第六話:突然の訪問者と混乱の伯爵家
夕食後の穏やかな時間は、一人の使用人の慌ただしい声によって打ち破られた。
「エレナお嬢様! 大変です!」
勢いよく扉が開かれ、飛び込んできた使用人は息を切らしている。
「殿下が……ジャック殿下が突然のご訪問を!」
私は口にしていたパンを見事に喉へ詰まらせた。
「ゲホッ! ゴホッ!」
激しく咳き込む私の背を、マリアがさすってくれる。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「あっ……ええ、大丈夫よ……」
涙目になりながらどうにか呼吸を整える。
だが、頭の中は混乱していた。
(え? お礼のお返事を送ったばかりよね?)
(そもそも王弟殿下って、そんな気軽に伯爵家へ来ていい立場なの?)
次々と疑問が浮かぶ中。
「……お通しして」
どうにか平静を装いながら指示を出したのだった。
*
応接室では、すでに父が殿下を迎えていた。
「殿下、なにぶん急なことでしたので、十分なおもてなしもできず……」
「こちらこそ、先触れもなく訪問してしまった。申し訳ない」
窓辺に立つ殿下は、珍しく少し気まずそうな顔をしている。
戦場では鬼神と呼ばれる人物だというのに、その姿はどこか落ち着きのない青年にも見える。
やがて彼はこちらへ歩み寄り、私の目の前で足を止めた。
「エレナ嬢。突然訪ねてしまって済まなかった」
至近距離で向けられた端正な顔立ちに、思わず息を呑む。
(近い近い近い)
(至近距離で見る美形は破壊力が高すぎる)
「い、いえ」
慌てて視線を逸らしながら頭を下げた。
「こちらこそ、沢山の贈り物を頂いたのに、お返事が遅くなってしまい申し訳ございません」
するとジャック様は軽く手を上げた。
「その件は気にしなくていい」
そう言ったあと、どこか照れたように視線を逸らす。
そして、少しだけ柔らかな声で続けた。
「ただ……君の顔を見られなくて、少し寂しくなった」
一瞬の沈黙。
「つい、会いに来てしまった」
(正直すぎない!?)
頬が一気に熱くなり、心臓が忙しなく鼓動を打ち始める。
(前世でも今世でも、こんなこと言われた経験ないんですけど)
(どう反応するのが正解なの!?)
「お……王弟殿下」
「何だ?」
真っ直ぐ向けられる碧の瞳。
期待を含んだ眼差しに、なぜかこちらが居心地悪くなってしまう。
「実は……贈り物の件なのですが……」
ここはきちんと伝えなければならない。
曖昧にしたままでは、かえって失礼だ。
「とてもありがたいのですが、これほど沢山の贈り物を頂くのは、私には少々荷が重くて……」
言葉を選びながら告げると、ジャック様は穏やかに微笑んだ。
「分かっている」
低く落ち着いた声だった。
「無理に贈り物を続けるつもりはない」
その言葉に、張っていた肩の力が少し抜ける。
(良かった……ちゃんと伝わった)
だが。
「ただ」
ジャック様の表情が静かに引き締まる。
「私の気持ちだけは知っておいてほしい」
「……気持ち、ですか?」
「ああ」
そう答えると、彼は一歩だけ距離を縮めた。
そして、そっと私の手を取る。
「君と過ごす時間が、俺には何より大切だ」
父のわざとらしい咳払いが聞こえた。
けれどジャック様は全く気にしていない。
「次の社交季には一緒に出席したい」
真剣な眼差しのまま続ける。
「公式行事ではなく、あくまで私的な集まりとしてだが」
(社交季ってまだ先よね? 気が早くない?)
そう思う反面、不思議と嫌な気持ちはしなかった。
「わ、分かりました」
少し緊張しながらも微笑む。
「ぜひ、ご一緒させてくださいませ」
するとジャック様の顔がぱっと明るくなった。
「本当か!」
(大型犬みたい)
思わずそう思ってしまう。
厳格な騎士団長のはずなのに、時折見せる反応が妙に素直なのだ。
「それは嬉しい」
そう言って微笑む姿は、先ほどまでの威厳ある王弟殿下とは別人のようだった。
「それと――」
ジャック様は懐から小さな箱を取り出した。
「これは特別だ。ぜひ受け取ってほしい」
私は恐る恐る箱を開く。
中には、王弟家の紋章を象った銀製のブローチが収められていた。
淡い光を受けて静かに輝いている。
「これは……」
「我が家の家宝だ」
ジャック様は静かに告げる。
「君に持っていてほしい」
その重みを感じて、思わず息を呑んだ。
そこへ副官が咳払いをする。
「団長、そろそろお時間です」
「そうだな」
ジャック様は名残惜しそうに頷いた。
その表情を見ていると、なぜか胸の奥がくすぐったくなる。
まるで、私と別れるのを惜しんでいるみたいだった。
そして再び私を見る。
「もし良ければ、今度騎士団の訓練を見学に来ないか?」
「騎士団の訓練ですか?」
「ああ。私の日常を、君にも知ってもらいたい」
その言葉に胸が少し高鳴る。
前世では決して触れられなかった世界。
この国を守る騎士たちの姿を間近で見られる機会だ。
「喜んで伺わせて頂きます」
素直に答えると、ジャックは再び嬉しそうに笑った。
「では近日中に詳細を送ろう」
「はい。殿下とお会いできるのを楽しみにしております」
そう返した瞬間。
なぜかジャック様が少し不満そうな顔をした。
「ジャックと呼んでくれ」
「……殿下」
思わず困った顔になる。
「ジャックだ」
即答だった。
(押しが強い……)
呼び捨てはさすがに無理だ。
しばらく葛藤した末、私は小さく口を開いた。
「……ジャック様」
その瞬間だった。
ジャック様の顔が目に見えて明るくなる。
「呼び捨てでも構わないのだが……まあ、今はそれでいい」
満足そうに頷いたあと、
「俺もエレナと呼ばせてもらおう」
と続ける。
「殿下!」
ついに副官が割って入った。
「お時間です」
「むぅ……」
不満そうに一歩離れる。
そして最後にもう一度だけ私を見つめた。
「訓練見学、楽しみにしている」
嬉しそうにそう言い残し、ジャック様は嵐のように去っていった。
*
王宮へ戻る馬車の中。
ジャックは窓の外へ視線を向けながら、深く息を吐いた。
流れていく街並みが夜闇の中へ溶けていく。
「贈り物だけで心を掴もうとしても、意味がないか……」
自嘲するように小さく笑う。
彼女の困った顔を思い出してしまった。
あれほど贈れば喜ぶと思っていたのだが、どうやら違ったらしい。
「難しいな」
ぽつりと漏らした声は、どこか楽しそうでもあった。
そして誰にも聞こえないほど小さな声で呟く。
「……ああ、本当に。もう会いたくて仕方ないよ、エレナ」




