2.馬鹿にしないで。
「浮気しないでね?」
頭と腰をそれぞれの手で抱き止め、君の温度を探す。
「…なっ?!
しっ…、ば、する訳ないでしょう!!」
怒りつつも離れないままでいてくれるのは、やっぱり君の度を越えた優しさのせいだろうか。
「ホントに?」
「馬鹿にしないでください!」
本気で苛立ってるのが解るけど、この手は離せない。
僕の背中に二つの温みが宿る。
抱き締める僕に、君が当然のように返してくれるようになったのはいつからだろうか。
「本当?
男と話さないし、視界にも入れない?」
…ジェイドより遅かったのだけは確かだな。
「あたりま…、いやそれは無茶です!!!」
分りきってたけれど、まるで期待通りでない返答。
どうせ君は、平然と誰かに笑いかけて、話を聞いて、手を差し伸べる。
「浮気者ぉ…。」
「えぇ…。」
呆れた声を出しながら、ぽんぽんと僕の背中を叩く。
君という奴は、まるで解ってない。
「…慰めてくれる?」
少し離れ、わざと重心を落として、君を見上げるような姿勢にする。
「うっ…。」
もう恥じとかない。
君が弟とか哀れそうなものに弱いのはよく解った。君を堕とすのに必要なら、ジェイドを師と仰いだって良い。
「サーシャ…?」
甘えた声で、やたらと瞬きを繰り返す。これにどんな意味があるのかは分からないのだか、効果があるのだからそれでいい。
「……っ、もうっ、何ですかっ!
ハッキリ言ってください…!」
よく言うよ。ハッキリ言ったら、ハッキリ断るくせに。
「別にぃ?…ただ寂しいだけだよ。」
僕が何千と囁いた愛の台詞を、君は一つも覚えてない。エスコートにもスキンシップにもすっかり慣れて、その割に口付けはしっかり躱す。
「僕は君だけを見てるのに、君は別の男を見るんだろ。」
別にそんなことは思ってない。君は残酷なほど平等で、誰彼構わず優しいだけ。誰の事も、特別にしない。
「そんなこと、」
「分かってるよ。」
僕はいじけてるんだよ、サーシャ。どうせ弟扱いするのなら、もっとちゃんと宥めて、構って、慰めておくれよ。
それが僕に許された最大のラインなんだろ?
「手紙送りますよ。…毎月?」
「毎週。」
「…3週間おき」
「2週間。」
「…そんなに書くこと思い付かないですよ?」
そう言いながらも、またポンポンと僕の背を叩く。了承の意味だろう。
「僕のことを考えてるってのが重要なの。」
手紙そのものが欲しいんじゃない。
僕のことを考えて、僕を思って書いて、僕のために送られたものが欲しいだけだ。
「…そ、えっ…、……はい。」
相変わらず、よく分からない反応を返すものだ。
「……。」
理解している。このくらいが限度。
ここらで納得するべきだ。
これ以上、駄々をこねても何も引き出せないし、君を堕とすのに有効じゃない。
…だから、そろそろこの手を離して、君を帰さないと。
分かってる。
「…。」
サーシャの手が背中から離れる。無意識により強く抱き寄せた手を、意識して精一杯、緩める。
「レクシー様、お顔見せて。」
サーシャに両頬を包まれ、顔を上げさせられる。
一瞬でイヤな考えが頭をよぎって、物凄く不快な気持ちになる。
「今、他の男の話を出したら、怒るどころじゃないからね。」
また君が、同じ顔だなんて言い出すと思ったから。僕が、君の初恋とやらと同じ顔をしてるって。
「えぇ?男…?」
君は困ったような、さも心当たりがなさそうな顔をする。
次の言葉を探す前に、指の腹で頬を撫でられる。それが心地よくて、目をつむり、その感覚に浸る。
まるで逆立った心を、撫で付けられてるみたいだった。
「レクシー様って、農作業とか出来るんですか?」
「へ?」
予想外の問いに、自分でも聞いたことない声が出た。
農作業なんて…。レクシーとしての人生はもちろん、サンドラのどの人生のなかでも見たことすらない。
「駆け落ちしたら、私たち平民どころか追われる身ですよ。
事業だって、信用がないと出来ないんですからね?」
駆け落ち、と聞いてやっと理解した。ついさっき僕が、フラれた話だ。
正直、まるで深くは考えていなかったのだけど…。
「……北の帝国なら、商売が出来ると思う。
あそこは年中寒いから、僕の炎で炭を作って。」
予め廃村とか調べておけば、寝る場所には困らないはずだ。
複数目星を付けておけば、すぐ逃げられるし、炭はどこでも売れる。
「うぅん。水仕事とか大変そうですねぇ。」
そもそも水をどこで確保したら良いのか知識がない。洗濯とか、料理とか、恐ろしいほどの寒さだとは思う。
「僕がお湯にするよ。」
沸騰させたお湯を用意して、水と混ぜて使ってくれれば良い。
練習をすればきっと、お湯加減の調整も出来る。
「えぇ?一日中お家にいるつもりですか?」
「……魔石とか、何とかする。」
北の帝国は魔石の加工が有名らしいから、こっちで何度かダンジョンに潜って、魔石を調達して……、どうにか出来るはずだ。
「ふふっ…。なら安心ですね。」
けれど、少なくとも数ヵ月は用意できない。朝のうちに大量のお湯を作っておくか…。その容器はどう手に入れるんだ…?
「にんじんを買ってください。おっきな雪だるま作りたいので。」
どうあっても、不自由を強いることになる。水仕事なんて、公爵令嬢が知る必要すらないことを。
「遊んだらスープにしよう。」
「わぁ、良いですね。」
野菜を切るとき怪我をしても、主治医はいない。金があっても、すぐには来られないだろう。
「あとは羊も飼いたいです。毎年、新しいセーターを編んであげますね。」
君が僕の目元を撫でるから、僕は目をつぶる。
「うん。」
目蓋の裏で柔らかなセーターを見つめる。
王国の兵士を見掛けたら、衣服さえ捨てて逃げなければいけない。
サーシャは公爵家の一人娘だ。どれほど少なくとも5年は捜索される。
「あんまりにも寒い日は、一日中寝ちゃいましょう。
暖炉の前でちょっと怖い話をするのも楽しいかもしれません。」
「……あぁ。」
吹雪が止まず、食料が尽きたら…。薪さえ尽きて、そのうち魔力まで尽きたら、僕は君を飢えと寒さで殺すことになる。
そして僕まで死ねば、君を弔うことすら出来ない。
「お花も育てたいですね。
寒さに強い花を一緒に調べましょう。」
あまりにリスクばかりだ。その割にリターンが一つもない。
何より僕は、これを復讐と呼べない。
君は怒っているのだろう。
愛は囁く癖に、その先のことを想像すらしていないことを見透かされていた。
謝るべきだろう。誤魔化すべきだ。
安易なことを言ってしまっていたと。それでも君に好きになって欲しいのは本当だと。
君を堕としたいと。
だってそれだけだ。僕は、君に復讐をするためだけに、生まれてきたから。
その先なんて、存在しない。
「………。」
涙を流す必要なんて、一つもない。
「手紙…、送りますから。
つまらなくっても文句言わないでくださいね?」




