6 第一試験③
決して大きくはない、しかし不思議と存在感のある無機質な声。その声の主が、修練場にいる全員の目を釘付けにした。
「……リースベルツ」
セルバが眉間に皺を寄せながら、そう呟く。
リースベルツと呼ばれた女性は、歓迎していなさそうな雰囲気のセルバを気にする素振りもなく、コツコツと石畳を鳴らしながらこちらに近づいてくる。
透き通る絹のような長い銀髪。スラリと伸びた手足。切れ長の碧眼。人形と見紛うほどの小顔。
そして、そこに張り付く冷然とした無表情。
それら全てが恐ろしいまでに整っている。見ただけで背中に怖気が走るほど綺麗な人は、初めてだ。
――だが、何故だろうか。俺は彼女に既視感を覚えた。
今まで生きてきて、この人に会ったような……。そんな気がする。いつ……?どこで……?思い出せない……。
俺が懸命に記憶を手繰っていると、他の受験者達がザワザワと騒めき始めた。
「おいおい、あの人……まさか」
「あぁ。レイラ・リースベルツだぜ……」
「嘘だろ……?なんでわざわざこんな所に……?」
受験者達の反応を見るに、どうやら王都では顔も名前も知られているほどの有名人らしい。
じゃあ、俺も知らず知らずのうちにどこかで顔でも見ていたのか?
リースベルツがセルバの前まで来ると、セルバは腕を組みながら彼女に向かって口を開いた。
「リースベルツ。この選抜試験は俺の担当だ。例え貴様であっても、俺の試験結果に異を唱えることは許されていない」
「別に判定を覆したりはしない。ただ、少し覗きに来たら剣だけで試験を受けている人がいるというから、興味が湧いただけ」
「……それで貴様が直に見る、と?」
「そう」
リースベルツの淡々とした返答。それを受けてセルバはリースベルツを鋭く睨むが、彼女は変わらず無表情だ。
「何のつもりだ」
「本当に興味だけ。他意はない。それに、ここでこのまま彼の真価を見落とせば、それは試験の意義に反する」
「何?」
「在野に埋もれた才を引き上げるのが、この試験の意義。そうでしょう?」
「…………あぁ」
セルバは苦虫を噛み潰したような顔で頷く。
「私はその判断材料を増やす手伝いをするだけ。それで貴方が使えないと判断するなら、落とせばいい。それからでも遅くはないはず」
「……」
それからしばらく、セルバとリースベルツは無言を貫く。
しかし、やがてセルバが右手を額に当てながら、諦めたように深くため息をついた。
「……はぁーーー。おい、木剣を2本用意してやれ」
「はっ?」
セルバの突然の命令に、言われた試験官達は皆ポカンとしている。
「木剣2本だ。早くしろ」
「はっ……、はい!」
試験官の1人が慌てて駆けだして、修練場を後にした。
「……あくまで木剣での模擬戦だ。本来の得物は使わせんぞ。それでいいな?」
「えぇ」
様子からして会話に決着がついたのだろうか。
だが、リースベルツもセルバも俺に説明するつもりはないらしい。それ以降何も喋らなかった。
「お待たせしました!」
仕方がないのでしばらくそのまま待っていると、先ほど出て行った試験官が戻ってきた。腕には木剣を2本抱えている。
「こちらをどうぞ」
「ありがとう」
試験官が丁寧な所作でそれらをリースベルツに渡すと、彼女が俺に1本を投げ渡してきた。弧を描いて飛んでくるそれを、俺は片手で掴み取る。……一体なんだ?
「……あの、これはどういう――」
「話は聞いての通り。これから私が貴方と戦う。さぁ、構えて」
「……は?」
聞いての通り……?戦う……?
「遠慮は要らない。私を殺すつもりで来て」
いや、待て待て待て。
急に来て何を言っているんだこの人は?これも試験の一環か?なぜ俺だけ?勝利条件は?
予想外の事態に訳が分からず、俺の頭はパニック寸前だ。
だがそこへ――。
「よくわからんが、これも試験なんだろ?よぉし、リオ!お前の力を見せてやれっ!!!」
場の空気を読まない能天気な声が響いた。
……あいつの物怖じせずに空気を壊す才能は、天性のものだな。
思わず笑みがこぼれる。
本当に――ありがたい。
やれと言われたなら、やるしかない。
絡まった思考がリセットされた俺は、木剣を両手に持って正面を向く。
相対するは私服らしき姿のレイラ・リースベルツ。木剣を右手に下げたまま、構えもしない。無言で俺の方を見ている。
俺と彼女の距離は、5歩で詰まるほど。
「……ッ!」
俺は一気に踏み込んだ。瞬く間に距離を縮めて、首めがけて遠慮なく木剣を横に薙ぐ。
普段より軽い。軽すぎる。勢い余ってヒュンと鋭い風切り音を立てながら迫るその一撃を、リースベルツは一歩だけ後ろに退いて紙一重で躱す。
避けられた。すかさず追う。
開いた分の距離を潰しながら、今度は一歩踏み込んでの斬り上げ。肘から先を走らせた鋭い軌道。しかし、これも剣先が空を切った。
かなりの使い手だ。細身の身体に違わず、回避を主体とした剣士らしい。
であれば。
「ハァッ!」
俺はそこから怒涛の連撃へと移る。木剣が縦横無尽に乱舞する。縦、横、斜めと角度を変えながら淀みなく叩き込む。
しかし、それらは悉く躱されていく。無駄のない動きで、リースベルツは俺の剣をすり抜けていく。
それでいい。
乱撃の最中、俺は一息置いて再び横薙ぎを放った。
だが、一撃目とは違う。
それまであえて剣先が掠める程度に抑えていた間合いを、今度は半歩だけ詰めた。木剣の中央が直撃するように。狙いも変えた。首ではなく、その下――胴だ。
後ろへの回避はギリギリ間に合わないタイミング。かといって、腰を落として躱すことも不可能な軌道。
受け太刀してこないなら――、跳ぶしかない。
リースベルツの身体が宙を舞った。バックジャンプで流れるようにクルリと一回転しながら距離を取る。
狙い通りッ……!
俺はその動きを読んでいた。ダンッ!と地面を踏み砕く勢いで間髪入れずに前へ出る。
宙に浮いたリースベルツの、頭から墜ちてくるその軌跡を見極めながら。
今度こそ首を狙って思い切り木剣を振り抜く。
その刹那、リースベルツの木刀がユラリと動いた。
空中では身動きが取れない、当然、受け太刀してくる。ならば――軌道をずらして手首を叩くッ!
俺は一瞬の判断で剣先の向きを変えた。
カァン、と乾いた音。
リースベルツは俺の狙いを看破したのか、手首を守るようにこちらの木剣を受け流した。
空中、それも落下中という不安定な状況にあって完璧な受け太刀。それだけで彼女の技量の高さが伝わってくる。
音もなく着地したリースベルツは、息も乱さず静かにこちらを向いた。彼女から攻めてくる様子はない。
……なるほど。彼女の守りを如何に崩すか。この戦いはそれを見られているわけだ。
俺は息を整えながら構えを低くする。剣の重心を手前に引き、足の置き方を変える。
踏み込みながら繰り出すのは、回転斬り。自分の身体を軸にして打ち込んだそれは、後退して躱される。
やはり技で崩すのは難しい。
そう判断した俺はその回転の勢いのまま、再び連撃を叩き込む。
先のやり取りからして読み合いも力量も相手の方が一枚上手だ。ならば、もう小細工は要らない。
崩すのに必要なのは、力と疾さ。体格差を活かして押し切るのが最善ッ!
俺の猛撃は止まらない。回避が凄かろうと防御が凄かろうと、相手の守りを上回るまでひたすらに剣を振るう。それでも、リースベルツは全て避け切るか受け流してくる。
――もっと疾くッ……!もっと鋭くッ……!
俺の勢いに、リースベルツの反応が僅かに遅れたのか、彼女の回避が一瞬だけ遅れた。剣先が頬をほんの少し掠める。
「……ッ」
リースベルツが微かに息を詰めた。表情は変わらないが、余裕を無くしてきている証左だ。
間髪入れずに踏み込み、上から抉るように斬りこむ。リースベルツが、遂にそれを躱しも受け流しもせずに正面から木剣で受けた。鍔元が噛み合う。互いの木剣が、ギリギリと軋む。
よしッ……!鍔迫り合いなら体格で勝るこちらに分があるッ!このまま押し切るッ……!
そう判断して一気に力を木剣に込める。
だが、瞬時に覚えた、違和感。
「……!?」
力を込めた瞬間――そこから俺の剣が、全く動かなくなった。石膏かなにかで固められたようにまるで微動だにしない。しかも俺は全力で押し込んでいるというのに、彼女はまだ余力があるようだ。
なんつぅ膂力……!その細腕のどこにこれだけの力があるッ……!?
依然、互いの剣は拮抗したままだ。リースベルツの顔がすぐ目の前にある。息がかかるほどの距離で彼女は力む様子もなく、俺を静かに見ていた。
「……やっぱり」
そしてリースベルツは得心いったように呟くと、スッと木剣を引いた。
突然の脱力に俺の体が前へ泳ぐ。しかし、すぐに体勢を立て直してバックステップで距離を取り、再び木剣を構える。
彼女を見ると、ゆっくりと木剣を下ろしていた。
まだ続くわけではないらしい。俺も剣を下ろす。
「……貴方は」
リースベルツがおもむろに口を開く。
「貴方は、なぜ《魔討騎士団》に入りたいの?」
「……ぇ?」
「剣を受けて感じた。貴方には強い目的意識があるように見える。魔術や秘術無しで《魔討騎士団》に入れる見込みは薄いとわかっていたはず」
「……」
「それでも貴方は剣だけを磨いてここまで来た。そうまでして《魔討騎士団》に入って何を成したい?」
その問いかけに身体が硬直する。何を成したいか、だと?
…………そんなこと、決まってる。俺にはリオとの約束がある。
「俺は……多くの人々を救――」
――違うだろ。
――お前自身の成したいことは。
言葉に詰まった。リースベルツの瞳が俺を射抜いている。
俺の本心を見透かすかのように。
暫しの沈黙の後、俺の口は彼女にだけ聞こえるように自然と動いていた。
そうだ。俺は――。
「――ッ俺は、とにかく魔族を……、ただひたすらに殺したい……。《魔討騎士団》に入って魔族共を殺しまくる。それだけです」
きっと、今の俺はひどく醜悪で歪んだ嗤い顔をしているだろう。
俺は初めて人に心中を吐露した。いや、してしまった。
今まで誰にも、オーウェンにもアンネさんにもさらけ出したことのない胸の内を、なぜこんな会って間もない人に見せたのか。
それは、俺自身にもわからなかった。
「……そう」
絞り出されるように俺が漏らした答えにただ一言だけ短く返すと、リースベルツはそのままスタスタと俺の横を通り過ぎていく。
そんな彼女をセルバが低い声で呼び止めた。
「リースベルツ」
「何?」
「何を帰ろうとしている」
「見ての通り。立ち合いを終えた」
「終えた、だと?まだ決着はついていないだろう」
「ついていない。だから終えた」
リースベルツはそう言って、こちらへ振り返った。ただ真っすぐにこちらを見つめている。
「貴方、木剣を振り慣れてないでしょう?」
「……えぇ、まぁ」
「つまり、そういうこと」
「……訳が分からん」
セルバが右手を額にやって溜息をついている。
俺も同じ感想だ。どういうことだ……?
だが確かに、彼女の評は合っている。
俺とオーウェンは普段の稽古でも金属製のロングソードを使っている。木剣を触ったのは本当に久方ぶりだ。
「彼は不慣れな木剣を使って私とここまで打ち合ってみせた。私と戦ってまだ立っている、それが彼の力の証。並の剣士なら私にかすり傷を与えることも、鍔迫り合いに持ち込むこともできない」
「……自分には、ただ力に任せて剣を振るっていただけのようにも見えましたが……?」
木剣を持ってきた試験官が、こちらをちらと見ながらリースベルツに意見する。
「それは少し違う。彼は読み合いや技量では私に勝てないと判断して、力押しに切り替えた。あれは冷静で合理的な思考から導かれた力押し」
「……なるほど」
リースベルツの答えに、試験官は素直に引き下がった。
こちらの意図まで全部読まれていた訳だ。尤も、力押しでも結局勝ちきれなかったのだが……。
リースベルツはセルバに向き直る。
「彼は自身の真価を見せた。それを見て私が下す結論は、――彼は使える。私が保証する。それを聞いてどうするかはアラン、貴方次第」
ここでやりたいことは全て終わった。
彼女はそう言わんばかりに木剣を試験官に手渡すと、修練場から颯爽と去っていった。
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