第九話:守る者と
十話が短めなので一緒に更新します。
ジャック様の低い号令が訓練場に響いた瞬間、騎士たちはまるで示し合わせていたかのように一斉に動き出した。
前列は即座に防御陣形を形成し、後列は見学者たちを庇うように展開する。
その動きには一切の無駄がなく、広大な訓練場全体が、まるで一つの巨大な生き物となって機能しているように見えた。
「っ……速い……!」
思わず息を呑む。
驚く間もなく、私はレオンハルト殿下の腕に引き寄せられていた。
視界の端では、紫色の光が蛇のように地面を這いながら一直線に迫ってくる。
その異様な軌跡に、背筋が冷たくなった。
「伏せろ!」
鋭い声が響いた次の瞬間、目の前が大きな影に覆われる。
ガンッ!!
耳をつんざくような金属音が響き渡り、衝撃波が空気を震わせた。
思わず目を閉じかけたが、かろうじて視線を上げる。
そこには、私たちの前へ割って入るように立つジャック様の姿があった。
手にした双剣が銀色の軌跡を描き、飛来した破片を次々と叩き落としている。
(え……いつの間に……?)
本当に一瞬だった。
先ほどまで演武のために中央にいたはずなのに、気づけば私たちの前に立っている。
「医療班、前へ!」
「負傷者を優先しろ!」
次々と飛ぶ指示は、驚くほど的確だった。
騎士たちは誰一人として取り乱すことなく動き、それぞれが自分の役割を理解したまま配置につく。
混乱の只中にありながら、この場だけは秩序が保たれていた。
(……訓練じゃない)
胸の奥で何かがひやりと冷える。
(本物の事件だ……)
恐怖は確かにあった。
けれどそれ以上に、私は圧倒されていた。
この混乱した状況を、完全に掌握している人物がいる。
(騎士団長――ジャック様……)
私はレオンハルト殿下の腕に守られながら、その背中を見つめていた。
その時だった。
甲高い悲鳴が訓練場を切り裂く。
「きゃああっ!」
反射的に視線を向ける。
先ほどまで模範戦を行っていた若い騎士が、額から血を流しながら地面へ崩れ落ちていた。
紫の閃光の余波を受けたのだろう、鮮やかな赤が石畳を濡らしていく。
「負傷者だ!」
「医療班、急げ!」
周囲が騒然となる。
しかしジャック様は一瞬だけその様子を確認しただけで、すぐに全体へ意識を戻した。
「後方を固めろ。見学者を完全に隔離しろ」
低く響く声が空気を震わせる。
「犯人を逃がすな。包囲だ」
有無を言わせぬ命令だった。
それは権力ではなく、積み重ねてきた実績と信頼によって生まれた絶対的な統率力だった。
(……空気が変わった)
先ほどまでの公開訓練の和やかな雰囲気は、もうどこにも残っていない。
今この場所は、紛れもなく実戦の現場だった。
騎士たちが令嬢たちの集団へ雪崩れ込む。
「動くな!」
「その場に座れ!」
怒号が飛び交い、令嬢たちは顔を青ざめさせながら次々と腰を落とした。
そんな中、私は一つの違和感に気づいた。
(……あ)
一人だけ、人の流れに逆らうように後ずさっている少女がいた。
手には細かな装飾が施された杖が握られている。
「待ちなさい!」
気づいた騎士が追おうとする。
少女はびくりと肩を震わせ、逃げ出そうと踵を返した。
その瞬間だった。
「止まれ」
ジャック様の声が響く。
決して大声ではなかった。
それなのに、場の空気そのものを支配するような重みがあった。
追おうとしていた騎士の足がぴたりと止まる。
「俺が行く」
双剣を携えたまま、ジャック様がゆっくりと歩き出した。
たったそれだけのことなのに、周囲の空気が張り詰める。
一歩、また一歩と近づくたびに、圧倒的な威圧感が場を支配していった。
(……怖い)
思わずそう感じる。
けれど、不思議と目を逸らすことはできなかった。
犯人と思しき少女もまた完全に硬直している。
逃げ道がないことを悟ったのだろう。
ジャック様は静かに足を止めた。
「杖を捨てろ」
背筋が凍るほど冷たい声だった。
少女の手が震え、杖が地面へ転がり落ちた。
乾いた音が響く。
「よろしい」
ジャック様は一歩だけ間合いを詰めた。
「拘束する」
騎士たちが一斉に動き、少女を完全に包囲する。
もはや逃げ場はない。
私は知らず息を止めていた。
(この人は、戦場に立つ人なんだ……)
胸の奥で何かが静かに形を変えていく。
婚約者として見せる優しい顔とも違う。
訓練場で騎士たちを率いていた団長の顔とも違う。
そこにいたのは、人々の命と秩序を守るために剣を振るう者の姿だった。
レオンハルト殿下が、私を守る腕にわずかに力を込める。
「……大丈夫です。もう終わります」
彼がそう囁いたのを裏付けるように、ジャック様が冷ややかに命じた。
「身柄を確保しろ。王室警備隊へ引き渡す」
「はっ!」
騎士たちが一斉に応じる。
少女は抵抗することなく拘束され、そのまま連行されていった。
ようやく訓練場にざわめきが戻り始める。
張り詰めていた空気が少しずつ緩み、人々も安堵の息を漏らし始めていた。
けれど私はまだ、胸の奥に残る震えを押さえながら、一人の背中を見つめ続けていた。
双剣を携えたまま立つ、その大きな背中を。
(……この人に、私たちは守られているんだ)
その事実が、遅れて胸の奥へと染み込んでくる。
恐ろしいほど強くて、少し怖いほど頼もしい人。
だからこそ――不思議な安心感があった。
初めて知るその感覚を抱えながら、私は静かにジャック様の背中を見つめ続けていた。




