水の記憶53
本当にカーグ以外の者たちには、サラシアナが見えないらしい。
特に不審がられることもなく、サラシアナはカーグの後をついでふわふわと漂っていた。
実体がないから当たり前だが身体が軽い。
足も地面からはなれていて、本当にクラゲのように空中を漂っていた。
違いは水中か空中なだけで。
ふわふわと漂うサラシアナにカーグは小さな小屋を指差した。
「あの小さな小屋にルルはひとりでいるよ」
「他の村の人たちと一緒ではないの?」
「ルルはまだ幼いから狭間の民の長がリーダーにいまは渡せないと言ったんだ」
「じゃあ、ルルはゾドに帰れるんじゃないの?」
そう口にして、サラシアナは先ほどのカーグの言葉を思い出した。
「いまは?」
「狭間の里に一度入ってしまったら、よっぽどのことがない限り、里の外にはでれないよ。ここで、このまま衰弱死するか、成長して僕らオークに引き渡されるか、最悪は狭間の海に生贄として投げ出されるか。ここにいる限り、あの子には地獄しかまっていない」
「狭間の海に生贄?」
首を傾げるサラシアナを、あきれたようカーグを見つめる。
「ほんとに何もしらないんだね?なんで『彼の地』生まれのオークの僕が説明しなくちゃいけないの?」
カーグの金色に光る瞳はまっすぐ人サラシアナをみる。
反射的にごめんなさいと言いかけて、言葉を飲み込む。
謝ったところで、誰の得にもならない。
それよりも口にするべきなのは、
「いろいろ教えてくれてありがとう、カーグ」
お礼を言うと、オークの少年は、金色の目を瞬くと照れ臭そうに笑った。
「オークの僕にお礼を言うなんて、変わってるね、王女様」
「だって、貴方は、確かにオークかもしれないけど、カーグでしょ?私はオークは怖いけど、いまもまだ、本当はカーグも怖いけど、でも、カーグが言うとおり私はこの国の王女なのに何もしらないの。だからね、教えてくれてありがとう」
サラシアナの手はまだ震えていて、カーグの人ではない暗闇に光る目に見られるだけで、正直怖い。
けれど、オークである前にカーグはカーグだと、素直なサラシアナの心が頭に訴えている。
狭間の海の民の里に響く嘆きの声は、サラシアナが守るべきシャンフィールの国民だ。
焼け焦げたゾドで赤子の飢えを癒せたように、水の子であるサラシアナにしかできないこともきっとあるはずだ。
だからこそ、ファンは本来なら足手まといでしかないサラシアナを同行させたのだから。
ーファン様。
左手の薬指にはめた黄金の輝きをもつ指輪は、こんな状態でもサラシアナを優しく守ってくれている。
この指輪をもらった時のファンの言葉が耳によみがえる。
ー必ず水の子としてのキミの力が必要になる。
銀緑光を宿す鋭いつ瞳が、射抜くに強く水の子のサラシアナを必要だと言った。
けれど、
「あのね、カーグ。私はルルだけじゃなくて、拐われたゾドの女性をみんな助けたいの」
「それは、無理だよ」
「私には無理かもしれないけど、ファン様にならできると思うの」
カーグの金色に輝く瞳を、アクアマリンの瞳がまっすぐに見つめかえす。
「私がルルや女性たちについているから、カーグはファン様に会ってほしいの。あなたは、ルルだけじゃなく、他の人たちも本当は助けたいのでしょ?」
サラシアナは先ほどのカーグの哀しげな表情を思い出していた。
人間の母に愛されて育った『彼の地』のオーク。
だからこそ、母と同じ人間の女性たちの運命に悲観していた。
サラシアナの望みとカーグの願いは同じはず。
「お願い、力をかして、カーグ。貴方にしか頼めない。ファシル・アルド・バードのファン・ファラシス陛下を探し出して、いまの状況をつたえて」
オークの少年は、サラシアナの言葉にうつむいた。
その時、また小さな小屋から幼子の力ない鳴き声が空気を震わせる。
その声に、ハッとカーグは顔をあげる。そうして、泣きそうな顔でサラシアナにきいた。
「ファシル・アルド・バードの王様ならルルたちを助けてくれる?」
先ほどまでの大人びた表情でなく、すがりつくような子供の顔。
金色の目には涙がいまにもうかびそうだ。
サラシアナはその頭を撫でられないかわりに、優しく微笑んだ。
「ファン様はルルのお兄さんに約束したわ。必ず皆んなを助けると。あのお方はファシル・アルド・バードの国王なの。約束を決して違えることはないわ」
「ーわかった。王女様が言うなら信じるよ。かわりにルルを頼むね。僕の大切な番の女の子なんだ」
寂しげにつぶやくとカーグは、サラシアナに背を向けて走り去った。




