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第九話:物語を紡ぐ者たち

公国の動きは、早かった。


あまりに露骨なほどに。


ヴァルデンライヒ側が予測していた通り、グラティオラ公国は潤沢な資金を惜しみなく投じ、人を雇い、街のあちこちで“物語”が語られ始めていた。


公女がいかに純粋であるか。


どれほど一途に王弟を慕っているか。


そして――エレナを害する意思など一切ない、心優しき少女であることを。


事実と感情を巧みに織り交ぜたそれは、単なる噂話ではない。


意図を持って編まれた、“物語”だった。


その波は、静かに、しかし確実に市井へと広がりつつある。



夜。


王都の一角にある酒場は、いつも通りの喧騒に満ちていた。


酒の匂いと、人々のざわめき。


雑多な笑い声の中に、ひときわ熱を帯びた声が混ざっていた。


「公女様はな……幼い頃は苦労されていたんだ」


語っているのは、どこにでもいそうな一人の男。


だが、その語り口は妙に芝居がかっていて、聞く者の感情に訴えかけるように練り込まれている。


離れた席で杯を傾けながら、その様子を観察している二人の男がいた。


リヒトとマックス。


互いに視線を交わすことなく、しかし同時に気づく。


(……サクラだな)


「このヴァルデンライヒで、身分を隠して暮らしていたそうだ。今の王妃様と共に、な」


男は続ける。


まるで見てきたかのように、感情を込めて語る。


「やっと平穏を手に入れたと思った矢先に、誘拐だ。どれほど怖い思いをされたか……想像もつかない」


周囲の客たちが、次第に話へと引き込まれていく。


酒の席にありがちな与太話とは違う。


妙に“出来すぎている”のだ。


「そんな中で命を救ってくれた騎士様だぞ?そりゃあ、感謝以上の気持ちを抱いても不思議じゃないだろう」


熱を帯びた語り。


まるで一編の英雄譚のように仕立てられたそれに、何人かが頷く。


だが、別の男が眉をひそめて口を挟んだ。


「だがよ、王弟殿下には婚約者がいるって話じゃないか。しかも、かなり入れ込んでるって」


当然の疑問だった。


場の空気が、わずかに揺れる。


すると語り手の男は、ほんの一瞬だけ視線を落とし――


悲しげに笑った。


「……ああ、もちろんだ」


静かに、しみじみと。


「公女様は、お二人の仲を裂こうなどとは、これっぽっちも考えておられない」


声が、わずかに震える。


「ただ……お傍にいられるだけでいいと。そう、涙ながらに仰っていたと聞く」


その言葉に、場の空気が一気に沈む。


同情と、やりきれなさ。


その空気を逃さず、別の男が横から口を挟んだ。


「だがよ、それって悪い話か?」


軽い口調だったが、その言葉にははっきりとした意図が滲んでいた。


「公女様を側室に迎えれば、経済的にも悪くないだろう。あの国、相当金持ってるんだろ?」


周囲の視線が、わずかに揺れる。


感情に傾きかけた空気へ、今度は現実的な話を差し込むように――


「むしろ、メリットしかないんじゃないか?」


ぽつりと落とされたその一言に、場の空気がゆっくりと変わっていく。


その様子を、リヒトは舌打ちしそうになるのを堪えながら見ていた。


(……分かりやすい手口だな)


隣でマックスが、わずかに息を吐く。


「主様の予測通りだ」


淡々とした声だった。


「チッ……気に食わねぇな」


リヒトが低く吐き捨てる。


「こんな回りくどいことしやがって」


その声は、余裕がないほどに苛立っていた。


「こうなる前に、公国の闇ギルドごと潰しときゃ良かったぜ」


それは決して大言壮語ではない。


リヒトは今まさに、大陸中の闇ギルドを少しずつ掌握しつつあった。


力だけではない。


人を見極め、流れを読み、必要な場所に必要な手を打つ。


並の人間にできる芸当ではなかった。


その背を見ながら、マックスは内心で静かに評価を改める。


(……見た目に反して、やはり底が知れない)


粗野な言動の奥にあるのは、緻密な思考と実行力だ。


やがて、サクラの男たちは役目を終えたかのように席を立ち、自然な流れで店を後にした。


後に残されたのは、どこか座りの悪い、いびつに傾いた空気だ。


公女への憐れみと、損得勘定。それらが混ざり合い、ひどく中途半端な場となっていた。


リヒトは、ゆっくりと立ち上がる。


「さて、と」


口元に、わずかな笑みが浮かぶ。


「このままにしとくわけにもいかねぇな」


マックスもまた、静かに立ち上がった。


視線が、同じ方向を向く。


すでに、次の一手は決まっている。


リヒトが、何気ない調子で近くの席に声を投げた。


「――なぁ、さっきの話の続き、知ってるか?」


その一言で、流れが変わる。


目に見えない場所で、確実に。


こうして――


王国と公国の戦いは――すでに、水面下で始まっていた。


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