5 第一試験②
試験開始を告げるセルバの声が修練場に通った。俺は石板の正面に立つ。
石板までの距離を目算で測りながら、俺は腰の帯剣を静かに抜く。刃を潰した訓練用の剣ではない。狩りで使い慣れた両刃のロングソード。
魔術も秘術も持たない俺にあるのは、これだけだ。
魔術で強化されたそれは、ざっと見て縦横ともに俺より少し小さいくらい。厚みもなかなかだ。
石そのものの硬度に加え、魔術での強化が施されているとなれば、生半可な斬撃など通りはしない。それはここまでの受験者を見ていれば明らかだ。
受験者達が中級魔術を叩き込んでも割れない。ブライドが焔を纏わせた槍で穴を空け、ダルタリアが秘術で風化させた。それでも砕くには至らなかった。
――剣だけでどこまでやれるか。
俺は石板を一度睨んで、目を閉じた。周囲の気配が、己の触覚を刺激する。
修練場の空気の流れ。石畳の硬さが足裏から伝わる感覚。ロングソードの重さ。柄を握る手の温度。
それらすべてを感じ取って、ゆっくりと息を吸う。
目を開ける。剣を身体の前で斜めに構え、剣先を石板に向ける。
大仰な所作は必要ない。タルポ村でオーウェンと毎日繰り返した、いつも通りの構えだ。
いつもと違うのは、硬い標的がいる。ただそれだけ。
「……フゥッ!」
息を吐きながら、踏み込んだ。
1歩目で初速を生み、2歩目で加速、3歩目で全速に達する。
足が地面を噛む。剣を引き絞る。石板との距離が一気に縮まる。
それが限りなくゼロに近づいた瞬間――俺は剣を振った。
キィィィィン!!
鮮烈な金属音が修練場を揺るがした。
右手に伝わる強烈な反動。硬い。腕が痺れる。だが止まらない。
俺は斬り込んだその場で半歩踏み込み直し、今度は角度を変えて2撃目を叩き込む。
石板の表面が薄く削れる感触がある。手応えがある。
3撃、4撃。5撃。
連続して斬撃を放ちながら、俺は石板の「抵抗」を読み取っていた。
魔術で硬化した石板は、一様な強度ではない。硬さに僅かな濃淡がある。魔力が密に集まる部分と、疎の部分。目には見えないが、剣を通して腕に伝わってくる。
そこを外さない。薄いところを、繰り返し、繰り返し、削いでいく。
6撃目で最初の亀裂が走った。
細い線が石板の表面を奔る。それを見た時、俺の中で狙いがすっと定まった。
――ここだ。
踏み込みを深くし、剣を振る軌道を変える。魔力の薄い部分を起点として、亀裂に沿って圧力をかける。石板の硬さを力でねじ伏せるのではなく、その石板自身の構造を利用する。
7撃、8撃、9撃。
亀裂が広がっていく。ゆっくりと、しかし確実に。
そして、10撃目。
ガキィィィン――、ッシャ!!
鮮明に異なる2つの音が重なった。
石板の8割ほどが、大きく斜めに破断していた。断面は荒々しく、削り取られた石の粉が宙に舞う。
バランスを失った石板が前に傾き、ゆっくりと崩れ落ちる。ズン、と鈍い音が石畳に響いた。
完全には破壊できていない。だが、石板の大半は確かに俺の剣によって斬り裂かれていた。
俺は構えを解き、静かに剣を鞘に納める。僅かに呼吸が乱れている。
修練場が、静まり返っていた。誰も声を発さない。
さっきまでブライドの時も、ダルタリアの時も、オーウェンの時でさえ、周囲の反応は確かにあった。息を呑む音や小さな感嘆の声。
だが今は、何もない。音という音が消えたような、奇妙な静寂だった。
「……フゥ」
とにかく、この試験で俺にできることは見せた。後はどう評価されるか次第だ。
オーウェンの隣に戻ろうと踵を返す。
「――リオ・クリストフ」
「……?はい」
……なんだ?「下がれ」じゃないのか?セルバが受験者個人に話しかけてくるなど、ここまで一度もなかった。
俺は足を止めて、セルバの方を向く。セルバは俺の目を一点に見つめながら、口を開いた。
「貴様の受験者帳簿を確認した。三術の欄に武術のみと記載があったな」
「はい」
「この世の多くの者が魔術もしくは秘術の素養を持って生まれてくることは、貴様も知っているな?」
「……はい」
……やはりそこを突かれたか。
俺には魔力がない。魔力がない以上、魔術は使えない。秘術が目醒める保証もない。
俺に残されていたのは、三術の残り一つ。――その名の通り身体や武器を利用して戦う武術だけだった。だから、俺はずっと剣の腕を磨いてきたのだ。
しかし、魔術も秘術もないから武術の才能がある、ということには当然ならない。選択肢がないこと、それ自体は単に不利でしかない。
普通に生きる上では大した問題ではないだろう。やや不便かもしれないが、魔力を持たない者達でも生活はできる。
だが、最前線での戦闘を生業とする騎士にとって、有効な攻撃手段である魔術も秘術も持たないことは、明確な瑕疵だった。
「貴様は魔術で硬化した石板を、剣のみで切ってみせた。その腕は大したものだ」
「……ありがとうございます」
俺はセルバに軽く頭を下げる。セルバが受験者に対して初めて贈った賞賛の言葉に、周囲が少し騒めき立つ。
「だが、騎士となる上でそれらの素養を持つかどうかは、今では半ば必須の条件だ。それは単に戦いに向いているからではない。他の者が使える攻撃手段を持たずに前線に出ること自体が、過酷だからだ」
「……」
俺は何も答えない。セルバの言葉は全くの正論だ。
多くの者が持つ才能が俺にはない。その事実と向き合い続けてきた時間は、俺自身が誰よりも知っている。今更、傷つくことも、腹を立てることも、もうない。
だからといって「はい、そうですね」と引き下がる気もない。
「俺は何も悪意を持って言っているわけではない。その腕を腐らせるのは勿体無いというのも事実だ。だが……、騎士として取り立てるということならば話は変わる」
「……」
セルバの目が、俺から外れない。試すでも見下すでもない、現実を突きつけるだけの目。
「なにも騎士だけが生きる道ではない。冒険者として組織に縛られずに魔物を狩り、身を立てるというのも一つの道だろう」
生き方としては確かにあり得る選択だ。魔物狩りはタルポ村でもやってきた。今の俺にならできる。
だが、《魔討騎士団》は使命の一つに魔族の徹底撃滅を掲げている。それはつまり、《魔討騎士団》に入れば魔族の情報を常に優先して得られるということだ。
冒険者という生き方は、そこから遠のく。俺の中で大きく渦巻いて仕方がない我欲を――、満たせない。
俺は薄く唇を開いた。何を言うべきか。いや、何を言えるのか。
魔術も秘術も持たない、それは覆らない事実だ。それでも俺は、この場を離れるつもりはなかった。
「ちょっと待ってくれよ!リオは――」
「俺は――」
オーウェンの声が飛んでくる。同じ瞬間、俺も口を開く。
しかし。
「私が彼を見る」
その声が、俺達を静かに遮った。




