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第六話:突然の訪問者と混乱の伯爵家

夕食後の穏やかな時間は、一人の使用人の慌ただしい声によって打ち破られた。


「エレナお嬢様! 大変です!」


勢いよく扉が開かれ、飛び込んできた使用人は息を切らしている。


「殿下が……ジャック殿下が突然のご訪問を!」


私は口にしていたパンを見事に喉へ詰まらせた。


「ゲホッ! ゴホッ!」


激しく咳き込む私の背を、マリアがさすってくれる。


「お嬢様、大丈夫ですか?」


「あっ……ええ、大丈夫よ……」


涙目になりながらどうにか呼吸を整える。

だが、頭の中は混乱していた。


(え? お礼のお返事を送ったばかりよね?)


(そもそも王弟殿下って、そんな気軽に伯爵家へ来ていい立場なの?)


次々と疑問が浮かぶ中。


「……お通しして」


どうにか平静を装いながら指示を出したのだった。



応接室では、すでに父が殿下を迎えていた。


「殿下、なにぶん急なことでしたので、十分なおもてなしもできず……」


「こちらこそ、先触れもなく訪問してしまった。申し訳ない」


窓辺に立つ殿下は、珍しく少し気まずそうな顔をしている。


戦場では鬼神と呼ばれる人物だというのに、その姿はどこか落ち着きのない青年にも見える。

やがて彼はこちらへ歩み寄り、私の目の前で足を止めた。


「エレナ嬢。突然訪ねてしまって済まなかった」


至近距離で向けられた端正な顔立ちに、思わず息を呑む。


(近い近い近い)


(至近距離で見る美形は破壊力が高すぎる)


「い、いえ」


慌てて視線を逸らしながら頭を下げた。


「こちらこそ、沢山の贈り物を頂いたのに、お返事が遅くなってしまい申し訳ございません」


するとジャック様は軽く手を上げた。


「その件は気にしなくていい」


そう言ったあと、どこか照れたように視線を逸らす。

そして、少しだけ柔らかな声で続けた。


「ただ……君の顔を見られなくて、少し寂しくなった」


一瞬の沈黙。


「つい、会いに来てしまった」


(正直すぎない!?)


頬が一気に熱くなり、心臓が忙しなく鼓動を打ち始める。


(前世でも今世でも、こんなこと言われた経験ないんですけど)


(どう反応するのが正解なの!?)


「お……王弟殿下」


「何だ?」


真っ直ぐ向けられる碧の瞳。

期待を含んだ眼差しに、なぜかこちらが居心地悪くなってしまう。


「実は……贈り物の件なのですが……」


ここはきちんと伝えなければならない。

曖昧にしたままでは、かえって失礼だ。


「とてもありがたいのですが、これほど沢山の贈り物を頂くのは、私には少々荷が重くて……」


言葉を選びながら告げると、ジャック様は穏やかに微笑んだ。


「分かっている」


低く落ち着いた声だった。


「無理に贈り物を続けるつもりはない」


その言葉に、張っていた肩の力が少し抜ける。


(良かった……ちゃんと伝わった)


だが。


「ただ」


ジャック様の表情が静かに引き締まる。


「私の気持ちだけは知っておいてほしい」


「……気持ち、ですか?」


「ああ」


そう答えると、彼は一歩だけ距離を縮めた。

そして、そっと私の手を取る。


「君と過ごす時間が、俺には何より大切だ」


父のわざとらしい咳払いが聞こえた。

けれどジャック様は全く気にしていない。


「次の社交季には一緒に出席したい」


真剣な眼差しのまま続ける。


「公式行事ではなく、あくまで私的な集まりとしてだが」


(社交季ってまだ先よね? 気が早くない?)


そう思う反面、不思議と嫌な気持ちはしなかった。


「わ、分かりました」


少し緊張しながらも微笑む。


「ぜひ、ご一緒させてくださいませ」


するとジャック様の顔がぱっと明るくなった。


「本当か!」


(大型犬みたい)


思わずそう思ってしまう。

厳格な騎士団長のはずなのに、時折見せる反応が妙に素直なのだ。


「それは嬉しい」


そう言って微笑む姿は、先ほどまでの威厳ある王弟殿下とは別人のようだった。


「それと――」


ジャック様は懐から小さな箱を取り出した。


「これは特別だ。ぜひ受け取ってほしい」


私は恐る恐る箱を開く。

中には、王弟家の紋章を象った銀製のブローチが収められていた。

淡い光を受けて静かに輝いている。


「これは……」


「我が家の家宝だ」


ジャック様は静かに告げる。


「君に持っていてほしい」


その重みを感じて、思わず息を呑んだ。


そこへ副官が咳払いをする。


「団長、そろそろお時間です」


「そうだな」


ジャック様は名残惜しそうに頷いた。


その表情を見ていると、なぜか胸の奥がくすぐったくなる。


まるで、私と別れるのを惜しんでいるみたいだった。


そして再び私を見る。


「もし良ければ、今度騎士団の訓練を見学に来ないか?」


「騎士団の訓練ですか?」


「ああ。私の日常を、君にも知ってもらいたい」


その言葉に胸が少し高鳴る。

前世では決して触れられなかった世界。

この国を守る騎士たちの姿を間近で見られる機会だ。


「喜んで伺わせて頂きます」


素直に答えると、ジャックは再び嬉しそうに笑った。


「では近日中に詳細を送ろう」


「はい。殿下とお会いできるのを楽しみにしております」


そう返した瞬間。

なぜかジャック様が少し不満そうな顔をした。


「ジャックと呼んでくれ」


「……殿下」


思わず困った顔になる。


「ジャックだ」


即答だった。


(押しが強い……)


呼び捨てはさすがに無理だ。

しばらく葛藤した末、私は小さく口を開いた。


「……ジャック様」


その瞬間だった。

ジャック様の顔が目に見えて明るくなる。


「呼び捨てでも構わないのだが……まあ、今はそれでいい」


満足そうに頷いたあと、


「俺もエレナと呼ばせてもらおう」


と続ける。


「殿下!」


ついに副官が割って入った。


「お時間です」


「むぅ……」


不満そうに一歩離れる。

そして最後にもう一度だけ私を見つめた。


「訓練見学、楽しみにしている」


嬉しそうにそう言い残し、ジャック様は嵐のように去っていった。



王宮へ戻る馬車の中。


ジャックは窓の外へ視線を向けながら、深く息を吐いた。

流れていく街並みが夜闇の中へ溶けていく。


「贈り物だけで心を掴もうとしても、意味がないか……」


自嘲するように小さく笑う。

彼女の困った顔を思い出してしまった。


あれほど贈れば喜ぶと思っていたのだが、どうやら違ったらしい。


「難しいな」


ぽつりと漏らした声は、どこか楽しそうでもあった。

そして誰にも聞こえないほど小さな声で呟く。


「……ああ、本当に。もう会いたくて仕方ないよ、エレナ」


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