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第三十四話:優雅なる罠

二人は始め、たわいない会話をしていたが、カミラがエレナの話題にふれてきた。


「そういえば、エレナ様がお辛い目に遭われたとか……公女様も、ずいぶんとご心配なさっていらっしゃいました」


いかにも案じているかのように、やわらかな声音で言うカミラ。


公表はされていない。だが――あの毒を飲んで、生きているはずがない。


だからこそ、レオンハルトの反応を伺い、確証を得るためにあえてその話題を切り出した。


そして、その言葉の一つ一つが、丁寧に装われた刃のように、静かにレオンハルトの神経を撫でてくる。


レオンハルトは、胸の奥で煮えくり返る感情を、ゆっくりと押し沈めた。

――耐えろ。ここで揺れれば、負けだ。


呼吸を整え、わずかに視線を和らげながら、今度は自らが揺さぶりをかける。


「お気遣いには及びません。彼女は叔父上の庇護のもと、不自由なく過ごしていますので」


あえて穏やかに告げるその言葉に、“生きている”という事実を忍ばせる。

それをどう受け取るかは、相手次第だ。


カミラの瞳が、ほんのわずかに細められる。


(あの毒を飲んで……まだ生きているの?)


内心の動揺は表には出さない。だが、その一瞬の間を、レオンハルトは見逃さなかった。


「ご存知でしょう?あの溺愛ぶりを。側室など、到底受け入れられるはずもありません」


言外に、公女の入り込む余地はないと告げる。

穏やかな物言いの裏に、明確な拒絶を滲ませる。


「あら……王国は側室制度を見直されると伺っておりますが」


探るような問いに、


「ああ、それは先日の議会で棄却されましたよ。僕の婚約者選定についても、同様に見送られることになりました」


レオンハルトは、事もなげに答える。


その裏では、ジャックたちが推進派の貴族を徹底的に排除した結果、ようやく掴み取った結論である。

だがその経緯を語る必要はない。ただ“決まった事実”として突きつければいい。


「……!」


カミラの瞳が、明確に揺れた。


「我が国には、他国の援助など必要ありません。ましてや――側室など」


優雅に足を組み直し、不敵な笑みを浮かべる。


(さて……どう出る?)


その挑発に対し――


だが――カミラはゆっくりと、勝ち誇るような微笑を浮かべた。


「……ねぇ、レオンハルト様。私と公女ローゼマリー様は、強い絆で結ばれておりますの」


あまりにも唐突な話題の転換に、レオンハルトは内心で眉をひそめる。


「王弟殿下とレオンハルト様は、私たちと結ばれます。私とマリーは叔母と姪となり、幸せに暮らすのです。それが――私たちの物語」


その瞳が、ゆっくりとレオンハルトを捉える。


次の瞬間。


そこに、明確な“魔”の気配が宿った。


「――っ」


視界が、わずかに歪む。


レオンハルトの身体が、ぴくりと硬直した。


焦点が、合わない。


意識はある。だが、身体が言うことをきかない。

まるで見えない糸で繋がれ、操られているかのように。


「……私たちは、この場で愛を確かめ合いましたわ。このまま婚約まで話を進めてしまいましょう?」


恍惚を帯びた声で、カミラは言う。


その瞳は妖しく輝き、もはや隠す気すらない支配の色を帯びていた。


レオンハルトは、ゆっくりと――抗えぬまま、頷く。


「ふふ……やはり呪いは効いているようね。このまま王太子を媒介にして、王弟殿下にも――」


すっと腕を持ち上げる。


白い手首に、幾重にも重なる黒い魔法陣が浮かび上がる。

絡みつくように蠢くそれは、明確な“術式”――洗脳の呪い。


その手が、レオンハルトに触れようとした、その瞬間。


「成程。それが――お前の魔術か」


低く、静かな男の声が、室内に落ちた。



「っ――!?」


不意に落ちた声に、カミラは弾かれたように振り返った。


「いつの間に……!?」


そこに立っていたのは、魔道皇帝ヴィルヘルム。


室内の空気に溶け込むように立つその姿は、まるで最初から“そこに在った”かのようだった。


認識阻害の魔術――それも、極めて高度なものが用いられていたのだと、遅れて理解する。


「……師匠、止めるのが少し遅くありませんか。今のは、さすがに危なかったと思うのですが」


不服そうに口を開いたのは、レオンハルトだった。


先ほどまで操られていたはずの青年は、すでに視線の焦点を取り戻し、ヴィルヘルムを見やっている。


「なっ……意識が、あるの……?」


カミラの声に、動揺が滲む。


「呪いの種は、あらかじめ取り除いていますよ。術にかかった“ふり”を続けるのも、なかなか骨が折れましたが……」


そう言って、レオンハルトは口元にうっすらと笑みを浮かべた。

その余裕すら感じさせる態度に、先ほどまでの面影はない。


「それぐらいで不満を言うな。半人前の小僧が」


ヴィルヘルムは一蹴するように言い放つ。


レオンハルトは苦笑しながら肩を竦めたが、その視線はすでにカミラへと向けられていた。


場の空気が、完全に変わる。


もはや主導権は、完全に王国側にあった。


「――お前の術式は、確認した」


ヴィルヘルムの視線が、冷たくカミラを射抜く。


「王弟に仕込んだものと、同質のものだ」


断定。

そこに一切の迷いはない。


「加えて、王太子に洗脳の呪いを重ねようとしたな」


言葉を重ねるごとに、逃げ場が削られていく。


「……もう逃げ場はない。観念しろ」


その声音は、静かでありながら容赦がなかった。


カミラの瞳が、ぎらりと光る。


「まだ、手はありますわっ」


次の瞬間、反撃に転じようとする。


だが――


「レオンハルト」


短く名を呼ぶヴィルヘルム。


それだけで、命令は十分だった。


――この程度の相手、ひとりで制圧しろ。


言外の意図を正確に汲み取り、レオンハルトは一歩前へ出る。


「……では、お相手願いましょうか」


穏やかな声音とは裏腹に、その動きに一切の迷いはない。


次の瞬間、二人の間で魔力が激突した。


空気が軋む。

見えない圧が、室内の調度をわずかに震わせる。


カミラの指先がしなやかに動き、黒い術式が幾重にも展開される。

絡みつくような呪詛の鎖が、一直線にレオンハルトへと襲いかかった。


だが――


「遅い」


短く吐き捨てると同時に、レオンハルトの魔力が正面からそれを叩き潰す。

光の奔流が呪術を押し返し、術式ごと霧散させた。


カミラの呪術は確かに高度であり、並の魔道士では対処しきれないだろう。

だが、正面からの魔術戦となれば話は別だ。


王国随一と称される魔道士――レオンハルトの前では。


幾度かの応酬。

術と術がぶつかり合い、火花のように魔力が散る。


だが、その均衡は長くは続かない。


次の瞬間。


レオンハルトの魔力が、一段階――深く沈んだ。


「――縛れ」


静かな詠唱とともに、拘束術式が発動する。


不可視の鎖が空間そのものから伸び、カミラの四肢へと絡みついた。


抗う間もなく、その身体が拘束される。


「――っ!」


抵抗しようとするも、すでに遅い。魔力の流れは封じられ、動きは完全に奪われていた。


「これで終わりです」


静かに告げるレオンハルトの声には、もはや感情の揺れはない。


「貴女には、王国にて取り調べを受けていただきます」


一歩、間を置いて――


「もっとも……これだけのことを仕出かした以上、“穏やかなもの”になるとは思わない方がよろしいでしょう」


淡々とした言葉。だがその裏にある意味は、あまりにも明白だった。


カミラの背筋に、冷たいものが走る。


その先に待つものを、彼女は――ほどなくして、身をもって知ることになる。


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