シオン皇子
煌国の龍王族が住まう華宮は、なだらかな山の山頂を切り開いた高地に
そびえたつ。その宮殿は訪問者を圧倒させるような荘厳さや煌びやかさとは
縁遠い外観である。
樹木と季節の花々にあふれた平原を思わせる広大な庭園内にそれぞれの宮が
隠れる様にひっそりと点在しており、ここを訪れた者は自然のなかに誘われ
穏やかな心持になる。
その宮殿の構造が示すものは、建国以来、龍王が布いてきた全てのものとの
共存の理念の現れであった。
しかしこの華宮の片隅に位置する北の宮だけは、共存という言葉とは一線を
画し見る人を感嘆させ狼狽させるのが目的で建てられた宮があった。
その宮の華麗な佇まい、内装の意匠、家具、調度品に至るまで全てがこの国
一番の星人の手により作られている。それらは計算された隙のない芸術品の
集合体であり、北の宮にすまう持ち主そのままの離宮である。
離宮の主人はシオン皇子の母であるイツキ姫。新龍王の即位後に北堂という
地位をさずけられ周囲のものは北堂様とお呼びしている。
「なんというか、どこもかしこも匠の怨念と執念が聞こえてくるようです。」
周囲に誰もいないためソハヤは大きくため息をつく。
幼い頃からイツキ姫、もとい北堂様の遠縁としてシオン皇子の教師となり通い
慣れた宮である。けれど毎回この宮に入ると居心地悪さを感じる。
ソハヤは宮中の人々に、その儚げな美貌、存在、能力全てにおいて俗悪さや
世俗とは一線を画し果てはソハヤが霞を食べて生きていると信じる者もいるが、
本人は周囲の理想を裏切り、山中で何日野宿で暮らそうとも、数日着の身着の
ままで放浪しようとも全く気にせず自由を謳歌する豪胆さを持っている。
故にこのように造りこまれた模造の美に囲まれると、なんだか高価な檻に入れ
られたような窮屈な気分になるのだ。勿論神秘的な神官を演じているソハヤの
本音を知るものはここには誰一人居ない。
”さてそろそろですか。多分どこかで待ち伏せしているのでしょう”
ソハヤがしずしずと磨き抜かれた大理石の廊下を目的の部屋に向かっていると
現龍王の第一皇子シオンが声をかけてきた。
「ソハヤ先生」
ソハヤは声のする方に顔をむけ静かに微笑む。
「シオン様、お久しぶりでございます。」
「先生、母上に呼ばれていらしたのですか?」
ソハヤは是とも否ともいわず、答えを問いで返した。
「共にお母上のところへ参られますか?」
シオン皇子は一呼吸おいてから、切り出した。
「先生、母上の所にいらっしゃる前に少しお話できませんか?」
ソハヤが頷けばそのままシオン皇子の客間に通された。
既に人払いされた部屋に二人きりであるにも関わらず、シオン皇子は誰にも
話を聞かれたくないのだろう、ソハヤにずいっと近寄ってくる気配がした。
「ソハヤ様は次の番いの占の件ご存知ですよね?」
”やはりこれを聞きたくて私を待ち伏せしていましたか”
予想通りのシオンの行動に、ソハヤはどう答えようかと思案する。
「ええ、先日神官長様が卜占で示された内容でございましょう?」
「本来なら母上に神官長の卜占の結果は知らされてはならないものです。
それがなぜ母の耳に入ったかは想像に難くありませんが、・・・・」
シオン皇子はどこまでお母上の裏の顔をご存じなのか?
案外抜け目のない皇子にお育ちか?まあ私がお教えしていた頃からご聡明で
はいらっしゃったが・・・。
「シオン様は私に何をお聞きになりたいのでしょう」
「ソハヤ先生、父上・・今代龍王が即位されてまだ18年足らずです。こんなに
早く次の番いが顕れると卜占で示されることは、あるのでしょうか?」
「シオン様、私たち星人族はこの煌国の今までの龍王陛下やその番いの方について
知らされていないことが多うございます。」
シオン皇子はソハヤが質問に答えない様子に業を煮やしたのか、早口で問いかける
「ソハヤ先生は今の王妃様の出現を予知し、母上が華宮から出られることも言いあて
られたと伺いました。此度の新たな番いについて、そのように口を噤んでいらっしゃ
るのも何か理由がおありなのでしょう。けれど私の危惧は、父上の御代になにか危機
が訪れているゆえ今新たな番いの卜占がなされたのではないかということです。」
「シオン様、私の予知は何かの答えを求めても視えるものではございません。天から許
された部分を切り取って視せられているという方が正しい。では何故、天は私に全て
を見せて下さらないのでしょう?」
シオン皇子は目の前のソハヤから己で考えよと師として諭されていることを知る。
「卜占も予知も未来の全てを語っていないということでしょうか?」
ソハヤの表情は生徒を導く硬く厳しいものから一転、柔和な表情へと変わりシオンの答え
に満足したことを表した。
「シオン様、私たち神官がこの世の全てを導くことが出来るのなら、龍王族の方々は何もせず
さぞや安穏と暮らせることでございましょう。けれどこの煌国は神官が先を読み、龍王様が
是否を判断し正しく政をされていく。そうやってこの繁栄が築かれてきたの
です。いち神官の私ごときが皇子であるあなたにお教えする事はもう何もございません。
何物にも惑わされず歩まれませ。」
”シオン皇子あなたにはこれから大事な役目があるのですから。”
そうとはシオンに言えないソハヤは皇子の客間を退出し、本来自分を呼び出した北堂の待つ
部屋へ向かっていると甘い香りをまき散らす女官が近づいてきた。
「ソハヤ様こちらでございましたか。北堂さまがお越しにならないソハヤ様をご心配なさっ
ておられます。さあどうぞわたくしめのお手をお取りくださいませ。お足下が危のうござ
いますゆえ。」
女官は話しながらも手を差し伸べるふりをして、ソハヤに胸のふくらみが当たるよう体を
摺り寄せ近づいたきた。すると先ほどの甘い香りの中に媚薬香が微かにただようのに気付
いた。
”やれやれ北堂様はまた飽きもせず。何人寄越しても結果は同じだと学習して下さればよい
のですが・・”
ソハヤは媚態をさらす女官をすげなく置きざりにしたまま目的の部屋へと歩きだした。
「女官殿はお優しいのですね。けれどご心配にはおよびませぬ。眼を閉じていても別段不便は
ございません。先読みの者は人と触れ合うことを禁じられておりますゆえ、どうかご容赦ね
がいます。」
ソハヤの相手を凍えさせるような声音が廊下に響いた。
「さ・・・左様でございますか。知らぬこととはいえ、出過ぎた真似をいたしました。」
女官の顔はきっと恥辱でゆがめられている事であろう。
男を落す手練手管に長けていると北堂に見込まれて、私のところに使わされたのだろう。
ソハヤは飽いたように小さな溜息を洩らした。
”北堂様は気づくまい。私の心すべてを捧げるのはただ一人だけなのだと。”




