第十話:エレナの噂と護衛侍女エリカ
王都は、今やエレナたちの噂でもちきりだった。
しかも奇妙なことに、その多くは――好意的なものばかりである。
(……おかしいな)
エレナは小さく首を傾げた。
グラティオラ公国が動けば、もっと露骨な中傷や、不穏な噂が流れると踏んでいた。多少の非難は覚悟していたし、むしろその方が自然ですらある。だが現実は、どこか方向の違う熱を帯びていた。
考え込むように視線を落とすエレナへ、不思議そうな声がかかる。
「難しいお顔をされてますね。どうされました、エレナ様」
新たに護衛侍女となったエリカだった。
まだ年若いが、芯の通ったまなざしをしている。柔らかな声音とは裏腹に、その立ち姿には隙がない。
「うーん……王都の噂が、思っていたのと違っていて」
言葉を選びながら答えるエレナに、エリカはぱっと表情を明るくした。
「ああ、あの “エグい純愛”のことですね!」
「うっ……」
あまりにも率直な言い方に、エレナは言葉を詰まらせる。
そう――王都に流れているのは、なぜかそんな類の話ばかりだった。
曰く、ジャックがエレナの靴に跪き、永遠の忠誠を誓った。
曰く、彼女を侮辱した貴族が、ひとり静かに姿を消した。
どれもこれも、物騒で、しかし妙に“それらしく”脚色された噂ばかりである。
くすり、と楽しげな笑いが背後から落ちた。
「私はこれが好きですね」
侍女のマリアが、どこか楽しむように口を挟む。
「エレナ様の髪を一房、指に絡ませて――『お前を手離すくらいなら、この国ごと焼き尽くす』と囁いた、というものです」
「……それは、ありえそうね……」
完全に否定しきれない現実に、エレナは遠い目をした。
そんな主の様子など気にも留めず、エリカはさらに話を続ける。
「一方で、公女様のほうは……王弟陛下に手酷く振られたあまり、虚言を口にするようになった、という話が広まっていますね」
どこか楽しげですらある口調だった。
「怪しげな儀式まで行って、恋を叶えようとしているとか……」
「もう、何が何だか分からない……」
思わず本音がこぼれる。
噂というものは、ここまで好き勝手に膨らむものなのかと、改めて思い知らされる。
「ですが、なかには悪意ある噂もございます。どうかお気をつけ下さい、お嬢様」
マリアが心配そうに声を落とす。
「……そうね。噂を鵜呑みにする方もいるものね。気を付けるわ」
頷いたエレナを見て、エリカがそっと口を開いた。
「ご安心ください。エレナ様のお部屋は、“魔道皇帝”直々の結界で守られています。敵意のある者は、まず中へは入れません」
一度、言葉を区切る。
「それに……今回の件は、影や闇ギルドも総動員で動いています。ですから、過度にご心配なさらなくても大丈夫です」
その声には、揺るぎのない決意が宿っていた。
「もちろん――私も、この身に代えてもお守りいたします」
真っ直ぐな瞳だった。
けれどエレナは、少し困ったように笑う。
「そんなこと、言わないで。無理はしないでほしいかな。でも……よろしくね」
やわらかく、しかし確かに届く言葉だった。
その一言に、エリカは小さく息を呑む。
(……やっぱり、この方は)
胸の奥に、静かな熱が灯る。
必ず守る――そう、改めて誓った。
ふと、エレナが思い出したように口を開く。
「そういえば……エリカの前に護衛してくれていた方、マックスっていうのね。先日ジャック様から教えていただいたの」
「困ったときに何度も助けていただいて……本当にお優しくて、良い方よね。今度お会いしたら、お礼を伝えたくて」
嬉しそうに微笑むエレナ。
だが、その言葉に――
「優しい……?良い方……?」
エリカの思考が、ぴたりと止まった。
(それは……私の知っている、あの方のことだろうか)
冷酷無比。情け容赦なし。
部下から“悪魔”と恐れられる、あの上司の顔が脳裏に浮かぶ。
しばし、沈黙。
「……?」
不思議そうに見つめてくるエレナに、エリカは我に返る。
――とりあえず、頷いておこう。
「ええ……そうですね」
無難な返事をしたのだった。




