挿入話:逃した魚は大きい(レオンハルト視点)
――逃した魚は、あまりにも大きかった。
レオンハルトは、最初からわかっていた。
エレナが、ただ地味なだけの令嬢ではないことを。
静かに微笑むときの佇まい、言葉を選ぶ癖、視線の奥に宿る澄んだ芯。
磨けば、必ず光る――そんな確信は、ずっと胸のどこかにあった。
だからこそ、油断していたのかもしれない。
(……ここまでとは、思っていなかった)
大聖堂の扉が開いた瞬間、レオンハルトは文字通り、息を失った。
光の中を進んでくるエレナは、彼の想像を、はるかに超えていた。
隠されていた美しさが、正しく整えられた時、これほどまでに人の視線を奪うのか。
月光を溶かしたような髪。
伏せられた睫毛の奥で揺れる、蒼と薄紫の神秘的な瞳。
飾られてなお、主張しすぎない気品。
(……そうだった)
彼女は変わったのではない。
本来の姿が、ついに露わになっただけだ。
ざわめく参列者たちの声が、遠くに聞こえる。
「……あれは誰だ?」
「……美しい」
「あれが地味だと言われていた令嬢?」
遅い。
その言葉を口にするのが、遅すぎる。
そして、決定的だったのは。
父伯爵から手を引き渡された、その瞬間。
叔父が、一切の迷いもなく、彼女の手を取ったこと。
それは儀式の一部ではなかった。
形式でも、義務でもない。
強烈な所有欲。
そして、指先への口づけ。
「俺だけのものだ」
低く、確信に満ちた声。
レオンハルトの背筋を、冷たいものが走る。
(……ああ)
その一言で、すべてを理解してしまった。
叔父は、彼女を手に入れようとしているのではない。
守ろうとしているのでもない。
すでに、深く、彼女の心に入り込んでいる。
視線を向けると、ジャックの指が無意識のまま、何度もエレナの薬指を撫でている。
独占。
執着。
(……間に合わなかったな)
胸の奥が、鈍く痛んだ。
気づいてはいた。
だが、深く踏み込まなかった。
静かな令嬢だからと、距離を保ち、見守る側に回った。
その結果が、これだ。
エレナは今、叔父の隣で、光の中に立っている。
レオンハルトは、そっと視線を伏せた。
祝福の拍手が響く中、胸に残ったのは、形にならなかった感情と、今さら消せない未練。
(逃した魚は大きい、なんて言葉じゃ足りないな)
最初から、手を伸ばす覚悟のない者に、触れられる相手ではなかった。
それを理解したときには、すでに――遅すぎた。




