23.第一王子
規則正しく隊列を組む薔薇の海。
「っ…!」
それを掻き分け僕は走る。
第一王子、カーネリアン。次期王となる彼が、公爵家の一人娘に危害を加えるとは考えられない。
それなのに、どうにもざわつく心臓を説き伏せられない。
走るうち、花の種類も変わっていく。真ん丸な太陽のような八重咲きの花を乗り越え、本物の太陽が僕を見つける。
――バチンッ!!
乾いた破裂音が、花園に響いた。一切の淀みのない、鋭く、手本のような平手であった。
「……サーシャ?」
僕は走った。カーネリアンが君に甘い言葉を囁き、笑みを向け…。
君が、カーネリアンに奪われるんじゃないかと思ったから。
「えっ、レ、レクシー様…?!」
視界の先。陽光の差し込む茶会の場で、サーシャが、カーネリアンの頬を打っていた。
白い手が、振り抜いた形のまま空中に残っている。
「あっ、」
視線に気付いたサーシャが自分の手を胸に抱える。
しまった、という顔だった。 珍しく、はっきりと狼狽が浮かんでいる。
見開いた目に映った全ての情報が、理解へ昇華する。
「カーネリアン…‼」
怒鳴るような声を上げながら、僕はカーネリアンの前に立ち、サーシャを背に庇った。
「えっ?!ち、違います!
私です!私が手を上げてしまったんです!」
サーシャの言う通り、眼前の男の片頬には、赤みが宿りつつある。
「分かっている。」
思わず舌打ちが溢れた。
一刻も早く手当しなければ。殴り方もろくに知らないサーシャのことだ。手を痛めているかもしれない。
「酷いんじゃないか、アレクサンダー?
被害者は私の方なのに。」
向けられた敵意に、平気で笑みを返す。端から見ても、誰がコイツを弱者だなんて思うだろうか。
「殿下が、サーシャに手を上げ"させた"んでしょう。」
サーシャから手を上げたんじゃない。まず最初に、この男が、越えてはいけない線を越えた。状況を見れば解ることだ。
「…ふーん。」
カーネリアンから笑みが失せ、代わりに怒りを覗かせる。
明らかな敵意を向けても、どこかに居るはずのカーネリアンの護衛が手を出してこないのは、ディア公爵が城内に居る影響か、僕の護衛に気付いているからか。
「挑発のおつもりですか?
幾度か警告したはずだったけれど。」
カーネリアンが差し向ける、毒も、刺客も、政略も、すべて丁重に歓迎してきた。
君が僕の死を望むにしても、膿を排除したいとしても、どちらもどうでもいいから。
越えてはいけないラインは一つだけと、示してきたつもりだったが。
「さて?
…私は弟の婚約者を紹介すらされてないからな。」
音が沈む。視界の彩度も落ち、僕も視界が鋭利になる。
カーネリアンは、意図して僕の警告を無視した。これはつまり宣戦布告だ。僕を徹底的に排除するために、僕の味方と成り得る全てを廃するという。
「良いだろう。」
心臓がゆっくりと、なのに力強くなり、指先にまで魔力が巡る。
王位に興味はない。地位も不要だ。財も栄誉も。好きにしたら良い。
サーシャだけはいけない。
僕の復讐だけ。道の端に立つことも許さない。
それを、解って貰わなければ。
「…ア」
「レクシー様!!!」
引っ張られる腕に重心がブレ、魔力が霧散する。ハッと我に返り、サーシャに体を向ける。
「すまない…!驚かせたか?」
僕の腕を握る手が震えている。顔も少し青く、冷や汗が滲んでる。
怯えさせてしまった。行動を間違えた。サーシャの前で怒りを露にすべきではなかったのに…!
「誤解です…っ、レクシー様、私は」
呼吸が荒い。焦点もブレいている。これは魔力酔いか?
僕のせいだ。サーシャがすぐ後ろにいることを解っていながら、魔力コントロールを怠った。
「良いんだ、もう帰ろう。
ディア公爵には僕から伝える。金輪際、登城する必要はない。」
僕を掴んでいた手をそのまま握り返し、花園に背を向ける。
つい先ほど、晴れて王族以外の地位を手に入れたところだ。僕がカーネリアンを殴ったことにして、王族から除籍になれば、僕もこの城に居る必要がなくなる。
「アレクサンダー‼」
そうだ。どさくさに紛れてディア公爵に取り入れば、ジェイドよろしく公爵家に住み着けるかもしれない。全くもって悪くない。悪くない案だ。
「レクシー様!」
存外に怪力なサーシャは、なかなかの力で僕を花園に連れ戻そうとする。
それ以上の力を加えれば良いだけだが、サーシャにケガをさせるわけにはいかない。
「お義母上はどうするつもりだ!!
あっ…。…っ、アレクサンダー!」
けれども、今回はサーシャの言う通りにしてあげることも出来ない。
「すまないが、馬車のなかで聞かせてくれ。
雑音が酷い。」
きっとサーシャは、カーネリアンを庇うつもりなのだろう。話くらいはもちろん聞くけれど、ここではムリだ。
「こ、ちが、もう、あぁ…!」
まずサーシャの治療をしなければ。それからディア公爵を呼んで、問題を大きくしよう。王も、今問題は起こしたくはないはず…。
「うぁ…、も、っ…!レクシー様!」
ふと強く手を引っ張られた。倒れそうになるけど、下手に耐えてサーシャの手が悪化しても困る。
ここはサーシャの望み通り倒れて…、その後、多少無理矢理にでも隠に運ばせるか…。
「………えっ」
ふに、と柔らかな感触が頬に当たる。何が当たったのか、その正体を探す。サーシャとの顔の距離、温度、匂い、何より
「さー、しゃ…?」
顔が真っ赤に歪んでいる。わなわなと震える唇に、目は羞恥に潤む。
その目をぎゅっと閉じ、サーシャは大きく息を吸う。あ、耳まで赤い。
思わず伸ばした手を、サーシャに捕まれる。
「カーネリアン様は重度のブラコンなんです!!!!」
……………"ブラコン"。
「は…?」
不本意ではあるが、恐らく、カーネリアンと僕の思考は同じだ。"ブラコン"という言葉の意味が解らない。
思えば、回帰前の世界でもカーネリアンに対して言っていたことがあったか…?
…今、耳を触ったらさすがに怒るだろうか。
「カーネリアン様!
レクシー様は何度も命を狙われています!」
一瞬、ぐにゃりと空間が歪む。目眩かとも思ったがすぐに違うのだと解る。
「…何だと?」
今のは、カーネリアンに相伝された空間魔法だ。
「レクシー様。
これは、ただのお願いです。」
サーシャが柔らかく、でも確かに、僕の手を握る。
きっと、切望はされていない。もっとずっと軽い…。ただ、明日は晴れだったら嬉しいなという…、その程度の願いだ。
「ちゃんと話してみてくださいませんか?
私にしてくれたみたいに。」
でも君が手を握って、僕を引き留め、言葉にするほどの願いだ。
「………。」
サーシャの後ろ、金髪の少年へ視線を向ける。僕より2ヶ月だけ先に生まれただけの、10歳の子供。
察するに、僕への刺客について何も知らないのだろう。王妃様の単独か、もしくは臣下の暴走か。それならそれで、なおのこと話すことはないのだが…。
また視線をサーシャへ戻す。
目を離した隙に、赤らんだ耳はすっかり元通りになってしまっていた。
惜しいことをしたな、まったく。
「良いよ。
君が治療を受けてる間だけね。」
君の願いは、なんであろうと聞くしかない。




