第四話:開国1500年大祭(中編)
重厚な扉が開かれると同時に、空気が変わった。
それまで厳かに保たれていた謁見の間の空気に、異質な華やかさが流れ込んでくる。
次の瞬間――
ガシャーン、と、銅鑼の音が高らかに鳴り響いた。
静寂を前提としていた空間にはあまりにも不釣り合いなその響きに、列席していた貴族たちの間にわずかなざわめきが走る。
続いて、軽やかでどこか煽情的な旋律が奏でられ、やがて歌声が重なる。
祝祭のはずの場に、別種の“見世物”めいたものが持ち込まれたかのようだった。
先頭に現れたのは、薄布のような衣装を纏った女性たちだった。
肌を惜しげもなく晒したその姿は、上品さよりも享楽を思わせる。
彼女たちは手にした花弁を撒きながら、しなやかに舞い、まるで道そのものを彩るかのように進んでいく。
その背後から、ようやく本隊が姿を現した。
金と宝石をこれでもかとあしらった衣装を纏う公族たち。その一歩ごとに、装飾が光を弾き、場違いなほどのきらびやかさを周囲へと撒き散らす。
やがて一行は壇上の前へと至り、形式に則って膝をついた。
だがその一連の流れは、謁見の礼としての厳粛さというよりも、どこか見せつけるために誇張された芝居のようだった。
公王オスカー・フォン・ローゼンダールが、ゆっくりと顔を上げた。
その目には、自らの優位を疑わぬ自信が宿っている。
「ヴァルデンライヒの千五百年大祭、心よりお慶び申し上げる」
よく通る声が、謁見の間に響く。
「本日、余が持参した金銀財宝とは別に――」
一瞬、言葉を区切る。
その一瞬の静寂に、淡い期待と鋭い警戒が入り混じる。
「我が国の至宝――ローゼマリーを、お納めいただきたく」
静まり返る空間に、その言葉だけが落ちた。
「かつて貴国の騎士が救った小さな命が、こうして運命の地へ帰り着いた……これ以上の奇跡がありましょうか」
芝居がかった抑揚が、あえて強調される。
「陛下。この『縁』、ぜひとも強固な結びつきへと変えたいものですな」
その意図は、誰の目にも明らかだった。
次の瞬間。
ヴァルデンライヒ王家の空気が、目に見えて変わった。
レオポルドから笑みが消え、アウグステの視線が静かに鋭さを帯びる。レオンハルトはわずかに目を細め、そして――ジャックが公王を射抜いた。
その眼差しには、今にも斬り捨てんばかりの露骨な殺意が宿っている。
場の温度が、凍りついた。
その張り詰めた空気に、場違いなほど明るい声が差し込む。
「ご紹介にあずかりました、グラティオラ公国公女、ローゼマリーにございます」
鈴を転がすような澄んだ声とともに、少女が一歩、前へと進み出た。
柔らかく波打つ桃色の髪が光を受けて揺れ、潤んだ銀灰色の瞳が、まっすぐに壇上を見据えている。
その姿は、先ほどまでの享楽的な演出とは対照的に、あまりにも清らかで、どこか現実離れしていた。
だが、その表情には隠しきれないほどの喜びが満ちている。
胸の内に抱え続けてきたものが、今まさに形を持とうとしている――そんな高揚。
視線が、ただ一人へと向けられる。
「ジャック様……」
名を呼ぶ声音は、震えることなく、むしろ甘やかに響いた。
「あなた様に救われた御恩、一日たりとも忘れたことなどございません」
その言葉は、誓いのようでもあり、告白のようでもあった。
ローゼマリーの瞳に、熱が宿る。
「救われたこの命、すべてあなた様のものです」
胸元に手を当て、わずかに身を乗り出す。
その仕草は可憐でありながら、どこか芝居じみていて――それでいて、紛れもなく本心だった。
一度、息を吸う。
場のすべてが、その一瞬に引き寄せられる。
そして――
「――どうか、わたくしを」
次の瞬間、迷いのない声が響いた。
「あなた様の側室にして下さいませ!」
――それは、歴史ある大祭の場での、公開プロポーズだった。
*
エレナの思考は、一瞬にして白く塗り潰された。
公開プロポーズ――それも、この場で?
(え、側室? ヴァルデンライヒって、側室制度あったっけ……? もしかして、ここから宮廷ドロドロの恋愛劇に……?)
現実と妄想が入り混じり、思考がまとまらない。
目の前では重大なやり取りが交わされているはずなのに、どこか遠くの出来事のように感じられてしまう。
だが、そんな混乱とは無関係に、場の空気は張り詰めていった。
玉座に座すレオポルドの表情から、先ほどまでの柔らかな気配が消える。
代わりに現れたのは、冷徹な為政者の顔だった。
「このような場で言うべきことではないな」
突き放すような声音が、静かに落ちる。
一切の揺らぎを許さない、明確な拒絶だった。
だが公王オスカーは、その言葉を受けてもなお、余裕を崩さない。
「もちろん、大国ヴァルデンライヒの機嫌を損ねたいとは思っておりませぬ」
むしろ、言葉を重ねるごとに、その声音は芝居がかっていく。
「ただ……愛しい娘の切なる願いを、叶えてやりたいこの親心。どうか、くみ取っていただけませぬか」
胸に手を当て、わずかに視線を伏せる。
いかにも“憐れみ”を誘う仕草。
「どうか、この哀れな娘にお慈悲を――」
その言葉を、最後まで言わせなかった。
「側室など不要だ」
低く、押し潰すような声が割り込む。
ジャックだった。
その一言には、絶対的な拒絶が込められている。
「我が妃となる者は、ただ一人」
その視線は冷たく、鋭く、今にも目の前の相手を斬り伏せんばかりの殺気を帯びていた。
一触即発――今にも何かが起きそうな、張り詰めた空気だった。
言葉は交わされないまま、ただ視線だけが静かに行き交い、誰もが固唾をのんで見据えていた。
些細なきっかけ一つで、取り返しのつかない事態へと崩れ落ちてしまう――そんな危うさが漂っている。
その張り詰めた均衡を破ったのは、深く吐き出された一つの溜息だった。
レオポルドが、静かに腰を正す。
その視線が、公王へと向けられる。
「……オスカー。親心か、あるいは欲か」
低く抑えられた声が、広間の隅々まで染み渡る。
「いずれにせよ、その安っぽい芝居は我が国には馴染まぬようだ」
言葉の端々に滲むのは、明らかな拒絶と軽蔑。
「我が弟が言った通りだ。ヴァルデンライヒの獅子は、一度決めた番を違えぬ」
ゆるやかに、しかし確実に、言葉で場を制圧していく。
「貴公の『至宝』は、他所でその輝きを磨くのが賢明だろう」
その一言で、すべてが切り捨てられた。
レオポルドは軽く手を振る。
それだけで、この話題は終わりだと示すには十分だった。
「この件はこれまでだ」
短く断じる。
「今宵は祝いの席。……これ以上、剣の錆が増えぬうちに、宴を始めようではないか」
静かだが、有無を言わせぬ一言だった。
レオポルドは侍従長へと視線を送る。
その意を受け、侍従長が一歩前へと進み出た。
やや張り詰めていた空気を撫でるように、式典の終わりが告げられる。
――だが、先ほどまでの緊張が完全に消え去ることはなかった。




