挿入話その二:奪われる前に(ジャック視点)
扉が開く前から、ジャックは理解していた。
今日で終わらせる。すべてを。
遠回りも、猶予も、常識も――必要ない。
エレナが婚約者だと周知されればいい。
ただ、それだけの話だ。
だから即座にプロポーズした。
だから即座に婚約式を決めた。
周囲が何と言おうと関係ない。
(遅すぎたくらいだ)
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大聖堂の扉が開く。
光が流れ込み、ざわめきが広がる。
そして、彼女が現れた。
――息が止まった。
知っていた。
彼女が美しいことは、ずっと前から知っていた。
だが。
磨かれ、飾られ、光の中を歩くその姿は――
想定を遥かに超えていた。
「……誰だ?」
「噂の伯爵令嬢か?」
「信じられん……」
ざわめきが広がる。
男も女も、貴族も聖職者も、
すべての視線が彼女に向かっている。
その瞬間、胸の奥が冷えた。
(……見るな)
(それ以上、見るな)
今さら理解する。
自分が何を恐れていたのか。
だから急いだ。
だから今日にした。
――ついに。
世界に知られてしまった。
エレナの美しさが。
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赤絨毯を歩いてくる。
俯きたいのを必死に堪えているのがわかる。
緊張でわずかに震える指も。
(可愛い)
(駄目だ)
(これは駄目だ)
視線が刺さる。
羨望。嫉妬。欲望。打算。
すべてが彼女へ向いている。
父伯爵が手を引き渡す。
その瞬間、理性が切れた。
細い指を掴む。
温かい。逃げそうだ。
衝動のまま口づける。
「俺だけのものだ」
静寂。
凍りつく聖堂。
驚愕する聖職者。
息を呑む貴族たち。
(どうでもいい)
視線も噂も礼儀も常識も、すべてどうでもいい。
この手だけ離さなければいい。
エレナが慌てている。
困っている。
頬が赤い。
(可愛い)
薬指を撫でる。
無意識だった。
彼女が小さく震える。
(逃がさない)
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宣誓が進む。
拍手が響く。
婚約は成立した。
――だが。
胸の奥の不安は消えない。
むしろ膨らんでいく。
(知られてしまった)
今日この瞬間、王国中に知れ渡った。
エレナの美貌。
エレナの存在。
エレナの価値。
遅い。
婚約では足りない。
全然足りない。
(――奪われる前に)
伯爵邸にいる。
自分の手の届かない場所にいる。
それが、耐えられない。
拍手の中、笑顔を作る。
王族として完璧に。
心は、結論を出していた。
――翌日から王弟邸に住まわせる。
決定だ。
反対は許さない。
説得ではなく決定。
婚約は終わった。
だが、これは始まりに過ぎない。
エレナの手を握ったまま、誰にも聞こえない声で呟く。
(もう離さない)




