そして優しい灯がともる(前)
マレーナに乗ってトルヴァの街へ到着したエリシュカは、立派な郵便局の裏手にある広場へ目を凝らす。
(あれ……?)
先ほど高い塔の時計はを確認した。約束の時間にはちゃんと間に合っている。だけど広場に人の姿は見えるものの、竜の姿が見当たらないのだ。
(どういうことなんだろう?)
***
エリシュカがセリクの町へ薬を運んでから四か月ほどが経過した。
あのトラートゥム山で足を怪我をしたあと、エリシュカはすぐ養成所へ手紙を書いた。まだ訓練生だったころに組んでいた若竜カレルがマレーナの子だと分かったからだ。
養成所からの返事によれば、カレルはエリシュカが卒業した少しあとに訓練を終え、郵便本部へ引き渡されたらしい。
それを受けたエリシュカは次に本部へ手紙を書いた。そうしてようやく待ち望んだ情報「カレルの配属先」が分かったのだ。
「カレルはリュトナにいるんだって! 早くマレーナに教えてあげたいな!」
セリクの病院でそわそわしていたエリシュカは、退院するや否やすぐにオルゼ村へ向かった。竜に乗れないから乗合馬車を使い、杖を突きながら郵便屋兼自宅へ戻り、自室を開けるより先に厩舎の扉を開く。まだうまく歩けないから扉を開けたところでよろけてしまったけれど、転ぶ前に黒銀色をしたものが支えてくれた。マレーナだ。
「聞いて、マレーナ! あなたの子どもの居場所が分かったの!」
ひんやりとした首を抱きながらエリシュカは叫んだ。でも、マレーナはいつものように静かなまま。首に抱きつくエリシュカに宝石のような瞳を向け、喉の奥で小さく「ルゥ」と鳴いただけだった。
竜は賢い。だからといって人間の言葉が理解できるわけではない。マレーナはまだ、自分の子が見つかったと理解していない。
だけどマレーナが「エリシュカが帰って来た。良かった。そのエリシュカが嬉しそう。なんだか自分も嬉しい」と思っている気持ちは伝わってきた。あのトラートゥム山の一件からこちら、エリシュカとマレーナは心のどこかで繋がっているから。
エリシュカは小さく笑って体を離し、マレーナの首筋を撫でる。扉から差し込む日差しで黒銀の鱗がキラキラと輝いた。
「待っててね。私、絶対にあなたたちを会わせてあげるから」
きっとカレルと会えば、マレーナはとても喜ぶだろう。そこは間違いない。二頭の再会の日を楽しみにしながら、エリシュカはさっそくリュトナの郵便局へ事情の手紙を書いた。
リュトナの町はオルゼ村からだと三日ほどかかる。留守をどうするかなどの問題もあったのだが、意外にもここで事情を知ったトルヴァの郵便局が助けを出してくれた。
「トルヴァはリュトナとオルゼの中間くらいの場所にある。ここで面会をしてはどうだろうか」
しかも意外な偶然として、カレルに乗っているのはトルヴァ郵便局員ダリヤの弟だという情報も教えてくれたのだ。
「ダリヤさんの弟さんならきっといい人に決まってるわ。カレルとの相性だって絶対にいいはずよ。マレーナもそう思うでしょ?」
マレーナはやっぱり何も言わないけれど、エリシュカにはそんな確信があった。
ここ最近はずっとお天気続き。風向きや雲の動きから考えて、二頭が再会する運命の明日もきっと晴れだ。
その前日にエリシュカはマレーナを厩舎から連れ出した。繋ぎ柱に手綱を結び、果実の香りがする液体を桶の底に注ぐ。これは竜の鱗を手入れするために使う保湿油、しかもいつもよりうんと値段が高いやつだ。
(せっかくの再会だもの。綺麗にしてあげたいじゃない?)
新品の柔らかいブラシに油をまとわせ、大きな体を優しくこすっていく。さすがに高価なだけあって、優しい陽射しを受けた黒銀の鱗はすぐ艶やかに輝き始めた。
「うわあ、素敵! カレルも『なんて綺麗なんだろう!』ってびっくりするわよ!」
小さく鼻歌も歌い始めるエリシュカだったけれど、その声が途中で止まったのは翼下にある擦れたような傷を見てしまったからだ。
これは野生の竜が人によって捕獲されたときに抵抗して出来る傷。捕獲痕と呼ばれている。
この傷ができたときにマレーナは子竜と離れ離れになり、声を出さなくなってしまった。最近は少しくらい鳴くようになったけど、今も『竜の歌』は歌わない。その事実を思うたびにエリシュカは、マレーナの心は今も傷ついたままなのだと思い知る。
(だけどカレルに会えたら、マレーナだってきっと元気になるわ!)
気を取り直してブラシを握る。頭の先から尾の先まで丹念に油を塗りこめ終えて満足し、ついにその日を迎えたのだ。
トルヴァへ移動する途中もずっと胸をはずませていたエリシュカだが、到着した郵便局の広場にいるのは人だけで竜がいない。ということは、カレルはいないということ。
(なにかあったのかな……)
不安に思いながらもエリシュカは手綱を操る。指示に従ってマレーナは翼をすぼめ、風の抵抗を変えながら地面を目指していく。もちろんエリシュカはマレーナに対して何の不安も持っていない。失敗するとしたらマレーナではなくエリシュカだ。うっかり鞍から滑り落ちてしまうとか、そういう凡ミスくらい。だってマレーナはとても素晴らしい竜なのだから。
もちろんマレーナは期待を裏切らず、みごとにふわりと着地した。
竜の背から地面に立つと、しっかりとした感覚が足裏に伝わる。ふう、と深く息を吐くエリシュカを、背後から明るい声が出迎えた。
「今回も見事な着地だったわよ。足を怪我したって聞いたときは驚いたけど、もうすっかり元通りみたいね!」
「ダリヤさん!」
駆け寄って来たのは中央郵便局の局員、ダリヤだ。緊張する今日、まっさきに見られたのが親しいダリヤの姿だったことで、エリシュカの顔が自然にほころんだ。
「あのう、私、時間には遅れてませんよね?」
それでも少し不安になって尋ねると、ダリヤは「ええ、大丈夫」と答えてから顔をしかめた。
「遅れてるのはあなたじゃなくて、ロディオンのほうなの」
ロディオンというのがカレルにのっているという青年、つまりはダリヤの弟だ。
「ロディオンは竜が大好きでね、子どものころから郵便局の広場へ来ては朝から晩まで竜をながめていたの。竜に乗れるようになった今も暇を見つけては厩舎で過ごしてるらしいわ。――きっと今日も竜と一緒にいるのが楽しくて、時間を忘れて厩舎で遊んでたのよ。で、ようやく約束を思い出して、慌てて飛行してるに違いないわ」
いつもは見せないダリヤの呆れた表情がなんだかおかしい。
遅れていたのが自分ではなかったという安堵も加わってエリシュカがくすりと笑ったとき、広場に影が落ちる。
続いて上から「おおおーい!」という太い声が近づいてきた。




