6.男の聖女なんていない。
ドカッ…と、大きな音を鳴らしながら、男はソファへ身を投げた。
「まったく…。」
深い溜め息と共に、忌々しげにアスコットタイを崩し、胸元をくつろげる。
その粗雑な仕草にすら、どことなく色気を感じてしまう。興味の無い僕ですらそうなのだから、あれだけ騒がれるのも道理ではあるのだろう。
「男よりはマシだと思ったのだがな。
耳がおかしくなりそうだ。」
足を組んで、空を仰ぐ男は心底疲れているようには見える。とはいえ…。
(煽ってたのはお前だろう…。)
必要以上に声を上げさせていたのは、間違いなくこの男自身だ。
僕の耳はとっくに可笑しくなってるわけで。
「お前も座ったらどうだ。
存外、悪くない座り心地だ。」
髪を掻き上げながら笑いかけてくる男。それを見ていると、特に深い理由もなく、その銀髪を残らずむしってやりたくなる。
(…)
フッ…と、僕は笑みを浮かべた。
むしろ1本だけ残した姿を思い付いたから。我ながら素晴らしい"スタイリング"。
「ところで閣下、なぜ私をお呼びに?」
正直、理由に興味はない。目下の問題として、安易に座って長居したくないだけだ。
「座ったらどうだ。」
…………。
本気で耳がおかしくなったのかと思った。むしろそうであって欲しかった。
くそっ。カーネリアンめ…。面倒な男を押し付けてくれたものだ…。
頭のなかで、カーネリアンにどんな嫌がらせをしてやろうかと悩んでいると、笑い声が聞こえてくる。
見れば、男が心底愉快そうに僕を見ていた。
「太公様はかくも短気と見える。
ワガママ放題であったか、抑圧のされ過ぎか。」
面倒な人間だとわかったので、とりあえず笑っておく。否定でも肯定とでも、お前の都合のよい方に捉えれば良いということで。
…大方、幼くして太公となった第二王子に興味が湧いただけなのだろう。特に目的とかない暇潰し。
(皇族らしいな。)
特に不快感はないが、興味もない。否、失せたというのが正しい。
北の帝国の皇子には、多少は興味があった。警戒という意味でも、単純な好奇心としても。どんな人間なのか、どんな考えで、どんな皇帝となるのか。
「ご期待に添えず、不甲斐ないばかりです。」
甚だ、期待外れだ。
この男にも、それ以上に、こんなつまらない男に負ける他の皇帝候補に。
「このオレを見下ろすか。」
キン…と一瞬だけ耳鳴りのような感覚が襲った。魔法とすら見紛うような威圧感。
こんな小物からすら感じ取る、己の鋭敏さに驚いた。
それとも、小物であれど、本物でもあるのか。
(…本当に面倒だ。)
見下ろす、という言葉の意味が、物理的なの精神的なのか。どちらにせよこの男は執拗に、僕に座るよう望んで…、否、命じている。
座る方が不遜では…、と言いたい所だが、己の鋭敏さを信じ、黙って座る。
これで満足かとばかりに視線を送りながら。
「フハッ。素直な奴よな。
よいよい。許す。」
男は満足気に笑いながら、僕に異国の茶や菓子を勧める。
随分と楽しそうで何よりだが…、その言動を、我が国内の学園で、第二王子に対して行うことに、幾ばくの意味があることか…。
一つ確かなことは――
水色がかった氷のような髪。月光そのもののような銀の目。静かな睡蓮を思わせる美貌と相反する尊大な態度。
(この男は、僕にとって価値がない。)
笑みを続け、茶に口をつけた…振りをする。
「美味しいですね。」
毒の心配以前に、単純に口に入れたくないから。
こんな一杯一杯が、サーシャの味を上書きする。その事実だけが心底不快でならない。
「フッ…、フハハハハッ!
美味いか!そうかそうか、苦丁茶が美味いとはなぁ?」
男の言葉に、僕はバッと顔を上げた。この世界で聞かないはずの、聞き覚えのある茶葉に。
「んん…?知っていたか。
博識だな、好事家の太公よ。」
単純に驚いた。"苦丁茶"というのは、サーシャの世界だけのもので…、てっきりこの世界には存在しないと思っていたから…。
僕はその前提で、我が国と外交関係のない東の遠い国のものだとカーネリアンに話していたのに…。
…試してみるか。
「東の国のものでしょう。
健康に良いとか?」
ハッタリだ。僕が"苦丁茶"について知っているのは、極めて苦いという事だけ。それ以外は憶測だ。
産地も、毒性も。
けれど、サーシャがわざわざ毒を探すはずがない。そして毒でもない苦い茶が流通するのは、むしろ健康に良いから。その方が、サーシャが嫌がらせ用に望むのにも合点が行く。
産地については…、もう運でしかない。
回帰前の世界で、サーシャが「東にはどんな国があるんですか?」と聞いていた。ただそれだけ。
さて、僕の運はどれ程のものかな?
「どこかで情報が漏れたか…。
オレだけの戦果なのだがな。」
素晴らしい。僕の運はかなり良い。おかしくなった耳の対価かな?
東の国との貿易は、北の帝国ではなく、この男個人が勝ち得た関係のようだ。
東の国への航路を見つけ出しているとは…。小物の癖に人望があるらしい。
………ふむ。
「まあ良い。
オレは貴殿を買っているんだ、太公様?」
居直す男に、僕も茶を置いて向き合う。
服は乱れたままなのに、佇まい一つで気品すら感じるのは顔のお陰か、こっちが本来の姿なのか。…それとも、僕がこの男に価値を感じたからか。
「先の黒蛇病もさることながら…、貴殿が太公になってからというもの、明らかに王国の死者が減っている。
それも聖女不在の国がだ。」
聖女。祈りによって、病、呪い、はては災害まで、あらゆる災いから人々を守る存在。
先代の聖女がお還りになって以来、我が国には40年以上聖女が居ない。
これは異常だ。
「貴国の栄華は陰り知らず…。
羨ましいものだ。」
不在そのものは、長い歴史において無い訳ではない。紛れもない凶兆として。
歴史を繰り返すのであれば、大いなる災いが振りかかるはずだった。それこそ、国民の三分の一が死に絶えるような。
「まるで聖女は健在であるかのように。」
ところが、ここ5年間…、災いどころか、我が国民は増える一方。出生率はさほど変わらないものの、死者が圧倒的に少ない。
税金取り放題。有り難いものだ。
「アレクサンダー太公。
貴殿が齢10にして、太公の地位を得たのは…、聖女にも匹敵する加護を得たから…」
男はニヤリと不敵に笑った。確信めいた、弱みを見つけたかのような。
僕は敢えて、もう一度、男の勧めた茶を飲む振りをした。
動揺してると思われたかったので。
「違うか?」
全然違います。………という言葉はギリギリ飲み込み…。
「よく、お調べになったんですね?」
なんとなぁく、それっぽいことを言って、悪そうな顔をしてみる。
これは相手から情報を引き出そうとか、逆に引き出させないため…とかでなく、ちょっと恥ずかしくなっちゃったから。
僕に聖女の力なんてない。それどころか今回の話に限っては、意図すらしてなかった。僕の功績じゃない。
国民が、勝手に、覚えたのだ。
手洗い、うがいを。
「病や呪いの減少は、貴殿が頻繁に出入りしていたディア領を中心に起きている。
それも、"マイマイ"祭りなる儀式をして以来。」
あー、なるほど…。祭りを儀式的なものと思ったのか。あんなただのカタツムリ狩りを。
中途半端な情報って恐ろしいな。
「僕は立ち会っただけだよ。」
やたら大仰に言われてしまっているが…、本当に違う。
祭りで、手洗いうがいを教えたのだって、あくまで黒蛇病対策。
それがまさか、多くの病に効くなんて想像もしてなかったし…、さらにそれが王国中へ広まるなんて…、もう手に終えないレベル。
「何もせずとも…。それこそ聖女足る証左では?」
違う。
俺は聖女じゃないし、病を鎮めたのは聖女じゃない。
…強いて言うのなら、サーシャが子供たちと「あわあわ手洗い~♪」とか歌ってたせいだ。ほぼ間違いなくこっち。
「そうだとして?」
…とはいえ、また中途半端な情報を与えて、今度はサーシャを聖女と思われたら…、それこそ、たまったもんじゃない。
「いやなに、オレにも協力出来る事があるのではと思ったまでだ。
男の聖女など前代未聞であるが故な。」
コイツ、あくまで僕を聖女にしたいのか…。"裏ボス閣下"の僕を?"悪役令嬢"の僕を?
立ち上がり、見下ろしてくる男を黙って見つめる。サンドラの記憶では一度も出会わなかった、皇子様を。
「断言しよう。
オレの手を取れば、貴殿は無二の力を得る。」
男が腕を引く。強制的に立ち上がらされたせいで、ふいに当たった手が机を揺らす。カチャカチャと、2つのカップが騒ぎ出す。
男は笑みを深める。その響きさえ自分のためのシュプレヒコールと言わんばかりに。
笑えるほど的外れだ。
小物だ。話しにならない。デメリットしか浮かばない。
なのに、僕を引き寄せたすべてがあまりにも堂々としていて…、つい笑うことすら忘れてしまった。
「何より、強固な。」
笑うより、断るより、誤魔化すより、僕はただ爛々と輝く銀の目に、懐かしいさを感じていた。




