつと話し始めた。
「夢があるんだ。とても自己中心的で、わがままな夢が。」
「でも、叶えたいんだ?」
「うん。応援してくれる人もいる。でも、それでもすごく難しいと思う。」
彼が目を落とすと、彼の手からわずかに火の粉が散った。
「もっと強くならないといけないのに……」
彼は何かを悔いるように手を強く握った。
ボクはベンチから立ち上がって彼を見た。翼を大きく広げ、言う。
「ね、ボクを見て?」
「え?」
「ボクには羽が生えてるし、輪っかもついてるけど、だから天使なわけじゃない。ボクは、ボクが天使になりたいから天使なんだ。キミは、何になりたい?」
「僕は……」
「自己中心的でも、わがままでも、きっと、願わないと叶わないよ。絶対に叶えたいなら、なおさらね。」
彼は、少し覚悟を決めたような顔で、またポロポロと語りだした。
「復讐なんだ。母さんと兄さんの。僕がもっと子供だった頃、大きな戦闘があったんだ。建物もいっぱい壊れた。兄さんはその下敷きになったんだ。壊れた家はすぐに戻ったのに、兄さんは帰ってこなかった。兄さんの話を聞きに、いっぱい大人が来た。……怖かった。みんな笑ってたんだ。兄さんが死んだのに。」
彼は唇をかんで、涙をこらえながら続けた。私はそっと一歩踏み出した。
「それから何年かして、今度は母さんが死んだ。僕だけまた生き残って……。またたくさん人が来て、それからあいつが来て、僕に言ったんだ。「いい仕事だったよ」って。」
彼は歯を食いしばったけれど、涙はもうあふれていた。
「僕は、何も、何もできなかった!! 悔しくて、悔しくてしょうがなかったのに!」
彼はまた唇をかんで、涙をこらえようとした。
「だから、僕は強くならなくちゃいけないんだ。もっと強くなって――」
言葉を遮るように、ボクは彼をそっと抱き寄せた。
「泣いてから、強くなればいい。今は泣いたっていいよ、ボクが許すから。」
ボクは羽を大きく広げて、ボクたちが見えなくなるくらいに包み込んだ。いつの間にか、ボクも泣いていたから。
「だって、ボクは天使だからね。」
**************
その後は、なんとなくふわっとした気分だった。いつもとは違う人助けをした気持ち。ボクまで救われたみたいな。だからか、忘れていた。
「何……してんの?」
「何とは、掃除だ。一人暮らしの息子の部屋だ、何かと汚れるだろう。」
真面目な顔でそう言うもんだから、ボクはクスッと笑った。
「……やっとくから、休んだら? 今日は休みなんでしょ」
ゴミ袋を奪ってそう言うと、父さんは驚いたような顔をした。
すると、突然玄関から大きな物音と、聞きなれた声がした。
「おおおい、セチ坊! 今日泊めてくれ~! 保護庁追い出された~」
父さんが、玄関で伸びる万象おじさんを見て呆れる。
「弟の息子に宿を借りに来る奴があるか」
「いるだろ~ここに」
父さんはため息をついて、やれやれと首を振った。
「父さんはこの馬鹿を保護庁まで送ってくるから、セチはもう寝なさい。父さんも……そうだな。今日はもう休む。」
「うん、いってらっしゃい」
大柄なおじさんを軽々背負って、父さんは民家の屋根を飛び去って行った。
**************
「おい、コオリィ」
「なんだ兄貴」
民家の上を、夜空を背に飛びわたりながら、コオリは答えた。
「いい息子じゃねえか、俺にもくれよ~」
「……ならあんたはまず結婚してくれ」
「や~だよ。だって、森の奴らのほうが好きだし。」
「はぁ……」
コオリは空いた片手で頭を抱え、ため息をついた。
*************
結局少しだけ掃除を続けて、シャワーを浴びて、ボクは部屋に戻った。部屋の写真立てを見ると、ボクも父さんもおじさんも笑っていた。なんだか、いつもより楽しそうに見えた。
「おやすみなさい、父さん。」
ボクは電気を消して、眠りについた。




