2.リロード
帝国歴463年6月5日。
激しい雨と雷だけが、私の誕生日を祝福していた。プレゼントは部屋いっぱいの埃と寒さと寂しさ。
丸1日、勉強も稽古もない。だからもし晴れたら、お庭でゆっくり眠ろう。そう願っていた。
無論、そんな日は死ぬまで訪れなかった。
ベッドから起き上がり、豪華な鏡の前に立つ。
けれど、今回は違う。
赤子の名残を残すふっくらとした頬。絹のように柔らかに透き通った銀の髪。射貫くように輝く紫の瞳。
「本当に…アレクサンダーになってますわ。」
自分で出した声にすら驚く。まだ声変わり前の音は蜂蜜のように甘く、なのに伸びやかでスッと頭に入ってくる。アレックスの洗脳の秘訣の一つはこれかと理解した。
「私は…、レクシー。」
鏡越しに、自分の顔に触れる。
「ヒロインをどん底へ突き落とす、最悪の裏ボスになるの。」
自分で自分に語り掛ける。悪役令嬢のサンドラでも、蛇男のアレックスでもない。今日からは…、"レクシー"として生きるのだと。
「何故なら…、僕はレクシーだから。」
口上は必要ない。僕はその為だけに生まれたのだから。
サーシャ。君を徹底的に口説いて、愛を囁いて、愛させて、世界は僕だけだと認識させ…、
断罪する。
「シナリオ、拝借するよ。」
卒業パーティーでの断罪。本来の僕に用意されたシナリオ。
罪は作れる。噂は虚空から立つ。悪評はたちまち広がる。
君を絶望へ突き落とす。
その為に、素敵な王子さまになってみせるよ。
目覚めてすぐ、僕は王宮を抜け出した。サーシャに会うために。
ディア公爵へ前触れなき訪問を詫び、婚約者の6回目の誕生日を祝いに来たと告げる。
アレクサンドラの父ということは、僕の元父ということだ。
「………………」
返答がない。チラリと目線を向けてみる。元父はやたら呆けた顔で見下ろしているだけ…。
「…お忘れでしたか?」
心底驚いたという顔に、うっかり恨めがましいことを言ってしまった。
聞かずともわかる。サンドラとして生きていた頃、僕は一度も家族から祝われたことはないのだから。
「まさか…!
娘の誕生日を忘れる親が、どこに居ると言うのか!」
予想外の返答だった。
否。知ってはいる。両親は優しさを持つ人間だ。サーシャを通して、散々見たから。…例え、一度たりとも僕へ向けられたことはなくとも。
けれど、今はまだサーシャと接する前だ。今の元父は、本来の…、サンドラだけの…。
公爵は、失礼。と咳払いをして、僕を案内した。
「どうぞ、娘はこの頃…庭園のラベンダーを眺めております。」
当主に促され、見慣れた庭園へ送られる。
また驚いた。確かにこの時期のサンドラはラベンダーを気に入って眺めていた。
(父はアレクサンドラを見ていた…?)
いや、違う。見ていたなら。そう。知っていたのなら。
「度し難い。」
尚更、僕は貴方を恨む。
振り向いた当主を厳しく睨み付けた。握り締めた拳に爪が食い込んで痛い。だけどそんなことはどうだっていい。
ただ僕は、心底恥じていた。かつて…、こんな人から愛を望んだ己を。
「貴方に、娘と呼ぶ資格はない。
今朝、彼女が何を口にしたか…、まさか、知らぬとは言うまい…」
怒りに震える口は、酷く冷たい。こんな小さな口では、きっと僕の怒りすべては伝わらない。
誕生日の朝、アレクサンドラが口にしたのは温い水と腐りかけのパンが半分。
「昼食も、夕食も用意されることはないのでしょう…!」
水とパン。それが与えられた食事のすべて。
特別な日の食事じゃない。日々の変わらぬ食事…。だから…、せめて、両親は…、誕生日を忘れてるだけだと思えていたのに…。
「それでいて魔塔主の振る舞いだけは求める…。」
ついぞ両親への恨み言を吐けないままだった。
僕はいつでも、どんな環境でも、魔法使いの主足るため努力を続けた。独り、自分の浮いた肋を撫でながら。見返りは永遠に訪れないまま…、僕は死んだ!
「素晴らしいご両親だ…!」
声が震える。目眩がする。血が沸騰しているかのように熱い。僕の魔力が、目の前の男への殺意で集まっている。
「僕にはとても真似できそうもない!!!!」
怒鳴って、吐き捨てて、踵を返した。
「っ…」
魔力をこの身に圧し殺す。
忌々しい。ただの一発も殴れず、罵ることしか出来ないこの身が。
今の僕の魔力では…、現魔塔主を殺せるはずがない。
けれど…、まあ…、言わないより、スッキリしたかな。
復讐は必ず果たせる。だから、今は。
「ひっ…ぅっ…ぐすっ……」
庭園の、ラベンダーが植えられてる場所に、彼女はうずくまっていた。
これは僕の記憶と同じ。
誰にも祝われず、食事さえまともに取れない環境で、好んだラベンダーさえ雷雨に流されていくのが、僕は耐えがたかった。
「レディ?」
飽きるほど見た黒い髪。病人のように白く、ガリガリの体。そして僕を見上げる、ぎょっとするような…呪われた赤い瞳。
「うらぼすかっかだぁ…」
"裏ボス"という言葉に、異世界人の存在を確信する。これはサンドラじゃない。サーシャだ。
「お姫さま。どうして泣いてるんだい?」
僕は上手に笑った。柔らかな声を出して、令嬢へ手を差し出し、気遣って見せる。
脳が焼き切れそうな憎しみはおくびにも出さず。君を堕とす為に。
「ふっ…、あははっ。
ほんとうね、ほんとうにおうじさまみたいっ!」
たちまち笑い出した少女に、僕は戸惑う。
頬を赤らめるでも、涙を恥じるでもなく、少女は笑った。そこに僕や蛇のような邪気はなくて、なんなら指差して来そうな程の…爆笑。
「…」
触れた君の手は、存外暖かだった。長い間、たった一人、雨に濡れていたはずなのに。
「…風邪を引いてしまうよ。」
僕は知っている。スマホ越しに見ていた。
初めて見た君はひとしきり泣いた後、自分で立ち上がり、ラベンダーへ覆い被さる。雨から守るように。けれど雨は強くなるばかりで…、結局花弁の多くは流され、そして明日、君は一人…、熱に苛まれる。
なのに今、目の前の君はひとしきり笑って、僕へ言葉を向ける。
「すきになっちゃうの…、わかるなぁ……、」
ふっ…と目を閉じ、泥へ眠ろうとする体。咄嗟に手を伸ばして抱き止める。
額に触れると、なるほど、もう熱があった。
視線をやるまでもなく、側仕えは公爵を呼びに行ったらしい。
顔に掛かる黒い髪を退け、少し呼吸の荒い顔を見つめる。
ああ、君って
「チョロすぎないか…?」




