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第一話:騎士団執務室のお約束

窓外に広がる王都ライヒの街並みは、いつの間にか燃えるような秋の色彩に縁取られていた。


空は高く澄み、やわらかな陽光が石造りの建物を淡く照らしていた。


その光は騎士団執務室にも穏やかな陰影を落としている。


本来、この部屋は、王国の軍事を担う騎士団の中枢として、常に緊張と規律が保たれていなければならない。


だが、その日の執務室には、緩い空気が漂っていた。


その原因は、賓客用の長椅子に深く身を預け、足を組んだまま微動だにしない一人の男。


長い黒髪と金の瞳を持つ美丈夫な男は、ただそこにいるだけで場の空気を塗り替えてしまうような存在感を放っていた。


ルーメンシュタット皇帝、ヴィルヘルム・フォン・ナハトライヒ。


隣国の皇帝陛下がいる――その事実ひとつで、まともに仕事などできるはずもない。


結果として、騎士たちは早々に下げられ、執務室はいつの間にか談話の場へと変わっていた。


「……貴様、いくらなんでも気軽に来すぎではないか?」


ジャックがこめかみを指で押さえながら、呆れを隠そうともせず言う。


その声音には、怒りよりもむしろ、繰り返される状況への疲労が滲んでいた。


その隣で、婚約者であるエレナは、困ったように眉を下げながらも、隠しきれない楽しげな気配を浮かべている。


一方で、副官ハインリヒと従者ルーカスは、引きつった表情のまま沈黙を保っている。


形式上は控えている立場だが、内心では到底看過できない事態であることは明らかだった。


皇帝自らが王国まで転移し直々に王太子に魔術を指導するという異常な状況に加え、国家機密の中枢へ他国の皇帝が“お忍び”で出入りしている現実に、誰もが未だ慣れていない。


「弟子の指導に足を運ぶのは、師として当然の務めだ。文句を言われる筋合いはないな」


ヴィルヘルムは白磁のティーカップを受け皿に優雅に戻す、その動作の一つ一つに無駄がない。


「むしろ、お前の甥に至高の魔術を直伝してやっているのだ。感謝を込めて持てなすがいい」


その言葉には一切の遠慮がなく、どこまでも傲慢である。だが同時に、それを言い切れるだけの実力を持っていることが、余計に始末が悪い。


「僕も、師匠のように精密な魔力操作ができれば、自力で長距離転移を使ってそちらへ伺えるのですが……」


レオンハルトが悔しさを滲ませながら言う。あと一歩届かない、その距離がもどかしい。


「すぐに習得できるものか。だからこそ、俺がこうして時間を割いているのだ。それに——」


ヴィルヘルムの視線が、ふと柔らかくほどける。


「ここでエレナと茶を楽しむ時間は、悪くない」


その一言で、空気がぴしりと音を立ててひび割れた。


ジャックのこめかみに青筋が浮かび上がる。


「レオンハルト。お前、さっさと転移魔術を覚えろ」


半ば八つ当たりのように言い放たれた言葉に、レオンハルトは目を見開いた。


「無理言わないでください、どれだけ難しいと思ってるんですか……」


反論しながらも、その声音には自信より悔しさが滲む。


エレナはその空気を察し、慌てて話題を変える。


「建国千五百年大祭が、もうすぐですよね。ビルも招待されているのでしょう?」


エレナのやわらかな声で、場が明るくなる。


「色んな国の要人が来ると聞いて、少し緊張してしまって……」


その言葉を受けて、ジャックの表情がふっと和らぐ。


「いつも通りで構わない」


静かに言い、エレナの髪をそっと撫でる。先ほどまでの苛立ちとは違い、その手つきは優しい。


だが続く言葉は、やはり彼らしい。


「ヴァルデンライヒに逆らう国なぞない」


低く断言し、


「お前を不快にさせるものがいたら、俺に言え。叩き潰してやる」


口元には笑みが浮かんでいるが、その目は本気だった。


冗談として流せない温度に、執務室の空気が一瞬で静まり返る。


「……今回はアイーゼ連邦やグラティオラ公国も招待されてますよね」


ハインリヒが空気を変えるように口を開く。


アイーゼの名が出た瞬間、レオンハルトとルーカスが揃って遠い目をした。つい先日まで滞在していたその国での記憶が、脳裏に浮かぶ。


「あのアホ共が来るのか……」


抑えきれなかった本音が、ぽつりと零れる。


ハインリヒは何も言わず、ただ小さく肩をすくめた。


「そういえば、グラティオラ公国といえば……以前、団長が誘拐された公女を助けましたよね」


ルーカスが続ける。


「誘拐された公女を助けた!?」


エレナが即座に反応する。その肩がわずかに揺れ、瞳に好奇の光が宿る。


囚われの姫君を救う騎士――まるで、物語のようではないか。


その隣で、マリアは静かに視線を逸らした。


(……お嬢様の妄想がまた始まりましたね)


「結構有名な話ですよ。グラティオラの前王妃が、国王の庶子を誘拐したんです」


レオンハルトが淡々と説明する。


ジャックがゆっくりと口を開いた。


「騎士になりたての頃だ。人身売買組織を追っていてな……その過程で、偶然見つけた」


「後日、上長から公女だったと聞かされた」


それ以上を語るつもりはないと言わんばかりの、簡潔な言葉。


「それがきっかけで、公女の存在が公になり、正式に認められました。正妃は処刑され、公女の母親が現在の正妃になりました」


「市井で暮らしていた経験もあって、平民目線の気さくな公女として人気があるそうです」


ルーカスが続ける。


「レオンハルト様の婚約者候補としても、お名前が挙がりましたね」


「婚約者候補!?」


エレナが身を乗り出す。


レオンハルトは半目になり、ルーカスを睨んだ。


「余計なこと言わないでくれ」


ため息交じりに言い、


「他国から妃を娶るなんて面倒だ。我が国は政略結婚なんて必要ないから」


その言葉には、レオンハルトの本音が込められていた。


「確かに。我々くらい大国になると、外部との婚姻は無用な争いになりかねないな」


ヴィルヘルムも静かに頷く。


その「婚姻」という言葉に、ジャックが反応した。


「……エレナとの結婚式を早めるよう、兄上に何度も進言しているのに、一向に頷かない」


ジャックが悔しそうに呟く。


「さすがに王族の結婚式を早めるなんて無理じゃないですか?」


ハインリヒが現実的な指摘を返し、ルーカスも同意するように頷いた。


「父上が、叔父上の顔を見ると逃げ出すようになりました」


レオンハルトの呆れ混じりの補足に、室内が微妙な沈黙に包まれた。


国王陛下に全員が同情する。


ジャックの執着の重さに、皆が引いている中。


「エレナ、本当にこの男との結婚に後悔はないのか?」


ヴィルヘルムが、何気ない口調で問いかける。


その一言で、空気が凍り付いた。


「死にたいようだな……」


ジャックのマナが弾け、青白い光が弾けるように放たれる。


だが、ヴィルヘルムは眉ひとつ動かさず、それを容易く弾き返した。


視線がぶつかる。


言葉はない。ただ、緊張だけが場を満たす。


——その直後。


誰からともなく、全員が壁際へと静かに退いた。


もはや説明も合図も不要な、習慣のような動きだった。


「ちょっ……王宮で戦うのやめてくださーーいっ!」


エレナが慌てて割って入る。


それもまた、見慣れた光景。


秋のやわらかな陽光の中で、騎士団長の執務室には今日もまた——


騒がしく、賑やかな、いつもの「日常」が流れていた。

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