6.やるべきこと
「マレーナ、マレーナ!」
風の抵抗を受けながらマレーナの首に抱き着き、エリシュカは必死の思いで声を出す。
今のは全部エリシュカの妄想かもしれない。
だけどエリシュカはマレーナが歌った『竜の歌』を知っていた。
『竜の歌』は人間にとってみると音階が複雑で歌いにくいし、風の抵抗を受ける今は更に歌いにくいけれど、エリシュカはなんとか声を絞り出す。
「――るぅぅきぃくぅ、りぃきゅうくぅぅぅ。るぅぅきぃくぅ、りぃきゅうくぅぅぅ」
マレーナの体が強張った。飛行高度が下がり、エリシュカの足に枝が当たってとても痛い。だが、それよりも今はマレーナに伝えるほうが重要だ。
「どうしてこの歌を私が知ってるのか不思議でしょう? 実はね、私にこの歌を教えてくれた子がいるの。首都の郵便訓練所にいた竜よ!」
エリシュカが訓練所で組んだ若いオスの竜。
陽気な彼はよく『竜の歌』を歌っていた。
竜が機嫌よく『竜の歌』を歌うと、合わせて近くの竜も『竜の歌』を歌うことが多い。おかげでエリシュカと組んでいた若竜の周りではよく『竜の歌』の合唱になっていた。
何度も聞いたおかげで彼の『竜の歌』を歌えるようになったエリシュカは、せっかくだから彼の前で歌ってみようかと思い立った。
教官からは「『竜の歌』を歌う人なんて今まで聞いたことがない。なにが起きるか分からないし、やめたほうがいいと思うよ」と言われたのだが、それでもエリシュカはいつか折を見てこっそり歌ってみるつもりでいたのだ。
決行のその日も若いオスの竜はご機嫌で「ルゥゥキィクゥ、リィキュウゥクゥゥゥ」と、『竜の歌』を歌っていた。
そこにエリシュカが恐る恐る「るぅぅきぃくぅ、りぃきゅうくぅぅぅ」と合わせてみると、彼は歌をやめ、びっくりしたように緑の目を見開いたかと思うと、大きく口を開けた。
鋭い牙を見たエリシュカは一瞬、噛みつかれるのかと思ったが、しかし竜は今まで以上の声で、
「ルゥゥキィクゥ、リィキュウゥクゥゥゥ!」
と歌い始めた。おまけに厩舎の中だというのに跳ねまわり、風圧で寝藁を跳ね上げ、尾で壁を破損させ、前足で水桶を壊し、エリシュカをびしょ濡れにさせた。それでも機嫌よく「ルゥゥキィクゥ、リィキュウゥクゥゥゥ!」と歌い続ける竜を見て、駆け付けた教官たちは唖然としていたものだ。
以降のエリシュカには「もう二度と厩舎で『竜の歌』は歌わないように」との厳命が下ったので、代わりに運動場などで時々彼と一緒に『竜の歌』を歌った。そのたびにやっぱり彼が全身で喜びを表現してくれたのも、今となっては良い思い出だ。
彼の歌を聞き続けたエリシュカが『竜の歌』を覚えたように、子竜は卵の中で母竜の『竜の歌』を聞いて覚える。だから子竜と母竜は同じ『竜の歌』を歌う。
あの若い竜はマレーナと同じ『竜の歌』を歌っていたのだから、マレーナの子。そうに違いない。傷ついたマレーナがこの山から離れたあと、子竜もまた人の世界に運ばれ、郵便竜になるための訓練を受けていたのだ。
「帰ろう、マレーナ。あの子がどこにいるのか探そうよ! だから!」
それ以上呼びかける必要はなかった。
マレーナは大きく羽ばたき、再び空に舞い上がる。
竜がどこまで人間の言葉を理解できているのかは分からない。だが少なくとも今、マレーナにエリシュカの気持ちは届いたはず。その証拠にマレーナは申し訳なさそうに一声「クゥ」と鳴いた。それは記憶の中で歌っていたのと同じ声だった。
「……ありがとう、マレーナ」
幸いにも壊れていなかった方位磁石を確認し、エリシュカは手綱を引いて飛行する方向の指示を出す。マレーナはいつよりもそっと飛んでくれた。
速度は落ちたけど大丈夫。セリクの町まではあと少しの距離だ。
***
数日前、セリクの町近くに毒虫の群れが現れた。
なんとか駆逐できたものの多くの人が虫に刺され、町の薬だけでは足らなくなった。
今回、エリシュカが届けたのはその毒の治療薬だったようだ。
表書きの住所にあった病院に駆け込んでエリシュカは薬を渡し、そこで動けなくなってしまった。
薬を受け取った医者は治療のため立ち去ったが、代わりに呼ばれた別の医者がエリシュカを診察して目を丸くした。
「打撲や傷で両足とも酷い状況だし、左足の骨は折れてるじゃないか。よく竜から落ちることなく町まで来られたね!」
着ていた郵便服は厚いものだったが、あの飛行速度で木に打ち付けたダメージはかなり大きかったらしい。エリシュカは即座に入院となってしまい、マレーナはしばらくのあいだセリクの郵便局が面倒を見てくれることになった。
エリシュカの病室に現れた竜使いは『オルゼ郵便局のマレーナ』については知っていたようだ。しかも今回のエリシュカが「呪い」に関する信ぴょう性を後押ししてしまったらしく、「自分がマレーナの世話をすることになる」と知って小刻みに震えていた。なんとか安心してもらおうとエリシュカはベッドの上で身を乗り出し、郵便屋に向けて「大丈夫です」と請け合う。
「今後はもう、誰も怪我なんてしません。絶対です」
だってマレーナはもう、トラートゥム山を見ても我を失ったりしないのだ。
マレーナはセリクの町へ大事な薬を運んでくれた。
今度はエリシュカが、マレーナとの約束を守る番。
怪我が治ったらエリシュカはまた竜に乗れる。郵便屋に戻れる。医者はそう断言してくれた。
だからオルゼ郵便局に帰ったら、エリシュカはあの若竜の居場所を調べてみようと思う。
訓練が終了して違う場所へ行ってしまっていても大丈夫、竜の配属先は記録されているからすぐにわかる。
約束を果たすまではもう少し時間をもらうことになるけれど、優しいマレーナはきっと許してくれるはず。
そうして母子が再会できた暁には、きっと二頭ぶんの『竜の歌』が聞けるに違いない。
「るぅぅきぃくぅ、りぃきゅうくぅぅぅ。……楽しみだなあ」
呟いてエリシュカはベッドに身を預ける。
「でも、会う場所は水桶のないところにしてもらわなきゃね」
言ってエリシュカはくすくすと笑った。
だけど何をするにもこのままでは話にならない。エリシュカの最初の目標はまず、足を治すことだ。




