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第十六話:静かなる浸食

カミラは、王宮に滞在していたわずかな期間のあいだに――“呪いの種”を残していった。


それは、目に見えるような大仰なものではない。


あまりにも小さく、あまりにも微細で、意識の網から容易にすり抜けてしまうほどの種だった。


王国随一の魔道士であろうとも、意識して探らぬ限り気付くことはないだろう。

いや、仮に探ったとしても、それを“異常”と見抜けるかは怪しい。


それほどまでに、その種は巧妙に、静かに、そこにあった。


やがてそれは、ゆっくりと芽吹く。


音もなく、形も持たぬまま。


目には映らぬ微かなもやとなって、王宮の空気に溶け込み、そして――人に絡みつく。


まるで、知らぬ間に足元へと伸びる蔦のように。


気付いたときには、すでに逃れられない位置まで侵食している。


それは、王族であっても例外ではなかった。


騎士団長執務室へと向かう廊下。


磨き上げられた石床の上を、規則正しい足音が響く。


ジャックとレオンハルト。


並び立つ二人の足元を、淡い靄がふわりと掠めた。


それはほんの一瞬、彼らの足首へと絡みつき――


何事もなかったかのように、すっと霧散する。


だが。


二人が、それに気付くことはなかった。



執務室の扉が閉まる。


外界から切り離された静寂の中、レオンハルトは無言のまま数枚の書類を差し出した。


「……こちらが、報告書になります」


その声音には、普段の余裕はなかった。


わずかに硬質な響きが混じっている。


ジャックは無言でそれを受け取り、視線を落とす。


紙をめくる音だけが、部屋に響いた。


読み進めるにつれ、その眉間に深い皺が刻まれていく。


やがて。


「……おぞましいな」


低く吐き捨てるように呟いた。


そこに記されているのは、研究施設で行われていた実験の記録。


人体と魔物の融合。

延命を名目とした改造。

呪いの実験。

そして、失敗作の処分。


どれもが、倫理という言葉を嘲笑うかのような内容だった。


レオンハルトは静かに頷く。


「倫理観が希薄な国であるとは聞いておりましたが……ここまでとは思いませんでした」


その言葉には、抑えきれない嫌悪が滲んでいた。


ジャックは書類から視線を上げる。


「軍事的な目的も、少なからずありそうだな……」


冷静に分析する。


「城下の噂も、完全には消えてはいない」


苛立ちを押し殺した声音。


「未だ、水面下で動いている連中がいるということだ」


王宮の外だけではない。


内部にも、既に“侵食”は及んでいる。


レオンハルトは一度目を伏せ、息を吐いた。


「グラティオラ公国へ資金を流している貴族たちからの謁見も増えております」


机の上に置かれた別の書類へと視線を落とす。


「彼らは、僕の婚約者選定の見直しと――王族における側室制度の再検討を求めています」


その内容に、わずかに眉をひそめた。


「父上が対応に追われている状況です」


静かに言いながらも、その内側には明確な苛立ちがある。


「……煩わしいこと、この上ありません」


ぽつりと零された本音。


それを聞いたジャックは、鼻で笑った。


「好きに言わせておけ」


低く、冷ややかな声。


「これ以上、公国の好きにさせるつもりはない」


その瞳には、明確な敵意が宿っている。


「まずは、裏で繋がっている貴族どもを炙り出す」


ゆっくりと、言葉を区切る。


「叩けば、いくらでも埃が出る連中だ。従わせるなり、潰すなり――好きに料理してやる」


口元が、わずかに歪んだ。


それは、戦いを前にした捕食者の笑みだった。


「叔父上……」


レオンハルトが、小さく肩を竦める。


「随分と、悪い顔をなさっていますよ」


だが、その声音には咎める響きはない。


むしろ、どこか楽しげですらあった。


「お前もだろう」


ジャックが短く返す。


レオンハルトは、くすりと笑った。


その表情は穏やかでありながら、同時に冷たい。


証拠は揃いつつある。


点と点は、すでに線となり始めていた。


この、くだらない茶番も――


そう遠くないうちに終わる。


(……待っていろ)


ふと、ジャックの思考に浮かぶのは、ただ一人。


(エレナ)


静かに、その名を胸の内で呼んだ。


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