3 王都
レストクレスが見えてきたのは、馬車が街道の長い坂を登りきった、ちょうどその時だった。
石造りの城壁が、地平線の左右へどこまでも続いている。城壁の向こうには幾重にも重なった建物の屋根と尖塔が空へと突き出ており、その最奥に、白く巨大な城がどっしりと構えている。タルポ村の全てを飲み込んでもまだ余りそうなほどの、とてつもない規模だ。
城門をくぐった瞬間、世界が変わった。
他の馬車の蹄の音。荷車の軋み。行き交う人々の怒鳴り声と笑い声。どこかの露店から漂ってくる美味そうな食い物の匂い。それら全てが混ざり合って、分厚い塊になって一気に押し寄せてくる。
「うおォーッ!!!すッッッげえ!!!」
隣に座っていたオーウェンが俺の肩に手を置き、馬車から身を乗り出して叫んだ。周囲の何人かがギョッとしてこちらを見る。
「声がでかい」
「仕方ないだろ!だってすごいんだから!見ろよリオ、人が多すぎて向こうが見えないぞ!あの塔でかくないか!?城壁ってあんなに分厚いのか!?」
「落ち着け」
「落ち着ける訳あるか!これが王都レストクレスだぞ!?俺ら、王都に入ってるんだぞ!?」
……まぁ、気持ちはわからなくもない。
俺達が育ったタルポ村は、レストクレスから馬車で7日かかる農村だ。村の人口は全部で200に届くかどうか。タルポ村だけで7年を過ごしてきた俺達の目には、この光景はいささか刺激が強すぎた。
石畳の大通りの両側に店が所狭しと並び、色とりどりの人々が行き交っている。冒険者らしき装備の姿の男達、大声を張る商人、鮮やかな服の女、俺達と同じく旅荷を背負った若者。誰もが目的を持って、それぞれの方向へ流れていく。
「……でかいな」
「でかいって言葉しか出てこないのかよ!もっと他に言葉があるだろ!感動しろ感動!」
「してるよ。それに王都もお前の声も、でかいものはでかい」
「ほんとに感動してるのか?いつもと顔が変わってないぞ」
オーウェンは呆れたように笑って、「まぁいいや」と俺の背中を叩く。
御者の老人がちらりと俺達を振り返って、小さく笑った。俺達みたいな田舎者がこんな反応になるのは、いつものことなのかもしれない。
「とにかく宿に行こうぜ。荷物置いたら街に出るぞ!」
「選抜試験は明日からだぞ」
「わかってる!だからこそ今日中に楽しまないといけないんだろ!」
その理屈はよくわからないが。
◇◇◇
宿は《魔討騎士団》から指定されていた。大通りを抜けて少し入ったところにある、大きな建物だ。選抜試験の受験者向けに部屋が確保されているらしく、受付には同じく旅荷を背負った若者が何人も並んでいた。
受験志望者用の帳簿に名前を書く時、「三術の有無」の欄で一瞬だけ手が止まる。
三術。それは人類が魔物や魔族に対抗するために修練されてきた術理のことである。
その中の1つ、魔術は魔力を持つ者が呪文を詠唱して行使するものだ。
魔力自体は100人いれば80人程度が有するが、戦闘に使えるだけの魔力量、技量まで伸びる者は限られる。具体的には、基本の中級魔術を略式詠唱で発動できるかが基準となるらしい。
もう1つの秘術。こちらは魔力を基にしない属人的な術の総称とされている。魔術のように本人の意思で発動するものや、特異体質など発現方法は色々ある。
因子自体は、魔力を持たない20人のうちの10人が持つと言われている。
しかし、こちらは魔術のように体系化されていない。因子を持っていても発現するかも定かでないため、自分が秘術を持つことそのものを自覚しないまま生涯を終える者も多い。
そのため、発現者は更に希少だ。
……ここであれこれ考えても仕方ない。俺はただ武術とだけ書いた。
隣でオーウェンが「俺は武術と魔術!」と元気よく言いながら書いているのを見て、俺は帳簿から目を逸らした。
「よし!行くか!」
部屋に入って荷物を下ろすや否や、オーウェンが言う。
「ここまで長旅だったろ。少しくらい休んでから出ないか?」
「せっかく王都まで来て、部屋で大人しくするなんて勿体ないだろ。休むのは帰ってきてからでいい!」
「お前……、ほんとに明日が試験だって分かってるんだよな?」
「あぁ、もちろん!」
「……はぁ。分かってて言ってる方が余程タチが悪いな……」
ため息をつきながらそう言うが、こうなったオーウェンは俺には止められない。
俺は渋々荷物を壁際に立てかけ、剣だけ腰に差し直して部屋を後にした。
それから夕暮れまでの数刻を、俺達はあてもなく街を歩いた。
「リオリオ、あそこ見ろよ。串焼き屋だ」
「あぁ、串焼きだな。さっきも食ったな」
「さっきのとはまた別の店だ。こっちは羊だぞ羊。タルポ村じゃ食えないやつ」
「……食うか」
「食おうぜ!」
串焼きを1本ずつ手に持って、俺達は大通りをぶらぶらと歩く。羊の肉は思ったより柔らかく、癖がない。香辛料の香りが鼻を抜けた。美味い。素直にそう思った。
「どうだ?」
「美味い」
「だろ!王都すげぇな!飯まで違う!」
「お前、さっきから何でもすごいすごい言ってるな」
「だってよ、こんなにすごいとは思ってなかったんだぜ!?」
それは確かにそうだ。特に反論する気は起きない。
大通りから一本路地に入ると、王都はまた別の顔を見せた。小さな花屋と古書店と茶屋が肩を寄せ合って並んでいる。どこかで弦楽器が鳴っている。少し物憂げな音色が、石畳の上を漂う。
「茶、飲むか?」
オーウェンが茶屋の軒先に出た木のテーブルを指して言った。
「……お前が払うのか」
「たまにはいいだろ。入団前祝いってことで」
「まだ受かってないぞ」
「受かるに決まってる」
断言だった。こいつは本当にそう思っているらしい。自分のことも。……俺のことも。
茶が来た。素焼きの器に、薄い黄金色の液体。一口飲むとほのかに甘くて草の香りがした。
「タルポ村では飲んだことのない味だ。香りもいいな」
「だろ!王都すげえな!茶まで違う!」
「さっきと全く同じことを言ってるぞ」
それから往来を眺めながら、しばらく2人とも黙って茶をすすった。日が傾いて、石畳に長い影が伸びてきた。行き交う人々の顔が夕日色に染まっていく。
「……なぁ、リオ」
「何だ」
「緊張してるか?試験」
少し考えてから答えた。
「……してない、とは言えないな」
「だよな!俺もだ!」
「緊張、するのか……?あのお前が……?」
俺は眉を上げながら口に手をやって、大仰に驚いたように言う。
「するわ!失礼だな、俺だって人間だぞ!」
「とてもそうは見えなかった」
「どういう意味だそれは」
オーウェンが若干泣きながら言うので、俺は少しだけ表情を緩めた。
「悪い意味じゃない。お前はどこにいても変わらないから、そう見えるってことだ」
「……まぁ、変わったってしょうがないからな。それに」
オーウェンは器を両手で包みながら続ける。
「リオも、そんな心配すんな」
「何がだ」
「明日の試験。お前、強いし。剣だけでも突破できないわけがないと、俺は本当にそう思ってる」
「……」
大きく息を吸って、吐く。こいつはこういう時、妙に真顔になる。
「……だといいけどな」
「きっと大丈夫だ!この俺が断言する!」
「そりゃどうも」
呆れる気も起きず、俺はまた茶を一口すすった。
夕日が路地の奥まで差し込んでいた。どこかから子供の笑い声が流れてくる。
「……もう1杯頼んでいいか」
「いいぞ!今日は奮発してやる!」
財布を取り出すオーウェンの顔が、夕日に照らされて橙色に染まっていた。
◇◇◇
宿に戻ったのは、空が群青に落ちてからだった。
「あーっ楽しかった!てか疲れたぁー」
「だから言ったろ。休もうって」
「リオがもっと止めてくれれば良かったのによぉ」
「こいつ……」
「アッハッハ、冗談だよ冗談!」
拳を握りしめる俺を尻目に、オーウェンはおどけて言いながら自分の荷物を広げ始める。だが、どこに何を入れたか分からなくなってわたわたしている。
俺は先に自分の荷を整えて、窓の戸を少し開けた。夜風が入ってくる。街の灯りが遠くまで連なって、タルポ村の夜とは比べものにならないほど明るい。
「リオ、俺の替えの服どこだ?」
「知らん」
「一緒に詰めたんだけどな……あれ、靴下が3足しかない。出発前に4足あったはずなんだが」
「旅の途中で落としたんじゃないか」
「嘘だろ……」
オーウェンは真剣な顔で荷物を掘り返し続けている。俺はそれを横目で見ながら、窓の外に目を戻した。
「……なぁ、オーウェン」
「ん?あ、あった靴下!4足目!!」
「……そうか」
「なんだよ、ちゃんと聞いてるぞ」
「いや、もういい」
オーウェンはきょとんとして、それから「そっか」とだけ言った。
部屋に沈黙が落ちた。
しばらくして、オーウェンの寝息が聞こえてきた。荷物整理が終わったかどうかは怪しいが、こいつは本当に切り替えが早い。
俺はもう少しだけ、窓の外を眺めた。
明日、選抜試験が始まる。
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