水の記憶32
アクアフィールの聖域である湖はやはり雪に閉ざされ、サラシアナ以外の人間の吐く息はいつも白い。
休憩をとファンはいうけれど、こんなにも肌寒くて休まるだところではない。
「ああ、そうだな。ふつうは寒いな。悪いが彼らを温めてやってくれ。サラの大切な兄上と騎士たちだ」
ファンの言葉とともにアーゼルたちを取り囲む空気が一気に温かいものに変化する。
精霊たちの加護だとアーゼルにもわかった。
「ありがとうございます。陛下」
「いや。サラの大切な兄上方だしこの国の王族だ。当然の事だろう。それに私たちは同年代だ。呼び名もファンで構わない」
鋭い瞳を柔らかく細めファンはアーゼルに言う。
しかし、同じ年とは言え一国を治めるファンといまだ国王の庇護下で国政にに参加しているアーゼルとはまるで立場が違うと言う。
ためらうアーゼルの横で頷いた馬鹿(弟)がいた。
「ではそうさせてらうぞ。ファン」
「待て、カイン。お前は国王よりもと年下だ」
さすがに不敬すぎると青ざめたアーゼルを手で制しファンはなんでもないことのように許した。
「ああ、かまわないアーゼルもファンと呼んでくれ。そうしてもらった方が都合がいいしな」
「都合?」
ききかえしたカインに今度はにやりと人の悪い笑みを口元に浮かべると少し離れた位置で聖域の清廉な空気につつまれ、ついでに集まってきた動物たちに周りを囲間まれて休んでいた少女に声をかける。
「サラ!」
小さいながらもよく響くその声に少女が顔をあげる。
囲んでいた動物たちが道をあけて視界を開けてくれた。
手招きしている自分に首を傾げつつ小走りでやってくる姿がかわいらしい。
もっともなにもないまっ平らな場所でも転びかけるのも愛嬌のなせるわざか、
「-あっ」
「おっと」
とっさに手をだしたカインやアーゼルよりも数段早く大きなてが少女の腕を支え抱きしめるようにして支えた。
「…どうやったら何もないところで転べるんだ」
心底あきれた声に耳まで少女は赤くなる。
「まあ、運動ができそうにはみえないな」
「失礼です、ファラシス様」
腕をといてやると下からアクアマリンの瞳が半泣きで抗議していた。
(これが無意識なのだからとんでもないな。さすがアクアフィールの寵愛をうける王女というところか)
口元に手をやりながらもじっとファンの鋭い眼差しで見つめられ、ますますサラシアナは顔が熱を待つのを感じた。
(少し慣れなれしくしすぎちゃったかな。でも・・・やっぱり、ひどい。ひどいけど・・支えてくれたお礼をまだ言っていない)
そのことに今度は紅い顔が青にかわるのをみて、ファンが吹き出した。
「赤になったり青になったり忙しいな君は」
どうしたと穏やかに問われ今度は顔に熱をもつ。
自分でもどうしたらいいのかわからないからとりあえず思ったことを口にした。
「助けていただいてありがとうございます」
「ああ、転びそうになったな。どこか痛めたりしなくてよかった」
ぽんっと大きな手が柔らかなサラシアナの銀の髪にふれるのでサラシアナはますます頬が上気した。
「まあ、ここはシャンフィール殿の聖域だからキミを傷つけるものなどいないからな。いや、キミにケガをされると私はあの方に一生恨まれるな」
挨拶をする前に嫌われるのは避けたい。
苦笑するファンをみあげサラシアナは首を傾げた。
「アクア様とご面識が?」
「これでも一応、古き光の国の王族だからな。各国の守護神とは一通り面識はある。そのうちキミをつれてまわらないとな」
「私をですか?」
「ファシル・アルド・バードの王族が結婚したら、その伴侶ともども各国を回ってその国の守護神に挨拶しないといけないんだ。なあに、気にすることはない。シリウスに乗ればすぐにまわれる。外交を兼ねているが新婚旅行と思えばいい」
まあ、サラ連れとなると魔女(お邪魔虫)も同伴になりそうだなあ。
それは嫌だなぁ。
などとひとしきり呟くとまあ、それは追々でいいかとサラシアナを見た。
「まあ、それはあとあとこの討伐が終わってからだな。いま、アーゼルたちちも話をしたのだがこの討伐中は、私はファシル・アルド・バードの国王としてではなく、ただの旅人して行動を共にしていることになる。なにしろいまの私には近衛騎士のビルもいなければ、ヒズもシリウスもいない。アーゼル王子の配下だ」
(それはちょっと無理があるのでは)
アーゼルが苦い顔になる。
そもそも第一王子のアイオンならともかく自分やカインの配下になんて恐れ多い。
「というわけで、私の事はファンとんでほしい」
「ファン・ファラシス様?」
コテンと首を傾げるサラシアナにファンは笑う。
「違う。ファンだ、サラ」
「ファン?」
「そうだ。私もサラと呼ぶだろう。それと同じだ」
(嫌、違うだろ)
アーゼル以下、その様子を固唾を飲んで見守っていた騎士たち内心突っ込んだが、純粋培養の彼らの王女は何故かあっさり納得したようだ。
「わかりました、ファン様」
とはいえ様付けではあるのだが。
「じゃあ、私の事はカインと呼んでくれ」
すかさずカインがサラシアナに近寄り言うとサラは細い肩をビクリと震わせファンの背に隠れた。
(あっ、やっちゃった)
まずいと咄嗟に思ったもののやはり異母兄であっても男性は、特に騎士になると大柄なのでなおさらら苦手で、近づかれると恐怖心が出てしまう。
たまに式典などでロレーヌやアイリスと一緒にいることが多い長兄のアイオンは物腰が柔らかいのでまだマシなのだけれど、アーゼルやとくにカインなどは騎士団とあってそれなりに体躯もいい。
それにカインの視線は熱をおびているようでなんだかいつも怖い。
王族で集まるときもできるだけこの異母兄とは距離を置いていたのだ。
「アーゼル王子、帰国の兄弟は兄姉にかかわらす゛名前予備するのか?」
「いえ、第一王女と第二王女は双子ですので彼女たちは、お互いに名前でよびあってますが私がアイオン兄上を敬称なしによぶことはありえません」
「だ、そうだ。サラ」
怯える肩を安心させるように抱いてファンはサラシアナを自分の背後から隣へと導く。
「私たちのことは今迄通り兄上でいいよ、サラシアナ」
アーゼルの言葉にそっと目をあげてサラシアナはこくんと頷く。
そう、もともとサラシアナはこういう王女だった。
人前が苦手で、特に男を怖がって、兄弟であっても視線すらあわなくて…。
それも仕方ない。
それでもいいいと遠目に守られてきた水の子の妹。
「サラ、ひとと話すときはちゃんと顔を上げて相手をみないとダメだ。確かに王女であるから視線を上げてはならない時もあるが、いまは違う。ちゃんと顔をあげて話をしてくれるアーゼル王子を見なさい」
だが、いま妹の隣にいる人物はそれを良しとはしなかった。
「いや、ファン国王。妹は極度の男性恐怖症で、水の子だし・・・」
「キミたちのその考えは頂けないなアーゼル王子。水の子は王族の務めをなさな言い訳にはならない」
「どうしてだ。いいだろう、水の子なんだサラシアナは。特別なんだ、すべてが」
アーゼルに続いてカインが口をひらく。
また、サラシアナが自分の背後に行こうとするのをファンは抱いた手に力をこめて制すると驚いて自分を見上げるサラシアナを見つめた。
よほど怖いのか、目には涙がたまっている。顔色も少し悪い。
確かにこんな様子を見せられたら、かばいたくもなるのだろう。
けれどー。
「今のままじゃダメなのはキミが一番よくわかっているだろう?サラ」
鋭い瞳が、それでも優しく少女に注がれた。




