11 急変
《魔討騎士団》入団がかかった第二試験の舞台、ハイレン山。
鬱蒼と生い茂る木々が幾重にも折り重なり、頭上を覆い尽くしている。地上まで届く陽光はわずかに漏れる糸のようなもので、辺りは薄闇に沈んでいる。
踏みしめる地面は微かにぬかるみ、一歩ごとに湿った土と腐葉土の匂いが鼻をつく。
時折、どこからともなく怪鳥のものらしき甲高い唸り声が谷間に反響し、その度に森全体がピリッと張り詰めるのがわかった。
深き森が侵入者の行く手を阻むその山の奥底で、俺はただ無情に剣を振るっていた。頭で考えるよりも先に、身体が最短最善の解を出す。既に幾度となく繰り返した動きだ。
「グ、グォォォォ……」
喉元をバッサリと切り裂かれたブルートオーガがまた1体、絶命直前の悲鳴を上げながら大地に伏せる。血の匂いが濃く広がり、断末魔の唸りが木々の合間に吸い込まれるように消えていった。
俺はその様子を、ただ立ち尽くして見ていた。荒くなった息を整えながら、静かにその最期を見届ける。剣先からポタリと滴る血が、足元の落ち葉を赤く染める。
「……これで完了だな」
そしてと言うべきか、やはりと言うべきか。
1体目のブルートオーガとの戦闘で戦い方と自信が身についた俺は、残り2体にも危なげなく勝利した。
今仕留めたブルートオーガの角の採取を終わらせ、剣にこびりついた血を一振りで払い落とす。鈍い赤色が宙に飛び散り、湿った土の上に染みを作った。
そのまま、迷いのない手つきで剣を鞘へと納める。チャキという小さな音だけが、静まり返った森に響く。
腰の袋を探ると、これまで仕留めたブルートオーガの角の硬く冷たい感触が伝わる。これで……3つ。後はこの角をアッシュ村の試験官に渡せば、第二試験も恐らく合格だろう。
――これでようやくスタートラインに立てる。
そう思うと、肩から力が抜けていくのがわかった。
……いや、気を抜くのはまだ早い。無事にアッシュ村に帰れるまで油断はできない。まだ試験中であることを忘れるな。
自分を戒めて残り時間を考える。日はだいぶ傾いてきているが、まだ余裕はあるはずだ。
なんにせよ、アッシュ村まで急ごう。オーウェン達も、無事に終えているといいが……。
ガサリ――。
「ッ!」
唐突に遠くの茂みが動いた。木々のざわめきに紛れて、確かにそれとわかる不自然な音。
俺はすかさず柄に手をかけてそちらを見る。抜き放つ寸前まで神経を研ぎ澄ませ、呼吸を殺した。ブルートオーガを3体仕留めた程度で油断していい山ではない。怪鳥のような唸り声も、耳に残っている。
ザザ、ザザ、と少しずつ近づいてくる。
草を踏む音、枝を払う音。一定の間隔で迫るそれは、その辺の動物の不規則な足取りとは明らかに違う。
顔見知りか、見知らぬ受験者か、それとも……新手の魔物か。
最悪の想定が頭をよぎった刹那、茂みを掻き分けて姿を現したのは――。
「――フゥ。あれ、リオじゃん」
「……マーカスか」
ひょこりと顔を見せたのはマーカスだった。張り詰めていた気が、一気に緩む。構えていた手をゆっくりと剣の柄から離した。見知った顔だったことに、思わず詰めていた息が漏れた。
◇◇◇
「いやー助かった助かった!こんなところに川があったなんてな。全然気がつかなかったぜ」
「……地図を見ればすぐわかるだろ」
「それがさぁ道に迷っちゃってさ、自分が今どこら辺にいるかもわかんなかったんだよ。リオのおかげでようやくわかったわ」
先ほど俺が休息をとった小川、俺達はそこにいた。木陰に身体を預けている俺にマーカスは額の汗を拭いながら笑いかける。
だが、その笑みの端にはわずかな焦りが滲んでいるように見えた。
「で、どうなんだよ。リオはもう試験クリアしたのか?」
「あぁ、さっき3体目を倒した」
「ヒュー、やるじゃん!おめでとさん!」
「ありがとう。マーカスの方はどうなんだ?」
「俺?俺はさぁ、実はまだ2体なんだよな……」
マーカスはそう言いながら、袋から角を出す。確かにその手にはまだ2本しか角がない。
「1体目でしくじって手間取っちまってさ。おかげで時間食っちまった」
マーカスは苦笑いしながら頭をガシガシと掻く。日はかなり傾いてきている。西の空が橙色に染まり始めていた。制限時間まではまだあるはずだ。しかし、悠長にしていられる時間でもない。
「マーカスはどの辺を探していたんだ?」
「あっちの方だな。斜面を上がったところの崖沿いをずっと回ってたんだが、もう1体がどこにも見つからなくてよ」
マーカスが顎で示した方角に目をやる。木々の向こうに、切り立った岩肌が薄暗くそびえているのが見えた。
「そうか。まぁ時間的にはまだ十分間に合うだろ。俺はアッシュ村に戻るとするよ。マーカスも頑張れよ」
そう言って踵を返しかけた俺の背中に、マーカスの視線が刺さるのを感じた。去り際に一瞥すると、彼は何か言いたそうに口を開きかけては、また閉じるのを繰り返していた。
「……なぁ、リオ。物は相談があるんだが」
マーカスはそれまでの人懐っこい笑顔を引っ込めて、神妙な顔つきでそう切り出した。
「なんだ?」
「――無理を承知で頼む!残りの1体探すの手伝ってくれないか?」
マーカスが手を合わせながら頭を下げる。先ほどまでとは打って変わって真剣な態度だ。笑顔の下に、ずっとこれを隠していたのだろう。焦りと必死さが滲み出ていた。
俺は少しの間、何も言わなかった。そもそも、だ。
「……この試験は単独でって話じゃなかったか?」
俺はセルバが言っていたことを思い出す。セルバの示した条件は、単独でブルートオーガの角3つを半日後までに持ってくることだったはずだ。
だが、俺の言葉にマーカスはしたり顔で人差し指を立てながら口を開いた。
「いいや。単独でっていうのはあくまで入山がって話だ。受験者同士で協力禁止とは言われてないぜ」
……言われてみれば、確かにそうだ。セルバの言葉を頭の中で反芻してみるが、受験者同士の協力を明確に禁じる文言はなかったように思う。尤も、俺はそんなことを考える余裕もなく山に踏み込んでいたが。
マーカスはおそらく入山前からこの可能性を頭に置いていたのだろう。用意のいい奴だ。
俺は腕を組んで少し考える。はっきり言って俺がマーカスを手伝うメリットはない。
自分の角は既に3つ揃っている。後はアッシュ村に戻るだけだ。余計なところで体力を使う必要もなければ、時間を削る必要もない。合理的に考えれば、さっさと一人で戻るのが正解だ。
しかし、マーカスは友人というほどの付き合いでもないが、王都に出てきて初めてできた顔見知りだ。昨日同じ卓を囲んで飯を食った。それだけのことではあるが、このまま見捨てて不合格でしたというのも寝覚めが悪い。
オーウェンならどうする。いや、考えるまでもないか。アイツ「よし行くぞ!」と言って既に歩き出しているだろう。損得など頭の端にも浮かばないまま。
まったく、長年隣にいた影響はこういうところに出るらしい。
「……はぁ。わかった。ただし、手伝うのは見つけるまでだ。仕留めるのはお前がやれ」
「マジか!ありがとな、リオ!恩に着る!」
マーカスが破顔して、力強く俺の肩を叩いた。その勢いに思わず半歩よろめく。こいつ、嬉しいと力加減を忘れるタイプか。
「喜ぶのは後でいい。時間は有限だぞ」
「おう、そうだな!じゃあ早速行くか!」
マーカスが先導するように、獣道とも呼べない踏み跡を進んでいき、俺はその後ろに続く。木々の隙間から差し込む光が、赤みを増していく。
夕暮れが刻一刻と近づいていた。
「なぁ、リオはなんで《魔討騎士団》を目指してんだ?」
二人でブルートオーガを探す道すがら、マーカスが唐突に聞いてきた。
「……オーウェンと約束したからだ。大きくなったら《魔討騎士団》に入って魔族から人々を助けるってな」
「そういやオーウェンが相棒とかって言ってたな。幼馴染とかか?」
「同じ孤児院で暮らしてたんだ」
「あっ、そうだったのか。悪い」
マーカスが申し訳なさそうな顔で謝る。親がいないことに触れてしまったからだろう。
「いや、大丈夫だ。気にしてない。マーカスはどうなんだ?」
「俺か?俺は生まれも育ちもレストクレスだからさ、子供の頃からずっと《魔討騎士団》に憧れてたんだよ」
俺が聞き返すと、マーカスは目をキラキラと輝かせながら語り始めた。
「王都じゃ《魔討騎士団》って本当に身近にいる英雄みたいな存在でさ。俺も大きくなったら絶対に入りたいって決めてたんだ」
「……英雄、憧れ、か」
英雄願望というやつか。
正直に言えば、俺にはそういった感情はない。だが、理解はできる。英雄になりたい、人から尊敬されたいという感情。
それこそマーカスにとっては、《魔討騎士団》は命を懸けてでもなりたいものなのだろう。
それから俺達は無言で歩き続けた。足元の枯れ葉を踏む音と、遠くで風が梢を揺らす音だけが続く。
……いい加減辺りが暗くなってきた。まだ猶予はあるが、そろそろ見つけないとマズいな。
――と、俺が焦りを覚え始めたその時。
「待て、マーカス」
「どうした?」
「この先に何かいる」
視線の先をマーカスも凝視する。なにか大きな物体が横たわっている。
俺達はゆっくりとその物体に近づいた。
近づくほどに押し寄せる、むせ返るような強烈な血の匂い。
――なんだ、これは。
無造作に地面に横たわっていたのは、巨大な鳥のような魔物の亡骸だった。人の丈を超えるほどの翼が、無残に引き裂かれて地面に投げ出されている。鋭い爪を備えた足は、片方が千切れて転がっていた。
そして何よりも衝撃的だったのは、頭と胴体を繋ぐ首の部分。そこが完全に分断されていた。
「……うっ、おぇ……」
あまりに惨い光景にマーカスが口元を押さえながら後ずさる。俺も込み上げる不快感を必死に抑え込んだ。
だが、それ以上に俺の意識を捉えていたのは別のことだった。
――この傷。
鋭利な刃物による切創ではない。かといって、獣の爪や牙による損傷とも違う。まるで、途方もない力で無理やり引き千切ったかのような、歪で不自然な断面。
ブルートオーガが、この魔物と戦ったというのか?いや、違う。この惨状は単純な力比べの結果には見えない。もっと、悪意めいた……。
「これ、多分グリフォンの一種だ……」
マーカスが青ざめた顔で言う。
「グリフォンがこんな死に方するなんて、あ、ありえねぇ。なぁリオ。これ、ブルートオーガがやったのかよ……?」
「……わからない。だが……」
俺は剣の柄に手をかけたまま、周囲を見渡す。肌がひりつくような感覚。先刻までとは明らかに質の違う雰囲気が、この場に漂っていた。
「……とにかく、離れよう。ここに長居するのは得策じゃない」
「あ、あぁ。そうだな――」
マーカスも異様な空気を感じ取ったのか、素直に頷いた。俺達は死骸から距離を取るように、来た道を戻ろうと踵を返す。
――その時だった。
「――ッ!?マーカス避けろ!」
「ぇ――」
俺は咄嗟にマーカスへ突進して抱え飛ぶ。
ズシン! と一瞬前までマーカスがいたところに、黒い影が落ちてきた。
それも1つではない。頭上から続けて4つ、ナニカが落下してくる。ウゾゾと蠢くその影達は、俺達をぐるりと取り囲んだ。
「ギ、ギギギ……」
影の1つが、獣とも人ともつかない歪んだ嗤い声を発する。
人ではない輪郭。馬鹿げたほどにどこまでも黒い、肌とも言えぬ肌。関節の位置がずれた異形の身体。ギョロリと動く赤い眼球が不気味に光っている。
「う、噓だろ……。なんでこんな所に……ッ!」
マーカスの声が震えている。無理もない。ここは人類生存圏の内側、王都からそう遠くない山だ。いるはずがないのだ。
脳裏に、あの夜の光景が蘇る。忘れたくても忘れられない、忌々しい記憶。
俺は剣を抜きながら、その黒い影の正体を叫んだ。
「――魔族……!」
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