第三話:強引な王弟殿下
翌朝、私は鏡の前に座っていた。
「エレナお嬢様、今日も控えめに仕上げますね」
専属侍女のマリアが、いつものように丁寧に化粧を施していく。
普段から、目立たぬよう工夫してもらっているのだ。
「ありがとう、マリア」
鏡に映るのは、確かに美しい少女だった。
透き通るような白い肌。
蒼と薄紫の瞳は、淡い光を宿している。
白金色の髪は月明かりのように柔らかく、風に揺れるたび淡く輝いた。
儚さと気品を併せ持つその姿は、人の目を惹きつける。
(私、かなりの美少女よね)
けれど、結婚にはまったく興味がなかった。
前世の家族の記憶が残る限り、新しい伴侶を迎える気にはなれない。
「さて、今日も領地経営の草案を……」
伯爵家の執務室へ向かう途中、父に呼び止められた。
「エレナ、昨夜の舞踏会はどうだった?」
「お父様、特に問題はありません。ただ……」
言いかけて、少しだけ躊躇する。
「王弟殿下と、少しお話しする機会がありました」
父の表情が、ほんの一瞬だけ強張った。
「……そうか。殿下は何をお聞きになった?」
「え、えっと……特に大事なことは何も……」
(いや、大事すぎるでしょ……私の『クソッタレ』発言!)
「そうか、王家の方なら事情を知ってくれてはいる。だが、気をつけなさい。お前の本当の才能が外部に知られれば、身に危険が及ぶかもしれない」
本気で心配してくれている父の表情に、私は内心で苦笑した。
下水道整備に宅配システム、教育制度の拡充。
前世の知識をもとに提案した改革案は、気づけば次々と形になっている。
もちろん、前世の知識を全て明かしているわけではない。
内容によっては父や兄の発案という形で処理してもらっている。
ただ、改革の裏で私が動いていることは、王家をはじめとする一部の重鎮のみが知る話らしい。
初めて聞かされた時は、さすがに驚いた。
ただの主婦だった私が、いつの間にか国家機密扱いである。
*
数日後、突然の訪問者があった。
「エレナ・フォン・ローゼンバーグ嬢」
門前に止まったのは、黒塗りの豪奢な馬車。
扉が開き、姿を現した人物を見て息を呑む。
「王弟殿下……」
予想外の訪問に、母と兄の顔色が一気に青ざめた。
「突然の訪問、許して欲しい」
殿下は完璧な礼節で一礼する。
母が慌てて応接室へ案内しようとすると、殿下は静かに首を横に振った。
「構わない、伯爵夫人。大げさなもてなしは不要だ」
そう言って殿下は私へ視線を向けた。
「エレナ嬢と二人で話がしたい」
母は困惑しながらも頷く。
私は殿下を応接室へ案内した。
向かい合って腰を下ろした瞬間、殿下は前置きもなく切り出した。
「噂には聞いていたが……ここまでとは思わなかったよ」
心臓が跳ねた。
殿下の瞳は、まるで珍しい宝物を見つけた子どものように好奇心に輝いている。
「その美しさを持ちながら、なぜ目立たぬよう振る舞っているのか。……たとえば、その化粧」
思わず息を呑んだ。地味に見せる工夫まで見抜かれている。
「私は……この化粧を好んでおります」
そう無難に答えると、殿下は小さく微笑んだ。
「いや、責めているわけではない。ただ、興味深いと思っただけだ」
そして、その視線がわずかに熱を帯びる。
「それと、もう一つ」
殿下は立ち上がり、机へ手をついた。
正面から向けられる真っ直ぐな眼差しに、思わず背筋が伸びる。
「下水道整備や教育制度の改革については報告を受けている」
一度言葉を区切り、殿下は静かに続けた。
「だが、それだけではないだろう。兵の配備や治安維持、法整備にまで関わっているのではないか?」
(まずい……全部バレている……)
私は思わず手を握りしめた。
「いえ……父や兄の領地運営について、少々助言をしただけです」
声が、わずかに小さくなる。
殿下は眉を寄せ、じっと私を見つめた。
「助言、か」
低く呟く。
「伯爵家の内部書類を拝見したが、あれは広範囲にわたる改革案だった。普通の令嬢の“助言”とは思えない」
(ひぃ……完全に見抜かれてる……)
「恐縮です。あくまで父と兄の案を元に作成したものです。私の力など微々たるものです」
しばしの沈黙が落ちる。
やがて殿下は、どこか嬉しそうに口を開いた。
「いや……書類の具体性や現実性、それに判断の速さ。どれも君自身が積み重ねてきた知識と経験の結果だろう」
その瞳には感心と強い興味が宿っていた。
まるで私の答えを待つのではなく、すでに確信しているかのように。
(ああ……もうごまかせない)
重い沈黙が、二人の間に落ちた。
そのとき。
「お時間です、団長」
副官の声が、張り詰めた空気を切り裂く。
「……わかった」
殿下は視線を外し、立ち上がった。
「今日はここまでにしておこう。君のことを、もっと知りたくなった」
ふと、殿下が低く囁く。
「――また近いうちに会おう。楽しみにしている」
熱を帯びた眼差しのまま、私の手を取り、甲に口づける。
殿下はそのまま去っていった。
私は手の甲の熱さに困惑する。
(イ、イケメンの圧が強すぎる……どうしよう……)
*
翌日。
父は一通の書簡を手に、複雑そうな表情を浮かべていた。
「陛下から、王弟殿下との正式な婚約の申し込みが届いた」
一瞬、意味が理解できなかった。
(……え?なにそれ。冗談……じゃないよね?)
母も目を丸くしたまま、言葉を失っている。
「昨日、陛下に直訴したそうだ。『自分がエレナと結婚する』と――」
父はそこで言葉を切り、深く息を吐いた。
「話が早すぎる……」
さすがの父も、この急展開には驚きを隠せないらしい。
「だが断ることは難しい……。この話、お受けするぞ」
私は小さく頷いた。
「まさか、エレナが王弟妃になるとは……」
信じられないといった様子で父が呟く。
私は昨日向けられた熱を帯びた眼差しを思い出した。
あの時点で、ある程度の覚悟はしていた。
内心でそっとため息をつきながら、逃げ道のない現実を受け入れることにした。
*
その日の夕方、ジャック殿下が再び我が家を訪れた。
玄関ホールで私を見つけるなり、殿下は柔らかな笑みを浮かべた。
「……本当によかった。受け入れてもらえて嬉しいよ」
安堵の滲む声に、胸が小さく揺れる。
(返事をしたらすぐに来られた。忙しいお方なのに……)
戸惑う私の前で、殿下は迷いなく片膝をついた。
その仕草は堂々としているのに、どこか切実で――目が離せない。
「君に拒まれたらどうしようかと、ずっと落ち着かなかった。君と婚約できると知った瞬間、会いに来ずにはいられなかったんだ」
真っ直ぐに見上げてくる碧の瞳は、冗談や戯れではないと語っていた。
「こんな気持ちは初めてだ。君のことばかり考えてしまう」
そっと差し出された手が、壊れ物に触れるかのように優しく私の指先へ触れる。
「幸せにする。エレナ嬢」
その言葉は誓いのように胸に落ちた。
胸の鼓動が一気に速くなる。顔が熱い。
(ちょっと待って。展開が早すぎませんか――!?)




