16.夢のあとに
白亜の夢。でも今日のテーブルはいつもより豪勢で…、たぶんテーブルそのものが大きくなっている。
でも変わらず、ここに居るのは私とアレックスだけ。
『い、いやぁ、それにしても恐れ入ったよ!
2年にも及ぶ研究と、根回しの的確さ、カタツムリ料理もまんまと流行ってるし…。』
「ぐずっ……っ…ぅ…」
その大きなテーブルには、エビアボカドサンド、グラタン、スコーン、さくらんぼのジャム、ローストチキンやコンポート、ワインまで並べられている。
『果てはマイマイ祭りなんてものまで開催するんだろう?!
カタツムリの卵の重さに応じて食料の分配なんてよく考えたものだよね!
参加者には手袋と袋を渡して、終わったら手洗いを教えるとか…。』
「ぅっ…うゎっ…ぁぁ………」
湯気に混じって、食材達から食べてくれと言わんばかりの香りが私の鼻をくすぐるけれど、あいにくこちらの鼻が詰まっていて、まるで食欲が湧かない。
『た、探知魔法で魔法使い達の訓練にもなるし!
普段はない領民との関り合いにもなる。
祭りってだけで経済は活性化するだろうし…。
い、一石なん鳥なんだろうねぇ?!』
お茶くらいなら飲めるかと手を伸ばしたのに、視界がぼやけてるせいか目測を誤って倒してしまった。
静寂。
ポタポタと紅茶がテーブルから膝にこぼれる音だけが響き…、手の甲に別の滴が落ちる。
「うわぁぁぁぁあぁぁあん!!!!嫌われたわ!!!完全にサーシャに嫌われたんだわ!!!」
『あー!もうやめてくれったら!!』
ただでさえ滲んでいた視界がさらにぼやけ、ありもしない風に乗って煙のように消え去っていく。
私が倒してしまった紅茶も、一口も手を付けられなかった私の好物達も…。
『嫌われてないってば!
あと何時間泣くつもり…?』
膝にかかった紅茶の温度だけが全身に広がっていき、一つ瞬きをすると景色は大浴場へ変わっていた。
気付けば服も柔らかな湯浴み着に変わっていたけれど、…今更そんなこと気にしないし、気にする余裕がない!
「貴方だって言ってたじゃない!
私、失敗したんだわ!やっぱり私じゃダメなんだわ!誰も私を愛さなブクブク…」
まだまだ続けようとしていたのに、頭を強めに抑えられ口が湯に沈み強制終了される。
私のすぐ後ろ、湯には入らず縁に屈んでいるアレックスの仕業だ。
『だから、からかって悪かったってば!嘘だよ!冗談!そんなわけないじゃないか!』
頭は解放され顔を上げると、ふわっとラベンダーの香りが漂ってくる。
髪を一束持ち上げられたから、たぶん髪用の香油だろう。
ついつい下がる肩に、アレックスが私を宥めようとしてるのに気付いて、更に気分が悪くなる。
「そんなわけないなんて、そんなわけないじゃない!
ジェイドよ!きっとジェイドが、ジェイド・フォン・ディアになって、一番後ろで参列してる私を笑うんだわ…!」
あまりに想像に容易い!
指輪の交換を果たしたジェイドが、参列する私をめざとく見つけ…、あのニヤリとした顔で私に勝ち誇って…!そして…、そしてサーシャの唇に…!!!
『君は馬鹿なのか!?
さては、ジェイドが君をレク兄って呼ぶようになったのにも気付いてないだろう?!』
「はっ?!それともカーネリアン?!アイツは回帰前からずっとサーシャと親しブクブク」
またしてもアレックスに頭を抑えられ、湯に沈む。
お湯と水平になった視界の先、壁があるんだかないんだか解らない白亜に、何やら有名な絵画が代わる代わる現れる。
なんだか、この世界そのものが私の機嫌を取ろうとしてるみたいで、やっぱり涙が出る。
『めんどくさいなぁ!もー!
第一王子に至ってはまだ出会ってもないじゃないか!飛躍しすぎ!!!』
そう言いながらも私の髪を梳かすアレックスの手付きはビックリするほど優しくて、尚更涙が止まらなかった。
「何よめんどくさいって!ふん!良いわよ!わ、解ってるわ!どうせ貴方も私を見捨てるんでしょ!そして私はひとりぼブクブク」
言い掛けて、今度は自分から湯に沈む。
どんな返答も聞きたくなくて、たまらなく辛くて悲しくて言葉を続けられそうになくて、何よりいつまでも喧しい自分が情けなくてしょうがなかったから。
『うるさいなー!もー!!
見捨てるつもりなら体なんて譲らないよ!!!』
ガシッと頭を両手で捕まれたかと思うと、今度は湯から引きずり出された。
今まで沈めてきたのはそっちな癖に…。
「…ぅ…ふ…ぅぅ………」
そのまま頭を指の腹でぎゅっぎゅと押される。押したところでそこには頭蓋骨しかないはずなのに、何故かとても心地好くて、それに泣き叫び疲れて、なんだか目が重くなる。
『少しは落ち着いた?』
こんなに疲れたのに、未だ涙だけは流れて、胸の奥はジュクジュクと苦しいまま。
「でも嫌われたもの…」
あの万物に優しいサーシャに正面切って嫌いと言われたのよ…。
回帰前、叱られまくってたヴェルスペードの坊っちゃんすら、あんな風には言われてなかったわ…!
『嫌われてないよ。』
「だって…、」
『だって?』
聞き返されると、具体的にどう違うのかは答えられない。
そもそもサーシャが、ゲーム内で悪役令嬢を利用した裏ボスである私を警戒するは当然だし…。思い返せば、憎かったとは言われたけど、嫌いとは言われてない…。
『ほら、嫌われてないってば。
大人しく話しておいでよ、怖がってないでさ。』
「こ、怖がってなんて…!」
バシャっと音を立てながら振り替えると、アレックスは見たことないくらい眉を下げていた。
そういえばアレックスは大きな音が苦手だったと我に返る。…正確には甲高い女の声。
きっと側妃様が癇癪を起こして、アレックスに当たってたから。
その音を、扉の前で何度も聞いた。
『僕に取り繕ったって、どっちでも良いけどさ。』
私は側妃様からのお誘いを"シカト"し続けているので、もはや手紙すら来ていない。
無視すれば良いと助言したのは、他でもないアレックス。自分の母親のことは、自分が一番よく解っていると。
『あんまり避けても、可哀相なんじゃない?』
名前は出さないけど、サーシャの事だとわかる。
黒蛇病はほとんど終息したものの、一応まだやるべき事はある…。それを口実にサーシャと3ヶ月会っておらず…、毎週送られてくる手紙すら読めていない。
――『レク兄、体調悪いの?
もし紋様が浮かんだなら隠さずに言わなきゃダメだよ!
ゆっくり休んで欲しいけど、姉さんにも返信してあげてね。』
最近はジェイドからの手紙すら、こちらを気遣うかのようなものになっていた。
「…私、あからさまだったかしら。」
『うぅん、ちょーっとね。』
私の顔に触れるアレックスの手に、涙が流れていく。でもアレックスはまるで気にする素振りもなく、そのまま目元や顎の関節辺りを揉み始める。
目を閉じて、ここ3ヶ月のことを何となく思い返す。
やることがあるのは本当だ。貿易船の確認や、農薬の効き目、患者達の経過や、それらの報告。…でも、すべて僕がやる必要はないし…、本当は週に一度の茶会くらい開ける。手紙なんて言うまでもなく返信すべきだし、当然読む時間もある。
「っ…ぅ………」
けれど読めない。恐ろしいのだ。ほんの数ミリの封筒の厚みが。あの日の事について言及されているかも…、と思うと。
本当ですよと言われても、忘れてくださいと言われても、冗談ですと言われても…、どんな言葉を想定しても…。
そのどれもが私の胸をざわつかせた。
『泣くなったら。
いくら夢でも脱水症になるって…』
それにジェイドや、公爵夫妻、領地の管轄の家臣からすら手紙や贈り物が来る…。
サンドラには、たった一つも手に入らなかったものたち。それを見るのが本当に苦しい。
…一つもは間違いだった。
「貴方って、…っ、昔からそうよね。
口調は違うけど、子供の時からずっと過剰に優しかったわ。」
その結末が裏切りだったことに変わりはないが、それでも私にとって唯一の私的な手紙も、嬉しい贈り物も、すべてアレックスから与えられていた。
『そりゃね。
君は利用価値が高かったし、今は唯一の話し相手だ。』
私は安堵する。ここで冗談でも、愛や心配だから…といった感情を理由にしないアレックスに。
「…明け透けなのね。
本心に見せ掛けるための罠?」
そして安堵したことをすぐさま恥じた。
私の最期の日になかったものは、僕の人生に必要ない。
サーシャにも、公爵夫妻にも、ジェイドや他の攻略キャラにも、持つべき感情は一つだけ。
当然、目の前の男にも。
『そうだとして、肉体のない僕は無力だよ。
お止めよ。夢の中ですら敵を探すのは。体が持たない。』
私の涙は拭わず、でも癒しだけは与える貴方。きっとそれが王宮で得た貴方の生きる術で、そうでなくては生きられなかったことを知っている。
「裏切られる方がずっと辛いもの。」
私は貴方が生きるための捨て駒にされた。
『そうなんだろうね。』
「…他人事ね。」
顔や頭を指圧し続ける手を、私は押し返した。
『解らないからね。君だってサーシャに共感は出来ないだろう?』
浴場の縁に腕を組み、耳を手の甲へ当てるように頭を乗せる。
視界の先には、白亜の壁に飾られた絵画。人々が一つの食卓を囲み、何やら言い争っている絵。
「……そうね。自分を犠牲にして人助けしようなんて思わないわ。」
絵のなかで、白髪の男が持つナイフを眺めながら、後悔というものが、一体誰の心を癒すのか考える。
『…………もう、悪夢は見たくない?』
ふいに降ってきた言葉に、私は顔を上げる。
一瞬、何の事か解らなかった。アレックスが私に質問をすること自体が少し意外で。
アレックスは、普段と変わらない顔な気がするけど…。そう私が思考を巡らせたのはほんの少しだけ。すぐさまバカらしくて笑ってしまう。
「ふっ…、何よ。第2王子様が湯浴みに入れてくれる悪夢のこと?」
人の心なんて解らない。それがこの男なら尚更。考えるだけ無駄。
そして、それはお互い様。貴方も私に共感なんて出来ない。
『……いいや。』
アレックスが少し笑ったかと思うと、それを合図にまた世界は切り替わる。
照明は絞られ夕暮れのような色に。服はそれぞれ黒のエンパイアドレスとモーニングコートに変わる。瞬きの間に座らされたのは音楽ホールの舞台上、黒い椅子の上。
『太公の演奏会に付き合わされる…、夢のことさ。』
そう、アレックスはチェロを弾きだす。
観覧席には誰もいない。照明も舞台上にだけ注がれる。
私は笑うように息を吐いて、椅子に背を預けた。
「…良い音色ね。」
悲しげで、でも伸びやかな酷く落ち着く曲。
教養はそれなりにあるはずなのに、知らない曲だった。
「雇ってあげても良いわ。一曲1万フェルでどう?」
平民の日給が100フェルだから…、毎日一曲だけでも1年と経たず生涯年収を越えるはずだ。
『一曲と来たか。"ユー・サファー"でも演奏しようかな。』
「知らないわ。弾きなさい。」
また知らない曲、と思いながら目を閉じる。目蓋の裏に射し込む照明は、なんだか暖かな気がする。
『……冗談だよ。弾きたくない。』
そう、と小さく返事をして、チェロの音色に身を委ねる。
思考が、手の感覚もおぼろ気になっていく…。
ここは夢なのに、夢でまた眠たくなるなんて、不思議な話。
『…もう一曲くらいなら、"サービス"したのに。』
揺らめく意識のなか…、ふとサーシャが無料より高いものはない、と言っていた事を思い出していた。




