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第二十二話:愛という名の狂気

※本話には、子どもに関わる辛い展開が含まれます。苦手な方はご注意ください。

地下深くに設けられた観察室は、常に薄暗い光に満ちていた。

壁一面に走る魔導管が淡く脈動し、その内部を巡る液体が、かすかな音を立てて循環している。


その奥、厚い強化ガラスの向こうに広がる空間――そこが、異形たちの収容区画だった。


ファビアン・クロムウェル。水色の髪に金の瞳を持つ、美しい青年。

繊細な外見とは裏腹に、彼はその才を狂気の実験へと惜しみなく注ぎ込む研究者である。


彼は今日も、無言のままその光景を見下ろしていた。

白衣の袖がわずかに揺れるだけで、視線はぴたりと定まったまま動かない。


(今日も……反応は鈍いか)


視線の先では、数体の異形が壁際に身を寄せ合い、外界を拒むように縮こまっている。

呼びかけに応じることもなく、餌にすら手をつけない個体も多い。


「……不完全だな」


それは感情を伴わない、ただの確認に近い呟きだった。


彼にとって彼らは“作品”であり、同時に“子ども”でもある。

だが、そのどちらの意味においても――まだ完成には程遠い。


そのとき、不意にガラスの向こうで動きが生まれた。


ファビアンの視線が、わずかに動く。


――エレナがいた。


拘束こそされていないものの、逃げ場のないその空間で、少女は異形たちの中心に静かに座り込んでいた。

普通であれば、恐怖に駆られ距離を取るはずの存在に囲まれているにもかかわらず――その表情に怯えはない。


むしろ、柔らかく微笑んでいた。


「……大丈夫よ」


小さな声が、ガラス越しにもかすかに届く。


一体の小さな異形が、彼女の裾を掴んでいた。

歪んだ腕、浮き出た鱗、焦点の定まらない異なる色の瞳。


――典型的な“不安定個体”。


本来であれば、最も人を拒み、攻撃性を見せるはずの存在。


それでも、その異形は震えながら、エレナのそばを離れようとしない。


「怖かったのね……でも、もう大丈夫」


エレナは、ためらいもなくその頭に手を置いた。


鱗のざらつき、均一でない体温、脈打つ異質な気配。

どれもが“人ではない”と訴えているのに――その手は、少しも引かない。


包み込むように、優しく撫でる。


その仕草に――


異形が、ぴくりと反応した。


逃げるでも、噛みつくでもなく。

ただ、縋るように身を寄せる。


「……そう、いい子ね」


エレナはそのまま、静かに身体を寄せ、抱きしめた。


その瞬間だった。


周囲の異形たちが、一斉に動く。


ざわり、と空気が揺れる。


それは警戒でも威嚇でもない。


――引き寄せられるように。


一体、また一体と、エレナのもとへと集まっていく。


あり得ない光景だった。


どれほど調整を重ねても得られなかった安定。

どれほど薬剤を投与しても見られなかった依存。


それが――


ただ一人の存在によって、自然に引き出されている。


「……歌、知ってる?」


エレナが静かに問いかける。


返事はない。だが、異形たちは確かに彼女を見ている。


「少しだけ、聞いてくれるかな」


やがて、小さな歌が流れ始めた。


穏やかで、どこか懐かしい旋律。

揺らぐような声が、静かに空間を満たしていく。


それに合わせるように、異形たちの呼吸がゆっくりと整っていく。

震えは収まり、身体を預けるように寄り添っていく。


まるで――母に抱かれる子どものように。


「……っ」


ファビアンの指先が、わずかに震えた。


視線を逸らすことができない。


(……なんだ、これは)


理解できない。

いや――理解してはいけないものを見てしまったような感覚。


彼はずっと探していた。

完成形を。理想の生命を。完全なる存在を。


だが、目の前にあるのは――


彼の“創造物”ではない。


彼が介在せずとも成立してしまう関係。

彼の手を経ずに完成してしまった“何か”。


「……違う」


否定が、無意識に漏れる。


偶然だ。再現性などない。

ただの情緒的な反応に過ぎない――そう切り捨てるはずだった。


だが。


再び、ガラスの向こうを見る。


エレナは、異形たちに囲まれながら、静かに微笑んでいる。

その中心に、あまりにも自然に在る。


――まるで最初から、そこにいるべき存在であったかのように。


「……ああ」


理解してしまった。


してしまったがゆえに、もう引き返せない。


「あれが……足りなかったのか」


ぽつりと零れる言葉。


生命でも、構造でも、魔力でもない。


“受け入れるもの”。

“満たすもの”。


そして――


「……女神だ」


それは、疑いのない確信だった。


ファビアンの口元が、ゆっくりと歪む。


「なるほど……そういうことか」


思考が、一気に繋がる。


異形たちは彼の“子ども”。

ならば、それを受け入れ、満たす存在は何か。


答えは、すでに目の前にある。


「僕の、妻だ」


静かに、しかし断定する。


その瞬間、彼の中で全てが決定した。


――共に在るべき存在。


彼女は、彼の隣に立つべきだ。


それが当然であり、必然であり、運命なのだと。


「待っていてくれ」


誰にともなく、呟く。


その声に、もはや迷いはない。


「すぐに、貴方を迎えに行く」


静かに芽生えたそれは、もはや引き返せない。


狂気は、形を得て――


“愛”という名を与えられた。


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