4 第一試験①
翌朝の空は低かった。
宿を出た時からどんよりとした雲が張り出していて、朝の光が薄く、白い。
昨日の王都の賑わいが嘘みたいに、通りには人が少ない。早朝だからか、それとも俺の気分がそう見せているのか。……まぁ、どちらでもいいか。
試験場に指定された場所へ向かう道中、オーウェンはやけに静かだった。昨日までのあの減らず口がどこへ行ったのかと思うほど、ただ黙って俺の隣を歩いている。
よく見ると僅かに身体を震わせていた。
「震えてるぞ。怖気づいたか?」
「武者震いだろ。くぅー!流石にワクワクするぜ……!」
俺がおちょくってみると、オーウェンは拳を握りしめながら心底楽しそうにそう返した。どうやらいつも通りのようだ。
「リオこそどうなんだよ。昨日は緊張してるって言ってただろ」
俺か……。今の俺は――。
「……そうだな。俺も不思議とそうでもない。どっかに置いてきちまったみたいだ」
「アッハッハ!それでこそリオだぜ!」
そう言いながらオーウェンが俺の背中を調子よくバンバン叩く。痛いって。
「こりゃあ俺達にかかれば試験の方も楽勝だな!今のうちにイカした自己紹介でも考えておけよ!」
「はいはい……」
「もしスベり倒しでもしたら、その日の飯は奢りだからな!」
「ウザいなこいつ……」
「ひっでぇ!」
さっきまでの真剣な空気はどこへやら。そのまま饒舌になったオーウェンを適当にあしらいながら、俺達は試験場へと向かっていった。
試験場は、王城の外壁に沿って設えられた広い修練場だった。
石畳が整然と敷かれたその修練場に、今日の受験者が集まっている。数えると数十人ほどか。
年齢は俺達とさほど変わらない者がほとんどだ。だが、中には明らかに場数を踏んでいると分かる雰囲気の者もいた。
装備は人それぞれだ。俺達と同様に帯剣する者、杖を持つ者、槍を背中に担いだ者、特に何も持たない者。
俺はその場のピリついた空気を感じながら、周囲を一通り見渡す。
1人、目を引く男がいた。
集まる受験者から離れて腕を組んで立ち、目を閉じて俯いている。歳は俺達と同じくらいだろう。燃えるような赤髪と頬の傷跡が目立つ。使い込まれた槍を背に担いでいる。
ただ立っているだけで、その場の空気を変えるような存在感だ。
別の方向のもう1人に視線が向く。
澄み切った藍色の髪をした女だ。背丈は俺よりいくらか低い。軽装で目立った武器も見えない。
先の男とは違い、雰囲気的に浮いているわけではない。
ただ——その立ち姿には、どこにも力が入っていなかった。今日という日がまるでいつもの日常であるかのように、恐ろしいほどに自然体だった。
「変な目で人を見るなよ。目つき悪いぞ」
人のことを不躾にジロジロと観察していた俺の脇腹を、オーウェンが肘で小突く。
「……悪い」
「俺に謝ってどうするんだよ。……おい、来たぜ」
修練場の中央に向かって、《魔討騎士団》の団員らしき人物が複数人歩いてきた。
先頭を歩くのは40前後と思われる、がっしりとした体格の男。鈍色の鎧を身に纏っており、その動きには一切無駄がない。荘厳な様でこちらに向かってくる。
受験者が揃ったと見たのか、先頭の男は立ち止まると僅かに顎を引いて口を開いた。
「整列しろ」
声はさほど大きくはない。しかし、どこか力強いその声は修練場全体に確かに響いた。
受験者達がざわめきを鎮めて、自然と横2列に近い形で集まっていく。俺とオーウェンもその中に加わった。
「俺の名はアラン・セルバ。《魔討騎士団》第一大隊、副隊長だ。今回の選抜試験を取り仕切る」
セルバは全員の顔を順に見渡してから、続ける。
「まず、この選抜試験の意義を話しておく。《魔討騎士団》には、王立騎士学院で魔術や秘術を磨いてきた卒業生も入団する。貴様等より優れた環境で鍛えられた者達だ」
王立騎士学院……。名前は聞いたことがある。確か《魔討騎士団》に入る人材を育成するための王都の学校だったはずだ。
俺がそんなことを思い出していると、セルバの声が続く。
「では何故わざわざ選抜試験を別に執り行うのか。それは、在野に埋もれた才を見つけ出し、引き上げるためだ」
「よって貴様等が示すべきはただ1つ。己の価値、それだけだ。動機は一切問わない。金のためでも、名声のためでも、誰かを守るためでも、……復讐のためでもな」
己の価値……。要するに過酷な戦闘で使い物になるかどうか、という訳だ。単純にしてそれが一番、難しい。
セルバはゆっくり歩みを進めながら続ける。
「《魔討騎士団》の使命は暮らしを脅かす危険な魔物の討伐、そして魔族の徹底撃滅だ。魔族、奴等は強い。単純な力、数、そして規格外の個体の存在。それら全てが脅威だ。我々には常に命の保証などない。勿論、この試験もだ。もしその覚悟のない者がいるならば、今すぐここから去るがいい」
俺は知らず知らずのうちに、背筋が伸びていた。
セルバの声は淡々としている。脅している様子も、鼓舞している様子もない。ただ事実を告げているだけ。それが余計に、言葉の重さを際立たせた。
それでも、逃げ出す者は誰一人いなかった。全員覚悟の上だろう。
「……いいだろう。では、選抜試験の概要を説明する。試験は第一と第二に分かれる。まず第一試験は、この場での実技評価だ。硬化魔術で強化した石板を用意してある。それを標的として自分の術を放て。術の種類・威力・精度を総合して評価する」
強化された的を使った破壊試験……。
はっきり言って、俺にとってはあまりやり易い試験ではない。対人戦闘の方がよっぽど楽だ。
しかし、そんなことを言っても始まらない。どうやって的を破壊するか、考えを巡らせ始める。
「試験の順番はこちらで決める。名を呼ばれたら前に出ろ。以上だ。――始めるぞ」
◇◇◇
試験は1人ずつ順番に行われた。
受験者が設置された石板の正面に立つと、セルバが淡々と「始め」と告げる。それだけだ。時間制限も特に告げられない。やりきったところで終わる、という形式らしかった。
最初の数人は、中級魔術を詠唱して放った。風属性、土属性、氷属性。
どれもきちんとした術だったが、詠唱して尚威力が足りないのか、石板を破壊するには至らない。セルバの表情は動かなかった。他の試験官達は何かを帳面に書き留めている。
俺は腕を組みながら、それをただ眺めていた。
——と、視界の端で、あの赤髪の男が名を呼ばれた。
「カイル・ブライド」
「俺か」
男は腕を組んでいた姿勢をほどき、前へ出た。槍を右手に構えて正面の石板を静かに見据える。そして「始め」の声がかかった、その直後。
「ゼオ・フレア・ウェア」
……!アロウと同じ火属性。それも呪文名だけを唱えて発動する、中級魔術の略式詠唱だ。
だが、真に驚くべきはそこではなかった。
ブライドが呪文を唱えたと同時に噴き出す紅炎。それは掌から放たれることなく腕へ、そして槍へと巻き付いた。槍の穂先から溢れんばかりの焔が噴き出し続ける。
ブライドは紅く姿を変えた槍を持ったまま、瞬く間に石板の前へ猛進して鋭い刺突を放つ。
穂先が石板に直撃したその瞬間、圧縮されて噴出した焔の一閃が、硬化されているはずの石板を紙きれのように軽々と貫いた。
石板のど真ん中には見事に穴が開き、その穴の周りが黒く焼き焦げている。
その光景を目の当たりにしていたセルバの表情が、初めてわずかに動く。眉がほんの少し持ち上がったように見えた。他の試験官はもっと露骨に息を呑んでいた。
ブライドは誰に向けるでもなく、ただ呟く。
「……ふん。こんなもんか」
ブライドは試験が終わったと判断したのか、セルバの言葉を待たずに引いていく。それから僅かに遅れてセルバから「下がれ」と命があった。
「……すげぇ」
俺の隣でオーウェンが呟いた。声が僅かに上ずっている。驚き半分、感心半分といった響きだ。
「中級魔術を略式詠唱で撃つのもなかなか凄い。けど——」
「あぁ、それよりも魔術をそのまま撃たずに武器へ纏わせるなんて……。あんな魔術の制御と使い方、初めて見たぜ……」
「お前にもできるか?オーウェン」
「んーー、わからん。少なくともやろうと思ったことは、一度もないな」
こいつが軽口も叩かずにそう言うなんてな。どうやら本当に感心しているらしい。
他の受験者達もにわかに騒めく中、次はあの藍色の髪の女が名を呼ばれた。
「ユニス・ダルタリア」
「ん、はい」
呼ばれた女、ダルタリアが前に出て、石板の正面に立つ。何かを詠唱する様子はない。
軽くふっと息を吐いたかと思うと――石板に変化が生じる。端が次第にボロボロと欠け始め、その崩壊は石板全体を侵食していく。ダルタリアが何かをした様子もないのに静かに、しかし確実に侵食は広がっていった。
三回ほど呼吸をするうちに、石板は一気に風化が進んだような変わり果てた姿に変貌した。
それを見届けたダルタリアは、再び軽く息を吐く。
「ん……これが、私の秘術」
「下がれ」
セルバが瞠目しながら言い渡す。
「なんだよ今の……。アレ、どうなってんだ……?」
オーウェンがぽつりと呟いた。使い手が希少と言われる秘術。勿論、俺も見るのは初めてだ。
「オーウェン・アークライト」
「おっと、ようやく俺の番か」
その次にオーウェンが呼ばれた。オーウェンは腕を回しながら前に出る。
これまで通り、「始め」の声がかかる。
オーウェンは何も構えない。剣も抜かず、詠唱もしない。ただ正面を向いたまま、右手の人差し指を標的に向けた。
次の瞬間。
バチチッ!!、と短い音。
指先から放たれた雷撃が空気を貫き、一直線に標的の石板を穿った。音の輪郭は鋭く、余韻がほとんどない。
試験官と受験者達が揃って石板を見る。その表面にはっきりした焦げ跡と、放射状の亀裂が僅かに走っている。
無詠唱。そして規模から見ても、アロウに放ったものとは違う。中級魔術だ。
微かにどよめきが起こる。中級魔術を無詠唱で、それもある程度威力を維持して発動するのは、なかなかに至難らしいからな。
だが、俺はそれを見て、特に驚きはなかった。オーウェンが中級魔術を無詠唱で放てることを、俺はとうに知っている。
これで終わりではないことも。
「まだまだこっからだぜ!」
そのままオーウェンは続けた。今度は右腕を左手で掴みながら掌を石板に向ける。
そして、今度こそは詠唱を紡いだ。
「『黒雲より賜りし紫電の雷霆よ。主命を以て嘶け』」
「『――ゼオガ・サンガ!』」
轟ッ!!!
詠唱の直後、破壊の雷鳴が修練場を駆け巡った。
オーウェンの右腕に沿って、紫電が奔った。肘から手へと伝い、掌で一点に収束したそれが膨れ上がり――放たれたのだ。衝撃の余波がこちらの足元まで伝わってくるほどの威力。
標的の石板は、「割れた」でも「貫かれた」でもなく「砕かれた」。破片が弧を描いて飛散し、周囲の受験者が思わず半歩退く。砂埃が上がり、じわりと焦げた匂いが広がった。
しばらく、修練場に静寂が訪れる。
それを最初に破ったのはオーウェンだった。
「……いよっしゃあぁぁぁぁぁぁ!」
ジャンプしながら無邪気に歓喜の声を上げるオーウェン。そこへ「……下がれ」とセルバが声をかける。
声の質は変わっていない。それでも、ほんのわずかだけ間があったのは、俺の聞き違いではないと思う。
「あの歳で、独学で上級魔術を……!?」
他の試験官達は、帳面から目を上げて驚いたようにオーウェンを見ていた。
当のオーウェンは満面の笑みでこちらへと戻ってくる。
「いやーかなりギリギリだった!正直なところ、上級はまだ安定しねぇわ」
「……やるとは思ってたけど、そんなもん今ここで出すな。中級の詠唱で十分だったろ」
「アッハッハ!そんな無粋なこと言うなよ、リオ。ほれほれ、俺はやってやったぞ!お前も一発かましてこい!」
オーウェンはそう言って肩を組みながら、俺の髪をわしゃわしゃと乱暴に撫でてくる。痛い痛い。
――そして。
「リオ・クリストフ」
その時はやってきた。
その声を聞いた時、心は自然と凪いでいた。
動揺することも、奮い立つこともない。ただ静かに、その名前が自分のものだと認識して、俺は一歩を踏み出した。
前に出る。セルバが俺を見つめている。
修練場全員の視線が、俺に注がれている。
「――始め」
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