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剣閃の彼方  作者: 西 貴志朗


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3/10

2 出立


 タルポ村の孤児院は、村外れの丘の中腹にある。


 石造りの壁に蔦が這い、長年風雨に晒された木製の扉は閉めるたびに低く軋む。決して立派な建物とは言えない。

 それでも、俺には長年慣れ親しんだ家だった。

 

 訓練場から孤児院まで歩く間もずっと喋り続けていたオーウェンが扉の前で立ち止まる。そして、先んじてその古い扉を押し開けた。


「ただいまーッ!アンネさーん、帰ったぞーッ!」


 底抜けに明るい声が、石造りの廊下に響き渡った。


「はいはい、うるさいわよオーウェン。帰ってきたのはわかったから、もう少し落ち着きなさい」


 廊下の奥から小柄な女性が姿を現した。

 アンネさんは俺達を育ててくれた孤児院の院長だ。明るい栗色の髪を束ねて、常に凛とした佇まいの妙齢の女性である。

 オーウェンに呆れるような口ぶりをしながらも、アンネさんの目は柔らかく細められている。

 

「リオもおかえりなさい。稽古疲れたでしょ?」


「ただいまです。問題ありません」


 アンネさんはいつも俺よりオーウェンを先に叱り、俺には改めて声をかける。

 俺がオーウェンとは対照的に寡黙だからだろうか。それとも俺は放っておくと黙ったまま部屋に籠もるからだろうか。恐らく、両方だ。

 

「そう?その割には顔が疲れているようだけど」


 ……アンネさんに隠し事はできないな。

 

「……まぁ、ひと悶着ありまして」

 

「いやぁそれがさアンネさん、立ち合いが終わった後にまた面倒な連中が絡んできてよぉ。リオが追っ払ったけどな!」


 確かに絡んできたのはむこうだが、厄介事になったのはお前が煽ったからだろう、オーウェン。

 俺はそうツッコミかけたが、オーウェンが煽ったのは俺のためだ。口を噤むことにする。


「……はぁ。またアロウ村長のところの坊ちゃんね」


 アンネさんはそれを聞いて、事の次第を把握した様子でため息を吐く。




「オーウェンーッ!リオーッ!おかえりーッ!!」


 廊下の奥から今度は複数の足音が雪崩のように迫ってきた。


「わっ!」


 先頭を走ってきた男の子が、オーウェンの腹あたりに頭から突っ込んでくる。オーウェンが咄嗟に受け止めなければ、2人揃って廊下に倒れていたところだ。

 

「うわっと!おいおい、ルーカス!転ぶぞ!」


「転ばなかったもん!オーウェン達、今日も稽古してたの?見たかったなぁ」


 ルーカスはオーウェンを見上げながら元気に言う。茶色い癖毛と大きな目が特徴の男の子だ。こいつが院で一番の暴れん坊で、アンネさんをいつも手こずらせている。


「ははぁ、見せてやりたかったがな。残念、もう終わっちまったよ」


「えーッ!じゃあ今度こそ見る!」


「今度はないよ。俺達は明日の朝、ここを発つから」


 オーウェンが真剣な顔でそう言った瞬間、ルーカスの顔から笑みが消えた。

 残りの子供達も、その言葉を受けて静かになる。皆わかっていたはずだ。それでも――

 

「……嫌だ」


 ルーカスは消え入りそうな声でそう言う。さっきまでの威勢が嘘のように、ぐっと口を結んで顔を俯ける。目の端が赤くなっている。

 オーウェンはルーカスの頭にポンと手を置く。


「心配するな!またいつか帰ってくるから!」


「……ほんとに?」


「おう!待ってろよ!俺とリオで《魔討騎士団(アナイアレイト)》に入団して手柄をドドンと立てたら、でっかい土産を持ってくるからな!」


 オーウェンがルーカスの髪をわしゃわしゃしながら笑顔でそう言うと、ワァと歓声が上がる。

 そして、子供達が嬉々としてオーウェンに群がっていく。オーウェンは笑いながら次々と子供たちの相手をしていた。


 まったく……。剣は上でも、こういう所は本当に敵わないな。あの底なしの明るさは、俺にはどうしても真似できない。

 

 ――本当に、こいつは眩しい。

 

 これが、オーウェン・アークライトという人間だ。

 だからこそ、俺はこいつの隣に立てる自分でいたいのかもしれない。

 

 そう思っていると、俺の服の裾をぎゅっと握っている少女が1人、こちらを見上げていた。ミカだ。


「……リオ」


「行ってくるよ、ミカ」


「……うん」


「泣くなよ」


「泣いてないし」


 そう言いながらミカの目は潤んでいる。俺はしゃがんで目線を合わせた。


「リオもちゃんと帰ってくる?」


「ああ」


「絶対?約束する?」


 俺は言い淀んだ。やはり俺は、オーウェンとは違う。

 だが、ミカを前にして、俺は他の言葉を持っていなかった。


「……約束だ」


 ただ、そう答えた。




「リオ」


 アンネさんが俺の隣に立った。オーウェンと子供達の声を聞きながら、彼女はその騒がしい光景をゆっくりと見ている。


「明日の朝はバタバタするでしょうから、今言っておくわ」


「はい」


「あなた達を送り出せることが、誇らしい。2人とも、本当によく頑張ったわ」


「ありがとうございます」


「でもね、リオ」


 アンネさんは一度言葉を止めた。それから俺の方を見て、静かに続けた。


「あなたの心が自分を追い詰めすぎないか、それだけが心配よ。オーウェンはああいう子だから、あまり1人で抱え込まないようにね」


 俺は一瞬、返事に詰まった。

 俺の内側の暗い部分に、この人はいつも真っ直ぐ触れてくる。


「……わかりました」


「本当にわかってる?」


「……努力します」


「ふふっ、正直ね、あなたは。それでいいわ」


 アンネさんは小さく笑い、それ以上は何も言わなかった。


 その夜は院の全員で夕食を囲んだ。普段より少し豪華な料理がテーブルに並んで、子供達が騒ぎ、オーウェンがそれを更に煽り、アンネさんが呆れながら笑う。

 俺はその輪の中にいながら、どこかぼんやりとその光景を眺めていた。




 翌朝。


 夜明け直前から俺は目が覚めていた。眠れなかったわけではない。ただ、これ以上眠る気にならなかった。

 荷物はとうに纏めてある。剣だけを手に取り、俺は院の外に出た。


 朝の空気は冷たく、山々の輪郭がうっすらと群青に浮かびあがっていた。タルポ村の空は、今日も雲一つない。

 俺はしばらくその空を見上げていた。何を考えているわけでもない。ただ見ていた。


「早いな、リオ」


 背後から声がして振り返ると、オーウェンが扉から出てきた。荷物を背負い、腰に帯剣している。既に出立の格好だ。


「お前こそ」


「興奮してたら目が覚めた。子供みたいだろ」


「子供みたいだな」


「うるせぇ」


 オーウェンはそう言いながら、俺の隣に立つ。2人揃って、しばらく朝焼けの空を眺める。

 

「……なぁ、リオ」


「何だ」


「いよいよだな」


「あぁ」


 それ以上の会話はなかった。オーウェンにしては珍しく、静かにそこにいた。


 やがて院の扉が軋んで開き、子供達がぞろぞろと姿を現した。アンネさんがその後ろに続く。


「早起きね、2人とも」


「旅立ちの日に寝過ごすわけにいかないだろ、アンネさん」


 オーウェンがそう言って、大袈裟に胸を張る。

 子供達が俺達の前に並んだ。


「じゃあな!行ってくるぜ!」


「行ってきます」


「……行ってらっしゃい。頑張ってね」


 村外れの道に出ると、約束していた馬車がすでに待っていた。御者の老人が無言で俺達を見る。俺達は荷物を積み、並んで座席に収まった。

 馬車がゆっくりと動き出す。蹄の音と車輪の音が、砂利道に響いた。


「絶対でかくなって帰ってくるからな!待ってろよ、お前ら!」


 オーウェンが馬車の中からそう叫ぶ。子供達の何人かが笑い、何人かがまた泣き出した。


 俺も最後にもう一度だけ、孤児院の方を見る。手を胸の前でギュッと握ったままのミカを見て、俺は小さく頷いた。


 馬車は村道を抜け、木々の間を縫いながら進んでいく。やがてタルポ村の景色は木立の向こうに隠れ、見えなくなった。

 目指すは王都レストクレス。そこで俺達は、《魔討騎士団(アナイアレイト)》の選抜試験を受ける。




 両親を失った夜のことを、今もはっきりと覚えている。全てを焼き尽くした紅い炎と、全てを根こそぎ奪っていった魔族。

 俺が剣を持ったのは、オーウェンとの約束のためだけではない。そのことを、俺自身は誤魔化せない。


 ――俺の奥底で、あの紅い炎だけが今も静かに燃え続けている。


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