水の記憶37
それから馬をさらに二時間走らせた少しだけ森が開けた場所でファンは馬をとめた。
近くには小川もながれ馬の飲み水も確保できる。
どうやらファンはここで野営をするつもりらしい。
馬やまだ若い騎士たちの疲労を考えると妥当だろう。
それにファンの腕にはぐったりと力なく気を失うように眠る異母妹がいる。
華奢な少女にはとても過酷な道のりだったはずだ。
途中に無残な死体に遭遇することくらい当たり前に予測できたことなのに、配慮してやれなかった。
アーゼルは苦い思いを噛みしめながら口を開く。
「休憩ですか?」
「ああ。急ぎたい気持ちはわかるが、このままでは馬がばてるし、体力が無ければオークには敵わない。わずかな時間かもしれないが身体を休めるにはいい場所だろう。それに、だいぶ無理をさせている。横になれれば少しは回復するだろう」
器用に妹を抱えたまま馬からおりると騎士の1人が地面に敷いた厚手の敷物上に少女を寝かせる。
すると寝ているはずの妹の手が伸びてファンの手を掴んだ。
「大丈夫だ、サラ。私はちゃんとキミのそばにいる。いまはゆっくり休むんだ」
ファンの言葉に安心したかのようにサラシアナの手から力が抜けた。
眠る少女の柔らかな髪をひと撫でするとファンはアーゼルとカインに視線をもどした。
「キミたちの妹君はよくやっている。先ほどビルから心話を受けた。ロレーヌ王女の力をかりて遺体は全員ゾドに運ばれたそうだ」
「この度の陛下の心遣い心より感謝します」
頭を下げるアーゼルの隣でカインもせれにならう。
さすがにあの死体を前にしては何も言えないのだろう。
「ロレーヌは遺体を目にしたのでしょうか?」
アーゼルは迷いながらもファンに問う。
サラシアナはもちろん、いくら魔術師や薬師として場数を踏んでいても妹たちは王女だ。
騎士の自分たちとは違いあんな無残な遺体に慣れてはいない。
「ああ、そのあたりは大丈夫だ。ビルは私よりずっと配慮ができる。…すまなかった」
「えっ?」
「こうなることくらい予想できた。私は女性への配慮が足りないといつもビルをはじめ、臣下や母上にも言われていた。サラシアナ王女を巻き込んで申し訳なく思っている。だがー」
「謝らないでくれ、陛下。あなたがひどいなら私はもっとサラシアナに酷い兄だった」
「カイン?」
アーゼルの隣でカインが膝を折る。
「いままでの態度を謝罪させて下さい陛下」
突然の謝罪にアーゼルは唖然として弟をみつめる。
アーゼルにとって異母弟になる彼は、身分のそう高くない母のもとに生まれたこともあり幼少期より騎士団に憧れ、学問よりも武門に力をいれて育った。
もともと騎士団長を祖父にもち同じ騎士を志すものとしてアーゼルなりにこの弟を可愛がってはいたものの、脳筋すぎて、水の子のサラシアナを神聖化しすぎることが心配だった。
アイオンをはじめ正妃ロレッタのおかげで兄弟仲はとてもよいと思う。
カインにも王位を狙う野心はないのはわかっていたが、身分の低い母ゆえなのかサラシアナを水の子としてしかみてない国民と同じだったといまでは理解できる。
そこに兄妹の情は一切なくあるのは憧憬だけだったはずだ。
それがどうしていきなり・・・。
「アクア様の聖域でサラが泣いた時、先ほど私にサラが怯えた時、なによりも遺体を目にしたサラシアナを前にあなたは王としてすべきことを優先した。泣いてるサラを前にして、他国である貴方の方がずっと我々よりも先をみて動いている。…私にはとてもできない」
カインは悔し気に唇をかみしめた。
祖国を守るために王族として何なのか。
水の子よりも国民を優先するものだと説いた義母。
それでも納得いかず、ただ苛ついていた自分が恥ずかしくなるほどに、ファンは迷いなく他国のことなのに、その国の王子である自分やアーゼルよりもまっすぐに力強く導いていく。
残酷な現実に目を背けてもいいと異母妹に言いながらも、決して王族の責任から逃げることは許さない。
これが若くして王位を継いだ者との差なのだろう。
それに・・・。
(サラを追い込んでいたのは私のようなものたちだ)
ファンの腕の中で水の子なんかなりたくなかったと慟哭した妹。
一体、自分は何を見てきたのだろう。
水の子としてそれでいいなんて、どうしてそういえたのだろう。
きちんと目をそらさずにみていれば、サラシアナはただの人間の少女でしかない。
ちょっと銀の髪とアクアマリンの瞳というこの国では珍しい外見をしているだけで、その風貌もアクアフィールではなく、正妃と国王両方の容貌をきちんと受けついでいる。
本当に、一体自分は何をみて誰を恋焦がれていたのだろう。
ふとみれば、アーゼルもアイオンも、自分とは違う眼差しで妹を見ていた。
憐れむように、気遣って。
身分の低い母を持ったからと言って彼らがカインを蔑んだことなど一度もないのに、勝手に卑屈になってみえなくなってしまった。
色々なことが。
「・・・謝罪する必要はないと思うが。まあ、気づいたのならそれでいい。王族は国を守るために存在する。守るべき国民がいてこその王だ。当然、サラにもその責務はある」
だがもうサラシアナは大丈夫だろうと穏やかにファンは続けた。
その眼差しに愛おしむ様な熱に、カインは頷く。
「いつかきっとあなたよりもサラに安心してもらえるような兄になりたいと思います」
守っても振り払われパニックになられるうちは無理なのだろうけれど。
「この討伐が終われば私は国に戻るからな。ヒズはまたこちらに来るだろうが、そうそう会えないだろう」
無意識なのだろう。
優しく銀の髪をすく金色の太陽のような王の緑光の瞳にまぎれもなく熱がある。
アーゼルが問う。
「・・・サラは我が国の宝です。相手が貴方でも父は容赦ないと思いますが」
「掻っ攫うさ。私はファシル・アルド・バードの王だからな。ようやく見つけたんだ。あきらめるつもりはない。-まあ、でもサラシアナの意志なしに強引なことはしないと誓う」
「いまでも十分に強引だと思いますけどね」
アーゼルは肩をすぼめた。
そして真顔になる。
「狭間の海にわざわざサラシアナを同行したのは口説くためではないですよね?」
「さすがにそんなことはしない」
ファンは苦笑する。
「狭間の海の民もアクア様を崇拝している。水の子のサラを同行した方が色々と都合がいいんだ。私はあまりいい印象をもたれていないからな」
スムーズな取引のためにサラシアナの存在がいる。
狭間の海の民はシャンフィールの国民ではあるが独自の統治をしている。
アーゼルたち王族が同席しただけでは交渉の場に立てない可能性もある。
「さあ、我々も少し休もう。夜明け前にはたどり着きたい」
ファンの言葉に二人の王子は頷て仮眠をとることにした。




