第三十九話:命のリミット
エレナの寝室は、息を潜めたような静寂に包まれていた。
厚いカーテンに遮られた光が、室内を淡く満たしている。
その中心――寝台の上に、エレナは横たわっていた。
まるで時そのものから切り離されたかのように、ただ、そこに在るだけの静かな姿。
その傍らに、ジャックとレオンハルト。
そして、寝台の脇に立つヴィルヘルムが、静かに手をかざした。
次の瞬間。
淡い光が空間に広がり、複雑に絡み合う魔法陣が浮かび上がる。
幾重にも重なった紋様は緩やかに回転しながら、エレナの身体を包み込むように展開していく。
それは時間そのものへ干渉する、繊細かつ高度な術式だった。
――停止していた流れが、ほどけていく。
わずかに。
ほんの、かすかな変化。
エレナの胸が、微かに上下する。
遅れて、か細い呼吸音が室内に届いた。
「……エレナ」
ジャックの口から、押し殺したような声が零れる。
張り詰めていたものが、わずかに緩む。
その表情に、安堵の色が浮かんだ。
そっと手を伸ばし、彼女の頭に触れる。
壊れ物に触れるような、慎重で優しい手つきだった。
「師匠……エレナ嬢に回復魔術を施すのは、やはり……」
レオンハルトが、言葉を選ぶように問いかける。
その視線はエレナに向けられたまま、離れない。
ヴィルヘルムは、すぐには答えなかった。
わずかな沈黙ののち、低く口を開く。
「……回復魔術とは、本来――」
視線を落とし、静かに続ける。
「術者が対象の生命力を触媒として、細胞を活性化させる術式だ」
その声音には、説明以上の重みがあった。
「今のエレナは、その生命力の大半を失っている」
言葉が、重く沈む。
「ここで無理に回復を施せば……残されたものすら削り取ることになるだろう」
その声音の奥に、やり切れなさがわずかに滲む。
レオンハルトは、言葉を失ったまま、唇を引き結んだ。
「……あとは、エレナ次第だ」
ヴィルヘルムはそう結ぶ。
そして――
一瞬だけ、ためらうように視線を伏せる。
だがすぐに顔を上げ、まっすぐジャックを見据えた。
「王弟よ」
静かに呼びかける。
わずかな沈黙。
「……一週間だ」
その言葉は、短く、そして決定的だった。
「それまでに目覚めなければ――」
わずかに間を置く。
「エレナの生命力は、完全に枯渇する」
室内の空気が、凍りつく。
レオンハルトが、はっと目を見開いた。
理解が追いつくと同時に、その意味が胸に落ちてくる。
――残された時間は、あまりにも短い。
「……そうか」
ジャックは、ただ一言、そう答えた。
その表情は変わらない。
動揺も、悲嘆も、外には現れない。
だが――
エレナの頭を撫でるその手だけが、変わらずそこにあった。
ゆっくりと、確かめるように。
まるで、彼女がここにいることを、何度も確かめるかのように。
触れるたびに、失いかけたものを引き留めようとするように。
静かな部屋の中で。
その仕草だけが、言葉にならない想いを、確かに語っていた。




