第四話:王太子の淡い想い
数日後、王宮の一室。
王太子レオンハルトは、悔しさを滲ませながら国王に問いかけた。
「父上……なぜです」
「なぜ、叔父上との婚約をお認めになったのですか。……私では駄目だったのでしょうか」
父王は、しばし沈黙したのち、静かに答える。
「ジャックはお前より経験がある。政治も軍も、長く背負ってきた。お前ではまだ、彼女を支えるには力不足だ」
「ジャックならエレナ嬢の才覚も含めて守ってやれる。何より……あいつ自身が、彼女を強く求めた」
レオンハルトの胸に、複雑な感情が渦巻く。
「ですが……」
言葉を詰まらせる王太子に、続きを促す父王。
「どうした、レオン?」
王太子は少し俯き、言葉を選びながら口を開く。
「私も……密かにローゼンバーグ家の令嬢と縁を結ぶ準備を進めておりました」
父王は、静かに頷く。
「……知っていた。だが、今回はジャックの意思を尊重した」
「なぜですか?」
レオンハルトは思わず声を強めた。
「エレナ嬢は賢く、聡明な女性です。将来の王妃として、十分に――」
「それは私も認めている」
父王は遠くを見つめるように視線を逸らし、低く告げた。
「だが、まだ若すぎる。エレナ嬢は十五歳だ。政略結婚としては適齢期かもしれぬが……彼女には特別な才能がある。……潰したくない」
「……それは、わかっています」
レオンハルトは俯き、唇を噛んだ。
「彼女の領地改革案を見たことはあるか?」
父王が問いかける。
「下水道の整備、教育制度の刷新……どれも並外れている。まるで未来を知っているかのような発想だ」
レオンハルトは考え込む。
確かに、エレナ嬢の改革案は従来の常識を軽々と超えていた。
だが父王の言い方は、単なる才能以上の“何か”を示唆している。
「……叔父上は、その何かを見抜いたのですか?」
「ジャックは勘がいい」
父王はわずかに笑った。
「エレナ嬢に、特別なものを感じ取ったのだろう」
レオンハルトは深く息を吐いた。
「正直……出し抜かれた気分です」
彼は、率直に打ち明ける。
「子どもの頃から、気になっていた少女でしたから」
「ほう?」
父王は興味深そうに目を細めた。
*
十年前。
当時七歳だったレオンハルトは、祖父の別荘がある地方を訪れていた。
退屈しきった彼は、護衛の目を盗んで森へ入り込み、やがて迷子になって半泣きになっていた。
そんな少年に声をかけたのは、自分より少し幼い、とても可愛らしい少女だった。
「こんな所にいたら危ないよ。早く戻らなきゃ」
レオンハルトは驚いた。
王子である自分に、臆する様子も、媚びる様子もない。そんな子どもは初めてだったから。
「あなた、もしかして王子様? お父様たちが言っていたの、今日は王子様が来る日だって」
少女は首をかしげて尋ねる。
レオンハルトは小さく頷く。
「じゃあ、将来この国を治めるの?」
少女は期待したような眼差しで聞いてくる。
「……う、うん」
レオンハルトは照れくさそうに頷いた。
「すごいね!」
少女の瞳が、ぱっと輝いた。
「もし貧しい人がたくさんいたら、ちゃんと助けられる王様になってね」
その真っ直ぐな言葉に、レオンハルトは胸が温かくなった。
そして、少女はレオンハルトに手を差し出して明るく笑う。
「さぁ、帰ろ。あなたの家族のところに連れて行ってあげる」
少女はレオンハルトを森から連れ出し、護衛の元へと返してくれた。
「君の名前は?」
別れ際に、思わず尋ねる。
「エレナ! エレナ・フォン・ローゼンバーグ」
後に、地方領主の娘だと知った。
レオンハルトが王都に帰ってからも、少女の笑顔がしばらく頭から離れなかった。
いつかきっと、良い国王になれたらあの子に……。
*
「……あの子は、私の世界を広げてくれました」
レオンハルトは遠い目で語る。
「だから、ずっと特別なんです」
父王は、静かに頷いた。
「お前の気持ちはわかった。もし二人の関係が、うまくいかなければ……」
「その時は、私が彼女を迎えに行きます」
王太子の瞳が強い決意に輝く。
「あの日、約束しましたから」
彼は少し微笑む。
「それに……彼女には幸せでいてほしい」
父王は、苦笑混じりに言った。
「そうか……ただな」
面白そうに口元を緩めると、可愛い息子に警告をする。
「本気になったジャックを相手にするのは、なかなか大変だぞ」
「心得ています」
レオンハルトは苦笑いをしながら頷いた。
「叔父上の恋路を、卑怯な形で邪魔するつもりはありません。ただ……」
「ただ?」
「いつか、正々堂々とチャンスが巡ってきたなら――」
王太子は、意味ありげに微笑んだ。
その胸に宿る想いは、十年経った今も消えてはいなかった。




