第七話:騎士団見学と予想外の案内人
騎士団の訓練場へ向かう馬車の中で、私は密かに胸を躍らせていた。
窓の外では王都の街並みがゆっくりと流れていく。
行き交う人々の姿や石畳の街路をぼんやり眺めながらも、意識はどこか別のところへ向いていた。
(前世じゃ、格闘技みたいなものを見る機会なんて、ほとんどなかったものね……)
もちろん、映像でなら見たことはある。
けれど実際に、国を守る騎士たちの訓練を間近で見る機会など一度もなかった。
ましてや相手は、この国最強と名高い騎士団だ。
どうしたって、期待に胸が高鳴ってしまう。
(ジャック様が剣を振る姿って……どんな感じなんだろう)
そこまで考えたところで、私ははっと我に返った。
(待って待って。何を期待しているのよ、私)
思わず首を横に振る。
(これはあくまで騎士団の見学。いわば職場見学みたいなものなんだから)
そう自分に言い聞かせる。
やがて馬車が速度を落とし、訓練場の入口へと到着した。
しかし、そこには予想外の人物が私を待っていた。
「ようこそ、エレナ嬢」
穏やかな声とともに現れたのは、金髪碧眼の青年。
王太子レオンハルト殿下だった。
「え……レオンハルト殿下ですか?」
思わず声が上ずる。
するとレオンハルト殿下は優雅に微笑み、一礼した。
「はい。叔父上から頼まれまして」
そう言って自然な所作で手を差し出す。
「本日は、私が案内役を務めさせていただきます」
(ええ!?)
内心で盛大に驚いた。
騎士団の見学に王太子殿下が付き添うなんて、普通はあるだろうか。
どう考えても大げさだ。
だが当の本人は、ごく自然な表情をしている。
私は戸惑いながらも馬車を降りた。
「ありがとうございます。お手数をおかけいたします」
「とんでもない」
レオンハルト殿下は柔らかく微笑む。
その笑みは爽やかなはずなのに、なぜか少しだけ意味深に見えた。
「むしろ、楽しみにしていました」
(……なぜそこまで?)
ますます首を傾げるしかない。
そのまま案内されて訓練場の敷地へ足を踏み入れた瞬間、空気が一変した。
張り詰めた緊張感。
規律によって磨き上げられた静寂。
すでに百人近い騎士たちが整列しており、その視線が一斉にこちらへ向けられる。
思わず背筋が伸びた。
「なんだか……見られている気がします」
小声で呟くと、レオンハルト殿下が苦笑い混じりに答える。
「叔父上の婚約者が来ると聞いて、皆そわそわしているのでしょう」
(騎士団長の婚約者だものね……)
私だって逆の立場なら気になる。
そう思った、その時だった。
「集合!」
低く響く号令が訓練場全体を震わせた。
同時に姿を現したのは、ジャック様だった。
騎士たちが一糸乱れぬ動きで敬礼する。
その光景だけで、彼がどれほど信頼されている人物なのかが伝わってきた。
そして、ジャック様は当然のように私の隣へ立った。
「よく来てくれたな」
その声は驚くほど優しかった。
そんな私たちを見ていた近くの騎士が、恐る恐る尋ねた。
「団長……その方が例の……」
ジャック様は迷いなく頷くと、はっきりと言い切った。
「ああ。俺の愛しい女性だ」
途端に騎士たちの間から大きなどよめきが起こった。
(愛しいって……!)
頭の中が真っ白になる。
そんなこと、大勢の前で言わなくてもいいでしょう!?
「紹介しよう!こちらが俺の婚約者――エレナ・フォン・ローゼンバーグだ」
「おお……!」
「本当にいた!」
「団長の婚約者だ!」
ジャック様は嬉しそうに口元を緩めながら、私を婚約者だと紹介した。
顔が熱くなるのを必死に堪えていると、隣でレオンハルト殿下が楽しそうに笑った。
「叔父上は、貴女を自慢したくて仕方がないんですよ」
(やめてください。本当に恥ずかしいんですけど……!)
その時だった。
若い騎士の一人が声を張り上げる。
「団長! 訓練開始の号令を!」
ジャック様の表情が一瞬で変わった。
先ほどまでの柔らかな雰囲気が消え、精悍な騎士団長の顔になる。
「よし」
低い声が響く。
「今日の訓練メニューは倍量だ」
「倍量!?」
「冗談ですよね!?」
「昨日も相当きつかったのに……!」
あちこちから悲鳴のような声が上がる。
(あ、皆さん本気で嫌そう……)
だが、ジャック様は容赦しない。
「騎士の誇りに恥じぬよう、全力全霊をもって示せ」
有無を言わせぬ迫力だった。
隣ではレオンハルト殿下が苦笑している。
「あの……ジャック様は普段からあんなに厳しいのですか?」
私の問いに、レオンハルト殿下は少し考えてから答えた。
「優秀な指導者ではありますが……今日は特別でしょうね」
その言葉どおりだった。
訓練が始まると、光景は想像以上に壮絶だった。
木剣がぶつかり合う鋭い音。
地面を蹴る重い足音。
空気を震わせる気合の声。
熱気を帯びた空間そのものが、生き物のように脈打っている。
(……すごい)
ただ圧倒される。
目の前で繰り広げられる光景から、どうしても視線を離せなかった。
「叔父上は騎士団から深く尊敬されています。同時に、その厳しさも有名ですが」
レオンハルト殿下の説明に、私は思わず頷いた。
(納得だわ……)
「これが『狼牙隊』ですか?」
「そうです。我が国最強の遊撃部隊になります」
私は訓練の様子をじっと見つめた。
前世で見た訓練映像が脳裏によみがえる。
騎士たちの動きには無駄がない。
交代のタイミングも絶妙で、疲労が一人に集中しないよう巧みに調整されている。
ただ剣技が優れているだけではない。
長年積み重ねられた経験と理論が、訓練の隅々にまで行き渡っていた。
(合理的だわ……)
気づけば、私は呟いていた。
「あの交代パターン……意図的にずらしていますよね」
言った瞬間、しまったと思った。
レオンハルト殿下が目を瞬く。
「え?」
「よく見ていますね。普通の令嬢なら『格好いい』で終わるところでしょうに」
「い、いえ……なんとなくです」
慌てて誤魔化す。
そこへ、指揮を執っていたジャック様が歩いてくる。
「どうだ? 俺の部隊は」
鋭い碧眼に見つめられ、胸が小さく跳ねる。
けれど、それ以上に先ほど見た訓練の完成度が気になってしまった。
「とても洗練されています。特に筋肉への負荷分散が効率的で……」
言ってから固まる。
(あっ……またやった)
ジャック様の眉がわずかに動いた。
「ほう」
興味深そうな声だった。
「なぜそう思う?」
「い、いえ……乙女の直感ですわ!」
苦し紛れにそう答える。
レオンハルト殿下が吹き出した。
ジャック様もまた愉快そうに口元を緩める。
「……そういうことにしておこう」
その顔は、まるで面白い玩具を見つけた子どものようだった。
「他にも気づいたことはあるか?」
「い、いえ。特には……」
慌てて視線を逸らす。
*
そんなエレナを見つめながら、ジャックは小さく笑みを深めた。
やはり面白い。
普通の令嬢とは違う。
訓練の仕組みや意図にまで目を向ける観察眼。
領地経営で見せた才覚。
時折こぼれる不思議な知識。
知れば知るほど興味が尽きない。
もっと知りたい。
もっと近くで見ていたい。
その想いは静かに胸の奥へ沈みながらも、確実に根を張り始めていた。
*
やがて、彼は騎士たちへ向き直る。
「休憩!」
号令とともに騎士たちが集まり始める。
その中心に立つジャック様は、先ほどまで私に向けていた柔らかな表情とはまるで別人だった。
厳格で力強く、誰よりも頼もしい。
数多の騎士を率いる騎士団長としての威厳をまとったその姿は、ひどく眩しく見えた。
「……凛々しいな」
ぽつりと漏れた呟きに、自分自身が一番驚く。
その横で、レオンハルト殿下が意味ありげな眼差しを向けていたことに、私は気づいていなかった。




