5.記憶
――どこからか『竜の歌』が響いてくる。
ルゥゥキィクゥ、リィキュウゥクゥゥゥ
いや、違う。
『竜の歌』はエリシュカが歌っている。
目の前に卵があるのが嬉しくて、喉の奥から自然と歌が湧き出してくる。
ルゥゥキィクゥ、リィキュウゥクゥゥゥ
エリシュカがいるのは狭い洞窟のずっと奥。
狭くて暗いこの場所で、卵だけがきらきらと輝いている。
少なくともエリシュカにはそう見える。
ルゥゥキィクゥ、リィキュウゥクゥゥゥ
艶やかな灰色の卵は、エリシュカが運んだ草の上で、静かに時を待っている。
その時はいつ来るのだろう。
次に風が吹いたときか。次に陽の光がとどいたときか。
早く会いたい。早く目覚めて。
願いながらエリシュカはそっと指を卵に当てる。
ルゥゥキィクゥ、リィキュウゥクゥゥゥ
(あ……)
指先の銀の模様に覚えがあった。
これはマレーナのものだ。
エリシュカはこの一年、マレーナの爪を整えるときにいつも見てきたのだから間違いない。
(じゃあ、これはマレーナ?)
マレーナは人工孵化ではなく、野で生きていたのを捕らえられた竜だ。
しかもメスなのだから、卵を生んだ経験があってもおかしくない。
(でもなんで私がマレーナの記憶を見てるんだろう)
ルゥゥキィクゥ、リィキュウゥクゥゥゥ
卵を前にしたマレーナは、歌わない今が嘘のようにとてもよく歌った。
もともと『竜の歌』は母竜が歌うものだから当然かもしれない。
早く出ておいで、と願いながら、いつもいつも歌っている。
ルゥゥキィクゥ、リィキュウゥクゥゥゥ
どれほどの回数、歌を歌っただろう。
やがて卵の中から小さく小さく、こつこつ、と聞こえた。
ずっと待ちわびていた音だ。
喉から出る『竜の歌』が一層大きくなる。
ルゥゥキィクゥ、リィキュウゥクゥゥゥ
卵に亀裂が走り、隙間から小さな角が見えた。
その角が更に空間を広げ、ついに殻を押しのける。
ルゥゥキィクゥ、リィキュウゥクゥゥゥ
小さな顔が見えた。つぶらな瞳が自分を捉える。
続いて子竜は口を開き、初めての声を出した。
ルゥゥキィクゥ、リィキュウゥクゥゥゥ
これは、自分が歌っていた『竜の歌』。
覚えてきてくれた。
嬉しくて嬉しくてたまらない。
ルゥゥキィクゥ、リィキュウゥクゥゥゥ
子竜はじたばたともがく。
横倒しになった卵はヒビが広がり、そこから小さな体が這い出してきた。
ルゥゥキィクゥ、リィキュウゥクゥゥゥ
ルゥゥキィクゥ、リィキュウゥクゥゥゥ
自分の声が響くばかりだった洞窟に可愛い声が加わった。
なんと嬉しいことだろう、なんと嬉しいことだろう。
間違いない。
自分の歌はこのためにあったのだ。
ルゥゥキィクゥ、リィキュウゥクゥゥゥ
小さな子は大きく口を開け、一緒に歌う。
ルゥゥキィクゥ、リィキュウゥクゥゥゥ
ルゥゥキィクゥ、リィキュウゥクゥゥゥ
子竜はとても陽気だった。
うまく立てなくて転がるばかりだというのに、それすらも楽しいらしい。
よたよたと再び立ち上がり、またぽてんと転がって、枯草の中で機嫌よく歌う。
ルゥゥキィクゥ、リィキュウゥクゥゥゥ
ルゥゥキィクゥ、リィキュウゥクゥゥゥ
さあ、これから忙しくなる。
ここで待っていて。
初めての餌を持ってくるから。
ルゥゥキィクゥ、リィキュウゥクゥゥゥ
ルゥゥキィクゥ、リィキュウゥクゥゥゥ
しばらくぶりに立ち上がると、身体がふらついた。
飲むことも食べることもせず卵のそばにずっといたから、当然だ。
けれど嬉しさで力が湧いてくる。
ルゥゥキィクゥ、リィキュウゥクゥゥゥ
洞窟の入り口まで行くと、日差しの眩しさが目に沁みる。
光を浴びるのもどれくらいぶりだろうか。
ルゥゥキィクゥ、リィキュウゥクゥゥゥ
涼やかな山の風を受けながら広げた翼で空へ舞い上がる。
色鮮やかなこの世界をあの子にも見せてやりたい。
早く、早く、大きくなるといい。
ルゥゥキィクゥ、リィキュウゥクゥゥゥ
突然の強い風が吹いた。
受け流すのに失敗して、飛膜が裂け、翼が音をたてて折れる。
これでは餌を探すどころか山の洞窟へ戻ることすらできない。
餌がなければ生まれたばかりの子竜はどうなってしまうのか。
洞窟の奥で機嫌よく転がるあの子。
やがて動かなくなり、声が絶え、目から光が消える。
その光景がありありと浮かぶ。
恐怖が全身を支配する。
我を忘れて羽ばたこうとするが、折れた翼は風をつかめない。
ならば崖をのぼればいい。
しかし身体はとても重い。
爪は短くなり、剥がれ落ち、岩肌は赤くなる。
洞窟は少しも近づかない。
そこに、人間が来た。
身体を縛られた。
全力で抗ったが無駄だった。
揺れるものに乗せられて、山はどんどん遠くなる。
子竜がどんどん遠ざかる。
人間は何かを言っていたようだが、意味は分からない。
多くの人間がいる場所に連れていかれて飛膜と翼は元に戻った。
だが、あれから多くの時間が経っている。
餌を持って行けなかったのだから、子竜はもう生きていないだろう。
あれほど歌った『竜の歌』も、もう喉から出てこない。
生きる意味はもう分からない。
人間の言うことを聞いて過ごせば静かでいられるのだから、せめてそうしようか。
様々な人間を乗せた。
どんな人間だったのかはあまり記憶にない。
覚えているのは、皆が抱いていた心。
信頼したいと思う心の奥にある、消えない恐れ。
当然なのかもしれない。
人間の言うことを聞こうと思う一方で、子竜への気持ちがどうしても消えない。
山に近づくと我を忘れる。
人間はそんな自分を持て余すのだろう。
だけど、エリシュカ。
どうしてだろう。
エリシュカは、ほかの人間と違う気がする。
真っすぐであたたかくて、そしてどこか、あの子の空気を感じる。
せめてエリシュカの信頼には答えたい。
ああ、それなのに。
やはり山が近くなると期待してしまう。
あの子が生きていて、悠々と飛ぶ姿が見られるのかもしれないと思ってしまう。
翼は、どうしても、止まらない――。




