19.初恋
「君の…、初恋か?」
この数年…、回帰前の世界でも、君は一度も…、誰かにそんな顔を見せはしなかった…。
「へっ?、いえ、そんな、まさか!?」
僕の目の前で…、僕以外の誰かを思い浮かべた。
「………ぁ…、うぅん…、でも……、そうかも。そうですね。」
僕は知らない。君を何も知らない。君の世界を知らない。
なんという国で生まれたのか。学校には通っていたのか。本当は何歳なのか。仕事はしていたのか?家族は?同僚は?友人は?
…恋人は?
「最初で最後の人です。
私の神様みたいな人。」
サーシャに背を向け、テーブルの上で拳を握った。冷静になれと何度も唱える。
だから…。これだから嫌だったんだ。手紙なんて読みたくなかった…。
知らなければ…。知りさえしなければ…。
「妬けるな…。僕は君と結ばれるために生まれてきたのに。」
こんな気持ちにならなかったのに。
「ふふっ、ご冗談を!私の好きな食べ物すらご存知ない癖に!」
ああ…、君も、僕を何も知らないのだね。
「卵と海鮮が好きで、トマトとパプリカと…、あとカタツムリが苦手なんだろう?」
カタツムリだけは最近知ったこと。こうしてレクシーとなってから、はじめて知れたこと。
「いやそれは私の…。え、はい。そうです…。合ってます。それは"私"の好き嫌いです。
…なんで?」
「何でなんてことはないだろう。」
ローテーブルに、君の好きな茶菓子を並べる。
(あーあ。)
なんとも形容し難い感情だ。
君の初恋は、僕が生まれる前からとっくに奪われてしまっていた。
きっと、君のはじめては一つも手に入らない。
何とも、残念だ。この上なく。
「君が雨のなか泣いてた日から、毎週お茶会をしてるじゃないか。」
だけれど、今の君の瞳に、その初恋の誰かはいない。
「あ、そ、そっか…。確かに…?」
その百面相も、涙も、恨み言も、触れる温度も、すべて僕だけに与えられている。
「毎週、楽しいよ。」
僕が君のはじめてを持っていなくとも…、君が僕の唯一を持ってる。
驚きも、恨みも、絶望も、憎悪も、すべて…。君がくれたはじめて。君が唯一だ。
「それに君の作るものは何でも美味しい。」
味覚だってそうさ。生まれる前から、君に胃袋を捕まれてる。
向かいのソファーに座り、少し温くなった紅茶をすする。
ああ…、やっぱり、君の緑茶が飲みたい。
「…あの日、」
静かに、サーシャがカップを置く。
「どうしていらしたんですか?
誕生日を祝ってくれたことなんて…、1度も。」
毎年の雨の日。6月5日。君の誕生日であり、そして僕の誕生日でもある。
側妃様が嵐となる日。
「どうして、か…。」
アレックスは、私の誕生日を祝ってくれていた。でもそれは私が寄宿学校に入ってから。
ゲームと違う展開を疑問に思うのは当然だ。
カップに映る自分の顔を見つめる。いつの間にか随分と見慣れた、僕の顔。
「素敵な王子さまになってみたかったから…、かな。
君が泣いているような気がしたから。」
レクシーとして目覚めた直後…、君を堕とすため、君だけの王子になると決めた。君の涙の側にあると決めた。
君に喜びを振り撒いて、そして裏切るのだと。
微笑んだのに、サーシャはジッと僕を睨むように見てくる。
「あれ、疑ってる?」
それは心外だ。
発した言葉に、嘘は一つもない。僕はいつだって君からの問いに真摯に答えている。
「信じられなくて…。」
なおも続くサーシャからの疑いの目。
つい、笑ってしまう。
思えば、サーシャから疑われる、だなんて、僕だけの特権だと気付いたから。
そうだとも。過去の影は、今の君を殺せない。
「君は?」
今、君の目に映るのは、僕だけだ。
「え?」
「君はあの日、どうしてわざわざ雨に濡れてたの?そして泣いてた。」
僕は18年、君を見続けた。言葉を、行動を、その顛末を見届けた。
けれど君の胸中は誰も知らない。僕でさえ。
「私は…」
それを、知りたい。
今なら、それを聞けるから。
「ラベンダーをお守りしたかったんです。
でも雨は冷たくて、お腹は空いてるし、お屋敷はあんまりにも広いし、花は流れていくし…。
ずっと一人…。」
そりゃ、僕はラベンダーが好きだけれど。
「解らないな。君、ラベンダー好きだっけ?」
それは君の体の趣向であって、君のものではない。
「…はい。私は確かに…。」
君が好きなのは、チューリップとかガーベラとか、一輪の大きな花だ。というか、花事態にそこまでの関心がないだろうに。
「どうして?」
「…う、うぅん…………。」
悩んでくれ。苦しんで。考えてほしい。聞いてみたいんだ。答えは何でもいい。
それがサンドラへの同情でも、模倣でも、何となくでも…。そのすべてが欲しい。
「…あっ!」
それは僕のためだけの感情だから。
「ふふっ、かみさまが好きだからっ!」
また、君の頬が赤らんだ。
「…………神、ね。」
絶望的に見当違いな理由だった。そこにサンドラは影もなかった。
君が幸せそうな顔をしている。僕が必死に引き出そうとしてきた顔だ。それが今は、あまりにも簡単に…。思い出す…、たったそれだけで。
「この世界のこと、私はまだ知りません。
嫌なところばっかり知ってます。
きっと、どんな世界でも、生まれてしまったら…、私は嫌なところばかり見つけてしまうのでしょう。」
きっと君の世界も、完璧な楽園ではないのだろう。だってそうじゃなきゃ遊戯なんて生まれないから。
「妬み、欲深さ、理不尽や、恐れ、それに裏切り…。
数えたらキリがない。」
君は、君の世界で裏切られたのだろうか?ほんの僅かでも僕に共感した夜があった?
僕は、君の苦痛を、ちゃんと苦痛と呼べるだろうか?
「だけど、私はかみさまが好きです。」
その唯一の人と、楽園のような日々を得た君に。
「なので精一杯生きることにしました。」
そうか。そうなのだね…。
君の優しさの所以。その強さの原因。それはきっと、その人との思い出なのだろう。
「素晴らしい方なのだろうね。」
君のすべてに、その人が息づいている。
目を閉じる。堪えるように。祈るように。頭に浮かんでは消えていく考えや感情。それらすべてに一つも名前を付けず…、ただ眺める。
「あの日、レクシー様が迎えに来てくれたお陰です。」
君が僕を呼ぶ。
「…僕の?」
アレックスでも、他の攻略者でも、サンドラでもなく。
「ええ、貴方があんまりにも素敵に笑うから。
憎ったらしくて、腹が立って、絶対幸せを掴むぞーって思ったんです!」
僕が君を見ている。
「知らなかったなぁ。僕、そんなに嫌われてたのか。」
憎ったらしいと、僕に言う。万人に優しく、全てを慈しむかのような君が、僕にだけ違う顔を見せる。
「あ…、いえ、そんな…。む…、うん!そうです!
だって誕生日を祝っていただいてません!
婚約者として有り得ませんよ!」
立ち上がり、サーシャの隣へ座り直す。
君は相変わらず、どんなに近付いてもピクリとも動揺しないけれど。
「それに…、それに…………?」
でも、頬は少しは赤くなった。怒り由来だし、それもすぐに冷めてしまったけれど。
「そうだなぁ。誕生日かぁ。」
祝う習慣がなかった。贈られることが嬉しいという考えがなかった。
見慣れた黒髪を一束持ち上げ、口づけを落とす。
君が喜ぶものはなんだろう。欲しているものはいくつも思い付く。冷蔵庫とかディッシャーとか大豆とか。
でもそういう役立つものじゃなく…、君自身が嬉しいもの…。
「あの…、レクシー様ってもしかして理想の婚約者さま…?」
手から黒髪が逃げてしまう。視線で追うと、サーシャがこれでもかと目を見開き、己の髪を握りしめていた。
表情から嫌悪は感じない。怒りも。あるのは動揺だけ…。
「ふっ…、あははははっ。なんだい急に。褒めてくれるの?」
照れてる?髪に少し触れたくらいで?ウソだろ君。君の方が凄いことしてたのに。
「いやだって思い返してみると、非の打ち所がないどころか加点が多すぎる…。
ぐぬぅ…!」
ぎゅっと目を閉じ、ぷるぷると小刻みに震え出す。
えぇ?何?小鹿の物真似?何がどういう思考回路で悔しがってるんだい?
「ふふっ…。君に好いて貰えないんじゃ意味がないんだからね?」
髪を握ったままの君の手に、また口付けしてみる。
「ぐわっ…?!」
良く解らない鳴き声を上げながら、サーシャは飛び退いて、ソファーから離れてしまった。
これは、あれか、リスの物真似かなぁ?
「っ…、さすが"裏ボス"…っ!攻略ルートすら存在しない癖に人気だけはあるんだから…!」
「ははっ!さては君、本当に僕のこと嫌いだなぁ?」
敵意満載の瞳だ。睨み付け、ぷるぷる震えて…、顔がぎゅっと中央に寄って、物凄く面白い顔になっている。
ああ、今までで一番マシな顔じゃないか。
「っ…、もー!!悔しいー!!!その顔禁止だってば!!!」
「どの顔か解らないったら!」
吹き出してしまった僕に、サーシャはなおさら怒っていた。




