第七話:王家の獅子は闇夜に集う
宴が終わり、王宮が静寂に沈んだ深夜。
灯りの落ちた回廊の奥、国王の私室だけがかすかな光を残していた。
重厚な扉の内側に集うのは、ヴァルデンライヒの中枢――国王レオポルド、王弟ジャック、そして王太子レオンハルト。
誰一人として、先ほどまでの祝宴の空気を引きずってはいない。
そこに残っているのは、冷静な思考と、拭いきれぬ苛立ちだけだった。
レオポルドがゆっくりと口を開く。
「……あの公王、次は“物語”を作るつもりだな」
低く落とされた声音。
その意図は、言葉にせずとも二人に伝わった。
「金に物を言わせ、人を雇い、噂を流す。――“公女とジャックの世紀の恋”とでも仕立て上げる気だろう」
吐き捨てるでもなく、淡々と告げる。
だがその内容は、あまりにも悪質だった。
事実を歪め、感情を煽り、既成事実へと変えていく。
それは、剣よりも厄介な戦い方だった。
ジャックが短く息を吐く。
「ならば、先に潰す」
即断だった。
「闇は闇で消す。リヒトとマックスに任せる」
新たに裏ギルドを束ねたリヒトと、影の長マックス。
その名が出た瞬間、対処の方針はほぼ定まった。
「別の噂を流し、上書きする。拡散もこちらで制御する」
淡々とした声音。その裏にあるのは徹底した対抗策だ。
レオンハルトは軽く頷く。
正面から否定するよりも、流れそのものを塗り替える方が早い。
そして、レオポルドはすぐに別の懸念へと思考を移した。
「……問題は、エレナへの直接的な危害だ」
空気が、わずかに重くなる。
「あの国は魔道具の扱いに長けている」
視線がわずかに細まる。
「怪しげな術具を使い、何か仕掛けてくるやもしれん」
見えない攻撃。
それが最も厄介だった。
ジャックの表情が、わずかに硬くなる。
「守りは強化する」
即座に応じる。
「護衛を増やすだけでは足りない。内側にも目を置く」
わずかに間を置き、続ける。
「影を一人、侍女として潜り込ませる。――エリカだ」
その名に、レオンハルトが静かに視線を上げる。
新人。
だが、能力は折り紙付きだ。
「適任でしょうね」
短く同意する。
「魔力も高い。実戦経験は浅いが、逆に“読まれにくい”」
ジャックも、それを承知の上で選んでいる。
「問題ない」
その言葉には、絶対の信頼が込められていた。
レオンハルトは思考を巡らせながら、さらに口を開く。
「加えて――結界を強化すべきです」
視線を上げる。
「ヴィルヘルム師に依頼しましょう。あの方の結界であれば、単純な侵入はまず通らない」
わずかに間を置き、続ける。
「それと、エレナ嬢のブローチに施された保護術式も再点検を。魔塔に回し、設計から見直した方がいい」
無駄のない、的確な提案だった。ジャックも即座に頷いた。
「任せる」
短く応じる。
だが――
次に続いた言葉は、明らかに質が違っていた。
「……それでも一線を越えてくるのなら」
低く、抑えた声音。
「公国の資金流通を麻痺させる」
静かに告げられたその内容は、あまりにも重い。
レオンハルトは、思案し、即座に分析する。
「グラティオラは各国の特権階級から資産を預かる『専属銀行』として機能しています」
冷静に続ける。
「そこを止めれば、市場が混乱するだけでは済みません。各国の反発も招きます」
ジャックも頷く。
「わかっている……。我が国の貴族からの反発も相当だろうな……」
「だが」
「その時は容赦しない。すべて潰す」
言い切る。
そこにあるのは、明確な怒りだった。
レオポルドが、ゆっくりと息を吐く。
「……落ち着け、ジャック」
穏やかだが、有無を言わせぬ声音。
「気持ちは分かるが、それは――“宣戦”になる。慎重に動かねばならん」
静かに言葉を置く。
レオンハルトも続ける。
「現時点では、まだこちらが動く理由には足りません」
視線をまっすぐに向ける。
「泳がせて、正当性を確実に手に入れましょう」
しばしの沈黙。
やがて、ジャックは小さく舌打ちをした。
「……もどかしいな」
そう言い、その声音に苛立ちを隠さない。
完全に納得したわけではない、抑え込んだだけだ。
張り詰めていた空気が、わずかに緩む。
同時に――
どっと疲労が押し寄せてくる。
レオポルドが額に手を当てた。
「……まったく、面倒なことをしてくれる」
心底うんざりした声音だった。
レオンハルトもまた、静かに息を吐く。
彼らの中で、公国への評価が静かに冷えきっていく。
そしてジャックは、何も言わずに視線を落とした。
胸の奥に渦巻くものは、消えてはいない。
むしろ、先ほどよりも濃く、重くなっている。
ヴァルデンライヒの面々は、深く疲弊しながらも――
同時に、公国への敵意だけを確かに増していた。




