第四十八話:光へと続く道
エレナが目覚めてから、数日が経った。
まだ万全とは言えないものの、彼女の周囲には穏やかな時間が戻りつつある。そんな中、ひとりの来客が訪れていた。
「……何の用だ」
ジャックが露骨に不機嫌な声音で言い放つ。
視線の先に立つのは、肩をすくめて苦笑するリヒトだった。
「相変わらずですね。少しくらい歓迎して下さいよ」
呆れたように返しながらも、その表情にはどこか気安さがある。
「ほらよ。嬢ちゃんに渡してくれと、ガキ共に頼まれてな」
そう言って差し出されたのは、小さな手で折られた色とりどりの折り紙と、不揃いな文字で書かれた手紙の束だった。
それを受け取った瞬間、エレナの表情がぱっと明るくなる。
「みんな……うれしい」
そっと胸に抱き寄せ、一つひとつを大切そうに見つめる。指先で紙の感触を確かめるように撫でながら、自然と頬が緩んでいく。
リヒトは再開発地域のまとめ役を離れた後も、折に触れて孤児院を訪れ、子どもたちの様子を見守っていたのだ。
そのささやかな繋がりが、こうして形となって届いている。
「元気になったら、必ず孤児院のみんなに会いに行きますね!」
弾むような声でそう言い、エレナは贈り物をぎゅっと抱きしめた。
その無邪気な喜びを見つめるジャックの表情も、自然と和らいでいく。先ほどまでの刺々しさは影を潜め、ただ静かに、その様子を見守っていた。
ふと、エレナの表情に影が差す。
「……そういえば」
手元の手紙に視線を落としたまま、静かに口を開いた。
「マリアとエリカの容態は……?」
その声音には、抑えきれない不安が滲んでいる。
「命に別状はないと聞きましたが……怪我は大丈夫なのでしょうか。私、二人に会いたいです……」
寂しそうに揺れる瞳。
その言葉を受け、ジャックはわずかに考え込むように沈黙した。
リヒトもまた、どこか気まずそうに視線を逸らす。
一瞬の間。
――話していいのか。
そんな問いを含んだ視線を、リヒトがジャックへと向ける。
ジャックは短く、しかし確かに頷いた。
「……嬢ちゃん、実はな」
リヒトが静かに口を開く。
「マリアは回復に向かってる。もうすぐ会えるはずだ」
できるだけ穏やかに告げる。
だが――その先の言葉は、どうしても重くなる。
「……だが、エリカは――」
そこで言葉が途切れた。
エレナの瞳が大きく見開かれる。
驚きに息を呑み、思わずジャックへと視線を向ける。
そして――
*
公文書管理局――第二収蔵庫。
そこは“影”と呼ばれる者たちの、表向きの職場である。
外から見ればただの書庫。しかしその奥には、王国の裏側を支える者たちの拠点となっていた。
局長の執務室。
そこに、エリカは呼び出されていた。
身体はようやく動くようになったばかりだが、問題はない。すでに覚悟は、できている。
――理由は、分かっている。
護衛任務の失敗。
追跡魔法の付与には成功した。だが主のエレナは連れ去られ、死の淵を彷徨った。
――それは、ただ偶然助かったに過ぎない。
守れなかった――ただ、それだけだ。
その事実だけが、何よりも重く胸に沈んでいる。
影の掟は絶対だ。
主の命を守れなかった者は、自らの命をもって償う。
まして今の自分は、魔力すら失っている。
価値など、ない。
ならば――
どのような処罰であろうと、受け入れるのみ。
エリカは静かに目を伏せた。
やがて、机の向こうに立つ男――影の長マックスが口を開く。
「……お前は今後、“影”として生きていくことは叶わない」
淡々と告げられる宣告。
予想通りの言葉だった。
だが、わずかな間を置いて、続く。
「正式に――エレナ様の護衛侍女となる」
「……っ!?」
エリカは思わず顔を上げた。
言葉を失う。
「魔力は失っても、体術は問題ない。通常の相手であれば、十分にお守りできる」
冷静な評価。
だが、それ以上に。
「……何故、任務に失敗した私が……」
思わず零れた言葉。
自分でも止められなかった。
マックスはわずかに目を細める。
「エレナ様が、主様に掛け合われた」
静かに告げる。
「お前を専属侍女にしたい、と」
その一言が、胸の奥へと落ちていく。
「未来の王弟妃に仕える者として、相応の働きをせよ」
そして――
「お前は今後、“表”でエレナ様を守れ」
それが、最後の命令だった。
厳格な声音の奥に、わずかな温かさを感じた。
それに気づいた瞬間、張り詰めていたものが崩れた。
「っ……謹んで、お受けいたします……」
声が震えた。
抑えきれず、涙が零れ落ちる。
影は、裏の世界に生まれ、闇の中で生きる者がほとんどだ。
名もなく、記録も残らず、ただ消えていく存在。
エリカもまた、そうして終わるのだと思っていた。
誰にも知られず、名も刻まれぬまま。
だが――
彼女は違う。
魔力を失いながらも、仕えるべき主を得た。
“影”としてではなく、“侍女”として。
光の下で、誰かを守るという、新たな生を。
その意味を、噛み締めるように胸へと刻みながら――エリカは静かに頭を垂れる。




