第六話:祝宴の幕間
公国の一行が去ったあとも、しばらくその場の空気は、戻りきらなかった。
先ほどのやり取りが、どこか落ち着かない形で場に残っている。
その中で、レオンハルトは静かに視線を落とし、思考を巡らせていた。
そこへ、従者ルーカスが一歩寄る。
わずかに口元を緩め、いかにも面白がるような声音で言った。
「黒髪の美女に随分と気に入られていらっしゃいましたね」
含みのある言い方だった。
「いかがです? 婚約者候補としては」
軽く、あからさまな皮肉を込めて。
その言葉に、レオンハルトの視線がゆっくりと持ち上がる。
ジロリ、と。
「……冗談でも、怒るよ」
声は抑えられていたが、その響きには明確な不快が滲んでいた。
そして、わずかに視線を逸らしながら続けた。
「――彼女の魔力、妙に粘着質だった。ああいう感触は、あまり好ましくない」
思い出すように、ほんのわずかに眉を寄せる。
目に見えるものではない。だが、確かに“触れた”感覚が残っている。
まとわりつくような、じわりと染み込んでくるような――不快とまでは言わないが、無視するには引っかかる何か。
「……少し、気になるな」
ぽつりと呟く。
そのときだった。
隣にいたルーカスの視線が、不意に一点へと固定される。
「あっ……」
小さく漏れた声に、レオンハルトが顔を上げる。
「どうした」
問いかけに答える代わりに、ルーカスはほんのわずかに顎で方向を示した。
「あのアホ親子……」
ため息混じりの、率直すぎる評価だった。
レオンハルトも、その視線を追う。
視界の先。
宴の賑わいの中に、妙に所在なさげに立つ二人組があった。
アイーゼ連邦の代表議長と、その息子。
かつてレオンハルトとルーカスが留学していた際、アイーゼで騒動を起こした当人たちである。
レオンハルトらにやり込められ、揃って床に額を擦りつけた姿は、まだ記憶に新しい。
そして――目が合った。
次の瞬間、二人の肩がびくりと跳ねる。その動きは、隠しようもなかった。
(……ああ、これは来るな)
レオンハルトは内心でそう判断する。
目が合ってしまった以上、無視するわけにはいかない。外交の場でそれは、無用な軋轢を招く行為だ。
やがて親子は、覚悟を決めたようにこちらへ向かって歩き出した。
足取りはぎこちなく、どこか引き返したがっているのが見て取れる。それでも止まらないのは、止まる方がよほど恐ろしいと分かっているからだろう。
レオンハルトはその様子を見ながら、小さく息を吐いた。
「……仕方ないな」
呟きは、誰に聞かせるでもなく。
そして、表情を整える。
王太子としての顔を、静かに被り直しながら――
震えながら近づいてくる二人を、正面から迎えた。
*
喧騒とざわめきに満ちた大広間の一角で、ルーメンシュタット皇国の一行は、少し距離を置くようにしてその一部始終を眺めていた。
光と音に満ちた祝宴の中心からわずかに外れたその場所は、不思議なほど静かで、まるで別の空気が流れているかのようだった。
その中で、将軍ガルドが口元を歪める。
どこか愉快そうに、そして確信めいた響きを含ませて、主へと声を投げた。
「陛下――あの子を手に入れる好機ではありませんか?」
軽い調子の問いだった。
だが、その実、場の核心を突いている。
視線の先には、ジャックと共にいる少女――エレナの姿。
その名を、あえて口にしないあたりに、ガルドなりの配慮と悪意が混ざっていた。
対して、ヴィルヘルムは一瞥すら寄越さない。
「馬鹿なことを」
短く、切り捨てる。
まるで取り合う価値すらないと言わんばかりの声音だった。
「……あの程度で、あの男がエレナを諦めるはずがなかろう」
吐き捨てるように続ける。
そこにあるのは冷静な分析であり、同時に、誰よりもその“男”を理解しているがゆえの断定でもあった。
ガルドは肩をすくめる。
否定されること自体を楽しんでいるようでもある。
その横で、宰相エーレンが静かに口を開いた。
「しかし、公国もまた随分と露骨な手を打ってきましたね」
落ち着いた声音だったが、わずかに意外そうな色が混じっている。
「正直なところ、成功するとは思えませんが」
現実を踏まえた、あまりにも妥当すぎる見立てだった。
ヴィルヘルムは、ようやく視線を動かす。
だがその視線はエーレンを捉えてはおらず、静かに場全体を見渡していた。
「ヴァルデンライヒを侮っているのだろう」
低く、淡々と告げる。
「この国は、金などで動く国ではない。王家の獅子たちは、一筋縄ではいかぬ」
言葉の端に、冷ややかさが滲む。
「浅はかなものだ」
断じる声音には、明らかな軽蔑があった。
わずかに間を置き、思考を巡らせるように続ける。
「……とはいえ」
声音が、ほんの少しだけ低く沈む。
為政者の顔だった。
「この件が、新たな火種にならなければよいがな」
それは予測であり、同時に警戒でもあった。
一つの軽率な行動が、どこまで波及するか。
この場にいる誰よりも、それを正確に見積もっている。
そして――
ヴィルヘルムの視線が、ゆっくりと一点に定まる。
その先にいるのは、ただ一人。
エレナ。
華やかな光の中にあってなお、ひときわ目を引く美しい存在。
彼女を中心に、すべてが静かに動き始めていた。
(……面白くない)
胸の奥で、言葉にならない感情が静かに揺れる。
だが、それを表に出すことはない。
ただ、静かに見つめる。
これから何が起きるのかを見極めるように――そして必要とあらば、いつでも介入できるように。




