第二十六話:研究の末路
ファビアンは、制御を失った異形たちに囲まれていた。
先ほどまで従順に動いていたはずの存在たちが、今はただ衝動のままに蠢き、牙を剥き、手当たり次第に暴れている。
統率は失われ、理性の影すら残っていない。
そして、暴れながらも、その身体が少しずつ崩れていく。
「やめろ……やめろ……っ!」
後ずさる足取りは乱れ、白衣の裾が床を擦る。
その瞳には、先ほどまでの確信も、恍惚も残っていない。ただ純粋な恐怖と混乱だけが宿っていた。
「そんなはずはないっ!僕の……子どもたちが……!」
伸ばした手は、もはや届かない。
応えるものは誰もいない。
その瞬間――
ひとつの影が、静かにその場へと入り込んだ。
騒然とした空間の中で、その存在だけが異様なほどに落ち着いている。
無駄のない足取りで歩み寄る男。
「……ファビアン様」
低く、乾いた声。
振り向いたファビアンの視界に映ったのは、見慣れた顔だった。
「何をしていらっしゃるのですか……核を壊されるとは」
淡々とした口調。
そこに含まれるのは、心配ではなく、ただの確認と――わずかな呆れ。
グラディオラ公国の闇ギルド長。
エレナを攫い、屈指の殺し屋として名を馳せる男――ハンス。
「うるさいっ!」
ファビアンは叫ぶ。
声は裏返り、もはや理性を欠いていた。
「また子どもは作れる……いくらでも……何度でも……!」
それは自分に言い聞かせるような言葉だった。
失われたものを認めたくない、必死の否定。
だが。
「……いえ」
ハンスは、わずかに首を傾げる。
「実はですね。研究が失敗した場合――証拠をすべて隠蔽するよう、指示を受けておりまして」
その声音には、何の感情も乗っていない。
まるで予定されていた作業を淡々と告げるだけのように。
「な――」
言葉が終わるより早く。
ハンスの腕が、静かに動いた。
――一閃。
短剣が、ファビアンの胸を貫く。
「……っ!?」
目が見開かれる。
信じられない、という感情がそのまま表情に刻まれる。
だが、それを言葉にする時間は与えられない。
力が抜ける。
膝が崩れる。
そのまま、音もなく倒れ込んだ。
床に広がる赤が、じわじわと輪を描く。
「『研究』には――貴方も含まれていたのですよ」
ハンスは、刺さった刃を抜きながら、淡々と告げた。
その声には、哀れみも、興味もない。
ただ任務を終えた者の、静かな事実確認。
視線が、ゆっくりと別の方向へ向く。
そこにいたのは――リヒトだった。
「さて」
口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
「貴方が最近、各地の闇ギルドを荒らして回っていらっしゃる――リヒトさんですか」
その瞳に、殺意が宿る。
リヒトは、わずかに肩をすくめた。
「……身内をヤるような奴と、仲良くしたくはねぇんだけどな」
軽口のようでいて、その実、全神経は相手に向けられている。
(……ちっ、強ぇな)
一目で分かる。
目の前の男は、これまで相手にしてきた連中とは格が違う。
(少しどころじゃねぇな……分が悪い)
だが、退くという選択肢はない。
刃を構える。
「来いよ」
短く告げる。
次の瞬間。
空気が弾けた。
二人の距離が、一瞬で詰まる。
刃と刃が激突し、火花が鋭く弾けた。
だが、その応酬は長くは続かない。
先の戦闘で蓄積した消耗は、確実にリヒトの身体を蝕んでいた。
ほんのわずかな鈍り――それを、ハンスは見逃さない。
次の瞬間。
横薙ぎの一閃が、喉元を正確に薙ぎ払う。
リヒトは紙一重でそれを弾いた。
だが、衝撃が腕を痺れさせ、握りがわずかに甘くなる。
そこへ、間髪入れず追撃。
刃が閃く。
一歩遅れ、体勢が崩れる。
「……っ」
踏みとどまろうとした、その瞬間――
視界が、僅かに揺らぐ。
次の刹那。
鋭い痛みが、身体を貫いた。
「……ぐっ……!」
ハンスの刃が、深く――容赦なく腹を穿つ。
力が抜ける。
支えを失った身体が、膝から崩れ落ちた。
「リヒトさんっ!」
エレナの、悲鳴のような声が響く。
その声に、わずかに口元が動いた。
「……ここで貴方を始末しておかないと、後々厄介なことになりそうです」
ハンスが、ゆっくりと歩み寄る。
確実に終わらせるために。
その足音を聞きながら。
かすかに視線だけを動かし、結界の向こうを見て――
リヒトは、笑った。
「……悪ぃな、嬢ちゃん」
声は掠れている。
だが、その調子はいつもと変わらない。
「助けてやれなくてよ……お兄さん、ちょっとカッコつけたかったんだけどなぁ……」
軽口。
それが、彼なりの覚悟だった。
結界の向こうで、エレナは何度も首を振る。
「そんな……そんなこと……!」
涙が止まらない。
声にならない想いが、胸の奥で溢れていく。
「……助けに来てくれて、ありがとう……」
それでも、絞り出すように告げる。
その言葉を聞いたとき。
リヒトの意識は、静かに遠のき始めていた。




