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第三十六話:因果応報の呪術師

※本話には残酷な描写が含まれます。苦手な方はご注意ください。

ヴァルデンライヒ王宮――その一角に設けられた騎士団の訓練所。

鋼のぶつかる乾いた音と、掛け声が響くその奥に、外界とは切り離されたような静寂の区画がある。


取り調べ室。

そして、そのさらに奥――“特別な手段”を用いるための部屋。


拷問室。


分厚い扉に隔てられたその空間に、カミラは拘束されていた。


両手両足は厳重に固定され、首元には魔封じの魔道具が嵌められている。

魔力の流れを断ち切るそれは、術者にとっては手足をもがれたに等しい拘束具だ。


だが――


その瞳には、未だ怯えも、諦めも浮かんでいなかった。


(……助けは来る)


そう信じて疑わない、歪んだ確信だけが、静かに宿っている。


その正面に立つのは、ジャック。

冷え切った視線を一切揺らさず、ただ無言でカミラを見下ろしていた。


その隣には、ヴィルヘルムとレオンハルト。

いずれも一歩引いた位置から、感情を排した観察者のように場を見据えている。


「……公国の大使館に連絡をして下さい」


先に口を開いたのはカミラだった。

声はかすかに掠れているが、その響きにはまだ余裕が残っている。


「私は正式に取り調べを受ける権利があります」


法と立場に縋るその言葉。

だが――


「お前の魔力を暴走させる」


ジャックは一切取り合わず、淡々と告げた。


「呪いなど成せぬようにな」


それは宣告だった。

交渉でも、脅しでもない。ただの“決定”。


カミラの顔色が、初めて明確に変わる。


(……まさか)


理解してしまったのだ。

これから自分に何が行われるのかを。


「ふむ、では始めるか」


ヴィルヘルムが静かに言い、僅かに顎を引く。


合図だった。


次の瞬間――


パキッ。


乾いた音が、室内に響いた。


ジャックが、迷いなくカミラの指を折ったのだ。


躊躇も、逡巡もない。

まるで定められた手順をなぞるかのような、無機質な動作。


パキッ、パキッ、と。


骨の砕ける音が、規則正しく続いていく。


「ぐっ……!」


カミラの喉から、押し殺した呻きが漏れる。

だが悲鳴にはならない。意地か、あるいは矜持か――必死に堪えている。


「次は腕を折る」


ジャックは視線一つ動かさず、淡々と続けた。


その声音に、怒りも憎しみもない。

ただ、目的のために必要な工程を消化しているだけの響き。


骨が軋み、やがて鈍い破砕音が響く。


室内に満ちるのは、痛みの気配と、それを観察する冷たい沈黙。


ヴィルヘルムも、レオンハルトも、表情を変えない。

そこにあるのは同情ではなく、為政者としての判断のみだった。


――ここには、情けを差し挟む者はいない。



時間の感覚が曖昧になる頃、カミラの姿は見る影もなかった。


整っていたはずの顔立ちは崩れ、額には脂汗が滲み、呼吸は乱れきっている。

喉の奥から漏れる声は、もはや言葉ではなく、獣のような低い呻きに変わっていた。


それでもなお、意識は手放していない。


(……まだ……終わらない……)


その執念だけが、辛うじて彼女を繋ぎ止めている。


そして――


変化が、訪れた。


微かに、だが確かに。

彼女の内側で、何かが軋み始める。


魔力の流れが、乱れている。


本来ならば術式によって精密に制御されているはずのそれが、

傷ついた肉体と精神に引きずられるように、均衡を崩しつつあった。


「……来たか」


ヴィルヘルムが低く呟く。


その瞳は冷徹なまでに現象を見極め――僅かに細められた視線は、獲物の最期を見定める捕食者のそれに近かった。


――ここからが、本番だ。


カミラは、呪いの媒体を外部に頼らなかった。

魔道具ではなく――自らの肉体そのものを、術式の器としていたのだ。


より強く、より多く。

呪いを重ね、拡張し、自在に操るために。


だが、それは同時に――逃げ場を失うことを意味していた。


制御を失った瞬間、そのすべては、己の内へと還る。


やがて。


彼女の全身に、黒い術式が浮かび上がる。


「魔術紋を……身体中に刻んでいたのか……」


レオンハルトが低く呟く。

驚きはある。だがそれ以上に、その術式の異常さを即座に理解した声音だった。


皮膚の内側から滲み出るように、複雑に絡み合った紋様が浮上し、それは次第に強く、禍々しい光を放ちはじめた。


脈動している。

まるで、生き物のように。


「――っ」


カミラが悲鳴を上げようと、口を開く。


だが――


そこから零れ落ちたのは、声ではなかった。


どろり、と。


粘ついた黒い液体が、喉の奥から溢れ出す。


「……ぁ……あ……」


言葉にならない音が漏れる。


呪いが、内側から彼女を侵し始めていた。


「ぎぃやぁぁぁあああああっ!」


ようやく形を成した悲鳴が、室内に響き渡る。

それは人の声というより、もはや壊れた何かだった。


「どうだ。呪いの効果は薄れてきたか」


ジャックが、振り返ることなく問う。


その視線は、ただ一点――苦しむカミラではなく、その先にある“結果”を見据えている。


「……もう少しだな」


ヴィルヘルムは短く答えた。

その瞳は冷静に現象を追い、わずかな変化すら見逃していない。


「……『呪詛返し』とは、これほどまでのものですか」


レオンハルトが静かに言う。

その声には、恐怖ではなく、純粋な観察者としての関心が含まれていた。


肉体が限界を迎えつつある。


皮膚は黒ずみ、まだらに変色し、

艶やかだった黒髪は、急速に色を失い、乾いた白へと変わっていく。


呼吸は乱れ、やがて途切れ、

身体は、糸が切れたように力を失った。


――動かない。


完全な静止。


「……終わったか」


ヴィルヘルムが、わずかに息を吐く。


「これで呪いは解けた。エレナに施された術も、同時に解除される」


静かな断定だった。


「……これで、エレナは回復するのか」


ジャックが問う。

その声は平静を装っているが、ほんの僅かに――掠れていた。


ヴィルヘルムは、一瞬だけ沈黙する。


そして、ゆっくりと首を振った。


「……失われた生命力は、戻らぬ」


言葉は短く、そして重い。


「呪いは消えた。だが、削られたものはそのままだ。あとは――」


わずかに視線を伏せる。


「エレナ自身が、それを乗り越えるしかない」


その言葉に、誰も続けなかった。


沈黙が落ちる。


重く、冷たい静寂。


ジャックは、ゆっくりと目を閉じた。


そして――


「……エレナ」


誰に向けるでもなく、名を呼ぶ。


「お前の笑顔が、恋しいな」


それは、いつもの声とはまるで違う声音だった。


ただひとりの男として、失いかけているものを想う、切なる願いが滲んでいた。


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