3.生きる
白亜の夢。
いい加減、目を開ける前から、それが普通の夢なのか、アレックスの居る小賢しい夢なのか解るようになった。
この夢は僕が望んでるのか、アレックスに呼ばれてるのか、その両方が必要なのかは、5年経っても解らないまま。
「…黒っ?!」
どうやら、白亜の夢と呼ぶのは止めにした方がいいらしい。
壁があるか、虚空なのか、それすら分からない空間は見渡す限り真っ暗闇。
ご丁寧に、いつもの白いテーブルすら黒に塗り潰されている。向かいに座る男の顔にはベールかモヤのようなものが漂っていて、表情はうかがえない。
心なしか、テーブルの上の紅茶まで、深い色をしている。
「お怒りのつもりかしら?」
同じく黒い椅子に着きながら、向かいの男に笑いかける。
嘲笑や、取り繕いではない。純粋におかしくて。
『あれ?
少しくらい動揺してくれても良いのに。』
モヤは曖昧に闇に溶け、ありもしない風に乗って消えていく。
その風は、いつのまにかテーブルの上にあったキャンドルに火を運んで、闇を克明にした。
「お祝いでもしてみたかったのかしら?」
小さな灯りは、サーシャとした誕生日会に良く似てる。
不合格祝いをするつもりだったらしい。
長らくこの男は、僕の受験失敗に向けた猛勉強に付き合ってくれていた。
少し意外だ。君にとってすら、特別研究生は予想外のものだったのか。
『結果はどうあれ、頑張ったのは事実だろう?』
瞬きの間に、2つのケーキが現れる。一つはホールのチェリーパイ。もう一つは苺のショートケーキ。
「いつも思うけれど…、肥えさせたいの?」
聞くまでもなく、ホールは僕が食べるのだろう。別に全部食べろという意味じゃないことは解ってるけど…。
いつこの夢に目覚めても、毎度何かしらを食べさせられている気がする。
『これしかコミュニケーション方法を知らないだけさ。』
「そう。」
随分と悲しい発言だけれど、物凄く納得してしまう。だって僕こそ、そうだから。
もっと別の方法を知っていれば、5年もの間サーシャと茶会をしたりしなかったろう。
『食べるというのは特別なことだ。』
アレックスはチェリーパイを四分の一に切り分け、その一切れを差し出してくる。
「大きすぎるわ…?」
『うん?もっと食べたいって?』
「いいえ。」
どう考えても大きすぎるチェリーパイを更に切り分けて、口へ運ぶ。
噛んで、潰して、味わって、飲み込む。
それは当たり前のことで、ここでは無意味なこと。
いくら食べても、そして食べなくとも、夢の世界で腹が膨れることはない。
これはただ、味を楽しむだけの娯楽。
『美味しい?』
解りきった問いも、さっきの演出も、アレックスにとってはすべてが模倣で、娯楽で、意味のないこと。
彼に怒りなんてものはないし、きっと心から笑ったこともない。
また一口切り分け、腰をあげる。片手で真っ黒な机に体重を預け、銀のフォークをアレックスへ向ける。
「どう?」
少し驚いたくせに、従順に口を開けたアレックスは、黙々とそしゃくして、ちょっと困ったような顔をする。
『…美味しい?』
これであってる?みたいな顔で。
座り直すついでに、アレックスのショートケーキを一口かっさらう。
甘い。甘い、けれど、それだけの味。安物のチープな砂糖菓子。
「非難されるものと思っていたわ。」
チェリーパイは一流以上の味。酸味も香りも食感も、全てが僕好みに整えられてる。
君は、もっと上手く見せられる。
『そうだろうね。』
僕はどうやら天の邪鬼だ。
アレックスに、復讐以外なんて考えるな。幸せなんて羨むな。目的を忘れるな。そんなことを言ってくれていたら、僕は、「当然だ」と君の胸ぐらを掴んでいた。
『でも君の人生だ。
案外、楽しませてもらってるよ。』
下手な笑い方をしながら、アレックスはチープな味のショートケーキを頬張る。
その不器用さも演技で、僕をどこかに誘導しようとしてるんだろう。ただ、その先が僕にはまるで見えない。
ここにあるのは、僕に笑顔を見せようとしたアレックスだけ。
「…。」
だから僕は目を閉じ、目蓋の裏でセーターを燃やす。
「…だけど貴方の体よ。」
復讐のために預かっている体。
地位も、環境も、交友も、美しい炎の魔力も、何一つとして僕のものではない。
『君を裏切った男のね。』
そう。
僕が死んだのは、殺されたのは、生き地獄を歩んだのは、例外なくアレクサンダーのせいだ。
剣が肉を裂く音を、狂喜する民衆を、目に落ちる雨を、忘れたことはない。
けれど、そこに理不尽はなければ、後悔もない。
僕は数々の悪行を為し、最後に必ず報いを受けただけ。
「安堵なさい。
幸も不幸も、憎悪の栄養になるだけよ。」
レクシーとして生きて、不幸を浴びても。
サーシャと触れて、幸福を見ても。
ただ息をして、日常を掴んだとしても。
なにもかも、そのどれも、一つだってサンドラの手に残らなかったものだ。
理由、目的、その先、未来…。違う。全部間違ってる。
サーシャを不幸にしたいんじゃない。
世界を滅ぼしたいんじゃない。
幸せを掴みたいんじゃない。
褒められたいわけでも、愛したいわけでも、まして許されたいわけでもない。
ただ、ただ、
「私は生きられないのよ。」
この手に残ったのは、復讐だけ。
サンドラは常に懸命だった。
1度だって手を抜いた人生なんてない。いつだって自分の信念の元に生きて、そして死んだ。
後悔なんてない。
誤った選択なんて一つもない。何度繰り返しても、私は断罪されるだろう。
「貴方は関係ないわ。」
貴方は私を利用した。使い捨ての駒だから、大事にして、愛させて、盲目になるよう仕向けた。
「愛していたわ。」
これだけがサンドラの人生で唯一の希望。
暗闇が私の首を絞める夜も、太陽が私を燃やす朝も、すべての声が私を呪う昼も、いつだって貴方を想うから、私は前を向いて息をした。
それだけが本当。
私が貴方を愛することに、貴方の思惑は関係ない。
貴方は私の唯一で、希望で、前提。
「だから、もう良いの。」
そのどれも、僕にはない。
僕は君を愛してないし、前提じゃないし、唯一なんかじゃない。
視界の端に映っていた漆の髪が、色を失っていき…やがて銀の髪に、短くなっていく。それにつれて少しだけ目線も上がった。
僕はサンドラだろうか。私はアレクサンダーだろうか。
「僕は生きられない。」
ただ、間違っている。
レクシーは復讐のために生まれてきたんじゃない。
そうとしか生きられないだけだ。
そうしなきゃ、生きられない。
「君は関係ないよ。」
アレクサンダーも、サンドラも、サーシャだって、僕の人生には関係ない。
どれも唯一じゃないから、どれも支柱にはなってくれない。
「その先なんて、意味がないんだよ。」
目を閉じる。
セーターはとっくに燃え尽きて、灰も残らない目蓋の裏に、慣れ親しんだ暗闇が帰ってくる。
「君だってそうだろ。」
君は側妃様に寄り添い続けていた。
メリットなんてないのに。必要もないのに。意味もないのに。
謗りを聞き、激情を受け止め、嘆きの側にいた。
君は理解していた。
離れるだけで、君は逃れられる。
それどころか、もしかしたら、その方がお互いのためだったのに。
繰り返すゲーム本編の世界で、君は側妃様を看取り続けた。
ずっと見ていた。
『…。』
ただ、そうとしか生きられなかったから。
「僕もそうだよ。」
足が動くからって、どこにでも行ける訳じゃない。
選んだからって、その道を進み続けられる訳じゃない。
やらなかったことは怠慢ではないし、やったことだって惰性じゃない。
側妃様も、君を傷つける度に泣いていた。
国王も、後悔の夜に何度も溺れた。
公爵だって、失意のなかで死んだのだろう。
他の道はあったのに、選んだのは自分なのに。
それでも、
ただ、
ただ、
ただ、
そうとしか生きられなかった。
「だから、許さない。」
僕もまたこうとしか生きられない。
ただ、それだけ。




