9 第二試験②
移動用に《魔討騎士団》に飼い慣らされた魔物ウィンドホースの健脚が土を蹴る音、それだけがずっと規則的に響いている。
俺達が王都レストクレスを発って半刻ほど経っただろうか。王都では見慣れた石畳の街並みはとっくに消え失せ、視界の先に広がるのは鬱蒼と生い茂る木々と、遠くまで続くなだらかな尾根だ。
同じ山といってもタルポ村で慣れ親しんだそれの気配とは訳が違う。空気そのものがピンと張り詰めている。
遠目で見ても明らかに物々しい雰囲気が伝わってくるハイレン山。それが、これから俺達が挑む試練の場だ。
「全員止まれ!」
ハイレン山の麓に位置する村の入り口が近づいてくると、ずっと俺達を先導していた試験官の一人が号令をかける。それを聞いた受験者達はウィンドホースの手綱を操り、ゆっくりと走る速度を落としていった。
ピタリと行儀良く立ち止まったウィンドホースを降りて俺達はそのまま村へと入る。村の厩舎にウィンドホースを繋いでから離れると、試験官が声を張り上げた。
「ではこれより第二試験を始める!これからお前達受験者には、散らばって一斉に入山してもらう。セルバ副隊長がおっしゃっていたように、通過条件は制限時間の半日後までにブルートオーガの角を3つ持ってくることだ」
説明の合間にもう一人の試験官が受験者に、筒状に丸められた紙を配っていく。その紙を広げるとそれはハイレン山とこの村、そして周囲の位置関係を表した地図だった。ハイレン山の縁には赤い丸が描いてある。
「角を3つ手に入れた者は、このアッシュ村に戻ってきて待機している俺ウェイドかナッシュに渡せ。それを以て試験通過とする。では、赤丸が示している位置にそれぞれつけ。全員がつき次第、笛の音を鳴らす。笛の音が聞こえたら試験開始だ」
ウェイドが説明を終えると、受験者達が同時に動き出して離れていく。おそらくそれぞれの地図には違う位置に赤丸がついているのだろう。
……いよいよだ。いよいよ、この試験で俺の人生が決まる。
俺は目を瞑り、息を深く吸う。吐く。それを繰り返す。どこかささくれ立つ精神を落ち着けようとする。
大丈夫だ、俺ならやれる。俺なら――。
そこへ突然、背中にパシンと衝撃が走った。集中していたせいで、その大きくない衝撃に存外びっくりした俺は、ビクンと肩を震わせて勢いよく振り返る。
「へへっ、大丈夫かリオ?緊張しすぎて漏らすなよ?」
「……オーウェン」
振り返ると、背中を叩いた張本人のオーウェンがいつも通りの軽口を叩いてきた。いつの間にかマーカスとユニスも俺の元に集まってきている。
「まっ、ちゃっちゃと終わらせちゃってさ、また祝勝会しようぜ。今度はブライドの奴も誘ってさ」
「ん、ワタシ達なら問題ない」
「だな!よっしゃ行くぜ、気合い入れろ!オーウェン軍団!ファイオォー!」
「オォー!」
「ん」
「……いつから俺がお前の軍団に入ったんだよ。じゃあ俺はもう行くぞ、お前らも頑張れよ」
……コイツを見ていると、肩肘を張ってるのも馬鹿馬鹿しくなってくるな。俺は身体から適度に力が抜けたのを感じながら、オーウェン達へ背中越しに手を振って赤丸の地点に向かった。
所定の位置についた俺は、改めてハイレン山を覆う森へと目を向ける。
生い茂る木々が幾重にも折り重なり、その奥はまだ昼間だというのに薄暗く沈んでいる。
剥き出しになった岩肌が斜面のあちこちから顔を覗かせ、獣道すらまともに見当たらない地形が、森の外からでもはっきりとわかった。
まるで、招かれざる者を拒むかのような山だ。
風に乗って、森の奥から得体の知れない気配が漂ってくる。獣の唸りとも、風の音とも判別のつかないそれに、俺は自然と息を潜めた。
剣の柄に手を添えたまま、俺はもう一度深く息を吸い込んだ。冷たく張り詰めた山の空気が、肺の奥深くまで染み渡っていく。
そして、息を吐いたその時——。
ピィー!
空を割くような鋭い笛の音が聞こえてきた。第二試験開始の合図だ。
「……さて、行くか」
俺は覚悟を決めると剣を鞘に収めたまま柄に手を添え、緑深い山の中へ足を踏み入れた。
◇◇◇
木々の隙間から僅かに日光が差し込んでくる薄暗い山林の中、俺は周囲を注意深く観察しながら慎重に歩みを進めていた。
森に入ってから数刻が経過しただろうか。木々が織りなす自然の迷路のように入り組んだ森の中は、思っていた以上に静かで穏やかだった。
歩くたびにガサガサと擦れる葉の音、遠くから微かに聞こえてくる鳥の鳴き声、時折感じる小動物の気配。それ以外は、驚くほど何もない。
獲物を探してひたすら歩き続けているにもかかわらず、肝心のブルートオーガの姿はおろか、それがいた痕跡らしい痕跡すら見当たらなかった。
――繁殖期で気性が荒くなってるって話だったよな。
それなら、もっとわかりやすく暴れた跡があってもおかしくない。力ずくで折られた木の枝や、不自然に荒らされた地面、戦った獣の死骸。そういう痕跡を頼りに追う予定だったが、今のところ収穫はゼロだ。
さらに半刻ほど山肌に沿って進んだところで、俺は一旦足を止めた。額の汗を拭い、息をつく。
ここまで休憩なしで歩き続けていたためか、足にズンとした疲労を感じる。ずっと周囲を警戒していたこともあってか集中力の消耗も想定以上に激しい。
少し休憩しよう。そう判断して配られていた地図を開く。
森に入った赤丸の場所とこれまで歩いてきたおおよその距離・方角から、自分の現在の位置を推測する。それを地図と照らし合わせると、もう少し歩いたところに小川が流れているようだ。
よし、そこまで行って水を飲もう。汗もかいたことだし、ついでに顔でも洗うか。
とりあえずの行動指針が決まった俺は、乾いた喉を潤すために再び歩き始めた。
しばらく歩くと僅かに水の流れる音が聞こえてきた。
水音だ、近くを川が流れているぞ。オアシスを目前に控えた俺の足が自然と速くなる。
急ぎ足で、しかし周囲の警戒を怠ることなくズンズンと進んでいくと、唐突に日差しの降り注ぐ明るい場所に出た。
木々の少ない開けたその場所には、人の身長ほどの幅の清流が控えめに流れていた。透き通るように美しい水が、なだらかな斜面を伝っている。
俺は早速その川に近づいて、流れに両手を差し入れる。汗ばんだ肌をひんやりさせる程よい冷たさが心地良い。
もう耐えられないとばかりにそのまま両手で水を掬い上げて口をつけると、ゆっくりと喉を潤した。
「ふぅー……。あー生き返る」
疲れからか格別美味しく感じる冷水が、歩き詰めだった身体中に染み渡る。その感覚に浸りながら何度か水を飲んで、バシャバシャと顔を洗った。
――さて、どうするか。
小川近くに生えた木へと身体を預けて少しの間休憩した俺は、これからの方針を考えだす。
ここまで歩いてきてブルートオーガのいる痕跡は見つからなかった。じゃあ、奴らはもっと森の深いところにいるか……?となると、もっと奥まで足を延ばす必要がある。
正直に言えば、これ以上奥深くを探索したくはなかった。これから日没が近づいて更に暗くなる上に、戦闘と村に帰る時間を考えれば遠くまで進むのは得策じゃない。
とはいえ、このままでは期限までにブルートオーガに出会うことすらできない。
俺は2つの選択肢を天秤にかける。このまま周辺を探すか、リスクを承知で奥に進むか。
…………選択の余地はない、か。仕方ない。進もう。
俺が覚悟を決めたその時。
ピギギィィィィィ!
北西の方角、俺が進もうとしていた森の奥深くからけたたましい鳴き声が聞こえてきた。
耳をつんざくような甲高いそれは、どう聞いてもそれまでの鳥のものとは違う。
――もしかしたらブルートオーガと戦う別の魔物か……?
それなら、そちらに行けばブルートオーガもいるかもしれない。
そう考えた俺は立ち上がると、その鳴き声が聞こえてきた方向に向かって歩き出した。
奥深くに進むにつれて、樹木の密度がより増していく。夕方が目前に差し掛かり、視界も悪くなってきている。獣道と呼ぶにはあまりに頼りない踏み跡を辿りながら、俺はさらに奥へと足を進めていた。
――と、そこで違和感を覚えた。
木の幹に、抉ったような深い傷跡がある。それも1つや2つではない。同じような傷が、進行方向に向かって点々と続いていた。高さからして、人間の仕業とは思えない。これがブルートオーガのつけた跡か……?
傷跡はかなり新しい。少なくとも今日、この場所を何かが通ったということだ。
俺は剣の柄を握り直し、足音を殺しながら傷跡を辿っていく。空気が徐々に変わっていくのがわかる。木々の隙間から吹き込む風に、微かだが獣特有の生臭さが混じり始める。
そして、しばらく進んだ先。開けた場所に出る直前、俺は思わず息を呑んだ。
目の前に広がるのは、周囲の木がなぎ倒された小さな空き地。そしてその中心に――いた。
人間の倍近い体躯。黄緑色の皮膚に覆われた筋骨隆々の巨体。手には、木の幹をそのまま握り潰したような粗末な棍棒。醜く歪んだ顔からは、獣とも人ともつかない荒い息遣いが漏れている。
ブルートオーガだ。
その姿を確認して静かに剣を抜く。セルバの説明通りの外見だ。だが、話に聞くのと実際に目にするのとでは、圧が全く違う。
ドクン、と心臓が大きく跳ねた。ブルートオーガはただそこに立っているだけなのに、空気の密度すら変わって感じられる。棍棒を無造作に提げるその腕は、一振りで人体など容易く弾き飛ばすだろう。
風向きが変わるたび、獣特有の饐えた臭いが鼻の奥に張り付く。呼吸の一つひとつが、やけに大きく耳の中で響いた。
ブルートオーガの方も俺の気配に気づいたのか、ゆっくりとこちらへ首を巡らせた。血走った目が、真っ直ぐ俺を捉える。見つかった。
退く……、などという選択肢は当然最初からない。俺は静かに剣を構える。その柄を握る掌に、じわりと汗が滲んだ。
「グオオオォォォ!」
オーガの喉から、地鳴りのような唸り声が漏れる。獲物を前にした獣の、純粋な威嚇。
オーガが棍棒を握り直し、地面を踏みしめる。巨体に見合わぬ速さで、こちらへと踏み込んでくる気配があった。
――来る。
俺は剣先を向けながら、迫り来る巨躯を真正面から見据えた。
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