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第四十四話:導きの声

生命力のほとんどを失ったエレナは、生と死の狭間を彷徨っていた。

意識は深く沈み、現実の感覚は遠のいていく。


その中で、ひとつの夢を見ていた。


前世の記憶――穏やかで、温かな時間。


春の日差しの下、家族で囲む花見の席。

満開の桜が空を覆い、風が吹くたびに花びらがひらひらと舞い落ちてくる。


毎年変わらず、同じ場所で、同じように笑い合っていた。


屋台でチョコバナナばかりねだる娘に、つい苦笑してしまう自分。

まだ飲むのかと呆れたように睨むと、苦笑いでごまかす夫。


何でもない、ありふれた光景。

けれどそれは、かけがえのない日常だった。


舞い散る桜を見上げながら、ふと思う。


――散りゆく姿は、どうしてこんなにも美しいのだろう。


胸の奥に、静かな感情が広がる。


そのとき。


遠くから、誰かの声が聞こえた。


最初は微かなざわめきのようだったそれは、やがてはっきりと形を持ちはじめる。

幾重にも重なった、幼い声。


――ねぇ、どうしてまだそこにいるの?

――そろそろ行こうよ。

――生まれ変わったら、また遊んでくれるんでしょう?

――はやくお菓子が食べたいなぁ。

――私はお歌が聞きたいな!


無邪気で、楽しげで、どこか甘く誘うような声だった。


たくさんの子どもたちが、呼んでいる。


エレナはその声に導かれるように、ゆっくりと歩き出す。


進んだその先に――ひとりの子どもが立っていた。


銀色の髪が、やわらかな光を受けて揺れている。

どこか懐かしい面影。胸の奥が、微かに疼く。


その子は、無邪気な笑顔でエレナに声をかけた。


「パパが待ちくたびれてるよ!急がなきゃ」


くすくすと、楽しげな笑い声が重なる。

周囲の子どもたちも、それに釣られるように笑い出した。


――遠くで、大好きな人が呼んでいる気がした。


柔らかな光が、あたりを満たしていく。


やがて――


エレナの視界は、ゆっくりと白く染め上げられていった。



「エレナっ!!」


深い淵から浮かび上がるように、エレナは重い瞼をゆっくりと押し上げた。


霞む視界の中で、真っ先に飛び込んできたのは――ジャックの顔だった。


自分の姿をその瞳に映した瞬間、ジャックは息を呑んだように目を見開く。


そして次の瞬間、その整った顔立ちは、今にも感情が溢れ出してしまいそうなほど、くしゃりと崩れた。


「……あ……」


エレナは何かを伝えようと唇を震わせた。


けれど、そこから零れたのは、かすれた空気のような音だけだった。


「無理をするな」


かすかにそう呟くと、ジャックは逸る心を押さえ込むように水差しへ手を伸ばす。


震える手で杯に水を満たし、零さぬよう慎重に――まるで壊れ物に触れるような優しさで、エレナの唇へと運んだ。


冷たい水が喉を通り、少しずつ呼吸が整っていく。


ようやく息をつき、エレナは改めてジャックを見上げた。


その姿を確かめた瞬間、堪えていたものが一気に溢れ出す。


涙が、静かに頬を伝った。


「うれしい……また……あなたに……会えた……」


かすれる声で紡がれたその言葉は、死の淵から戻り、もう一度彼に会えたことへの実感そのものだった。


「……ああ……エレナ……」


ジャックの声は低く、わずかに震えていた。


そっと伸ばされた手が、優しくエレナの頬を撫でた。


その温もりに、エレナは安堵したように目を細める。


そっと頬を寄せ、確かめるようにその手に触れた。


伝えたいことは、いくらでもあった。


言葉にしたい想いも、溢れ返るほど胸の内にある。


それでも――今は、それで十分だった。


ただ、見つめあうだけで、すべてが伝わる。


その瞳の奥には、言葉よりも確かなものが宿っていた。


揺るぎない愛情と、決して失われない信頼。


「エレナ……愛している」


ジャックが、静かに、だが何度も繰り返す。


「……愛している。心から」


確かめるように、刻み込むように。


その想いに応えるように、エレナは震える指先に力を込める。


まだ思うように動かない手で、それでも必死に――ジャックの手を握りしめた。


確かな温もりが、そこにあった。


死の淵からの帰還。


それは、愛という名の執着が引き寄せた――ひとつの奇跡だった。


一人の少女が息を吹き返したことで、血に染まりかけていた殲滅の歯車は、静かにその動きを止める。


そして物語は――すべての因縁を決着させるための、最終局面へと向かっていく。


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