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第三話:強引な王弟殿下


翌朝、私は鏡の前に座っていた。


「エレナお嬢様、今日も控えめに仕上げますね」


専属侍女のマリアが、いつものように丁寧に化粧を施していく。

普段から、目立たぬよう工夫してもらっているのだ。


「ありがとう、マリア」


鏡に映るのは、確かに美しい少女だった。


透き通るような白い肌。

蒼と薄紫が溶け合う瞳は、淡い光を宿している。

白金色の髪は月明かりのように柔らかく、風に揺れるたび淡く輝いた。


儚さと気品を併せ持つその姿は、否応なく人の目を惹きつける。


(自分でもわかってる。私、結構……いや、かなりの美少女よね)


けれど、結婚にはまったく興味がなかった。

前世の家族の記憶が残る限り、新しい伴侶を迎える気にはなれない。


「さて、今日も領地経営の草案を……」


伯爵家の執務室へ向かう途中、父に呼び止められた。


「エレナ、昨夜の舞踏会はどうだった?」


「父上、特に問題はありません。ただ……」


言いかけて、少しだけ躊躇する。


「王弟殿下と、少しお話しする機会がありました」


父の表情が、ほんの一瞬だけ強張った。


「……そうか。殿下は何をお聞きになった?」


「え、えっと……特に大事なことは何も……」


(いや、大事すぎるでしょ……私の『クソッタレ』発言!)


「くれぐれも気をつけなさい。お前の才能が知られれば、国中が放ってはおかないだろう」


父の真剣な表情に、内心で苦笑する。

下水道整備、宅配システム、教育制度の拡充――私の提案した改革案が、次々と形になっているのだから無理もない。



数日後、突然の訪問者があった。


「エレナ・フォン・ローゼンバーグ嬢」


門前に止まったのは、黒塗りの豪奢な馬車。

扉が開き、姿を現した人物を見て息を呑む。


「王弟殿下……」


予想外の訪問に、母と兄の顔色が一気に青ざめた。


「突然の訪問、お許しください」


殿下は完璧な礼節で一礼する。


母が慌てて応接室へ案内しようとすると、殿下は静かに首を横に振った。


「構わない。伯爵夫人、私用で伺っている」


そして、私へと視線を向ける。


「エレナ嬢、少しお時間をいただけるかな?」


内心パニックになりながらも、私はジャック殿下を応接室へ案内した。


向かい合って腰を下ろした瞬間、殿下は前置きもなく切り出す。


「エレナ嬢。君は……本当に多くのことを胸の内に秘めているのだね」


心臓が跳ねた。


「その美しさを持ちながら、なぜ目立たぬよう振る舞っているのか。……たとえば、その化粧も」


思わず息を呑む。

地味に見せる工夫まで、見抜かれている。


「私は……この化粧を好んでおります」


そう答えると、殿下は小さく微笑んだ。


「いや、責めているわけではない。ただ、興味深いと思っただけだ」


そして――その視線が、静かな熱を帯びた。


「それと、もう一つ」


殿下は立ち上がり、机越しに私を見下ろした。


「君は伯爵領で、何をしている?」


その圧に、背筋が自然と伸びる。


「下水道整備、宅配ネットワーク、全児童への教育制度。……本当に、君が考えたのか?」


(うわ……全部把握されてる……)


私は思わず手を握りしめた。


「いえ……父上や兄の領地管理について、少々助言をしただけです」


声が、わずかに小さくなる。


殿下は眉をひそめ、じっと私を見つめた。


「助言、か。提出された提案書を拝見したが、あれは広範囲にわたる改革案だ。――普通の令嬢の“助言”ではない」


(ひぃ……完全に見抜かれてる……)


「恐縮です。あくまで父上と兄の案です。私の力など、微々たるものです」


しばしの沈黙。


殿下は、どこか嬉しそうに確信を込めて告げた。


「いや……書類の具体性や現実性、それに判断の速さ。どれも、君自身が積み重ねてきた知識と決断の結果だろう?」


感心と強い興味、そして隠しきれない好意が滲む眼差し。


(ああ……もう隠しきれない)


沈黙が、重く二人の間に落ちた。


そのとき。


「お時間です、団長」


副官の声が、張り詰めた空気を切り裂く。


「……わかった」


殿下は視線を外し、立ち上がった。


「今日はここまでにしておこう。君の工夫については、いずれ改めて聞かせてもらう」


そして、ふと低く囁く。


「――また近いうちに会おう。楽しみにしている」


熱を帯びた眼差しのまま、私の手を取り、甲に口づける。


殿下はそのまま去っていった。


(イ、イケメンの圧が強すぎる……どう切り抜ければいいの……)



翌日。


父は一通の手紙を読み上げた。


「陛下から、王弟殿下との正式な婚約の申し込みが届いた」


一瞬、意味が理解できなかった。


(……え? なにそれ。冗談……じゃないよね?)


母は青ざめ、言葉を失っている。


「昨日、陛下に直訴したそうだ。『自分がエレナと結婚する』と――」


父は眉をひそめ、手紙を握りしめた。


「まさか、ここまで強引とは思わなかった」


私は内心でそっとため息をつき、逃げ道のない現実を受け入れた。



その日の夕方。


思いがけず、ジャック殿下が再び我が家を訪れた。


玄関ホールで私を見つけるなり、殿下はまるで長い間探し続けていた宝物を見つけたかのように、柔らかな笑みを浮かべた。


「よかった……本当によかった。受け入れてもらえて嬉しいよ」


安堵が滲む声に、胸が小さく揺れる。


(……返事したらすぐ来た。仕事とかどうしてんの!?)


戸惑う私の前で、殿下は迷いなく跪いた。

その仕草は堂々としているのに、どこか切実で――目が離せない。


「君に拒まれたらどうしようかと、ずっと落ち着かなかった」


低く甘い声が、静かに響く。


「こんな気持ちは初めてだ。君のことばかり考えてしまう」


真っ直ぐに見上げてくる銀の瞳は、冗談や戯れではないと語っていた。


「幸せにする。エレナ嬢」


そっと差し出された手が、まるで壊れ物に触れるかのように優しく私の指先に触れる。


「君が笑ってくれるなら、どんなことでもする」


その言葉は誓いのようで、胸の奥に静かに落ちていく。


「焦っているのは分かっている。だが……どうしても待てなかった」


困ったように微笑む表情が、ひどく甘い。


「君を手に入れられると知った瞬間、会いに来ずにはいられなかったんだ」


その瞳には、確かな熱が宿っていた。


(ちょっと待って。展開が早すぎませんか――!?)


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