第3話 『欠席の理由は、誰にも言えない』
春の風は、少しだけ温かくなっていた。
屋上での昼休みが“当たり前”になり始めて三日目。
朝倉幸太郎は、いつものように本を片手に教室へ向かっていた。
しかし、少しだけ違うことがあった。
「おはよ、朝倉くん」
その声が、もう“特別な出来事”ではなくなっていたことだ。
水瀬陽菜は、机にカバンを置きながら笑った。
「今日も屋上行く?」
「……行くけど」
「即答じゃん」
「約束だし」
その言葉に、陽菜は少し嬉しそうに目を細めた。
後ろで椅子を引く音。
「おはよー、二人とも」
西園寺颯太が、いつもの調子で現れる。
「なんかさ、俺だけ蚊帳の外感すごくない?」
「気のせい」
「いや絶対気のせいじゃない」
陽菜が笑う。
「颯太くんも来ればいいのに」
「え、いいの?」
「ダメ」
幸太郎の即答に、颯太が机に突っ伏した。
「差別だろこれ」
教室が笑いに包まれる。
でも、その空気の中で――
陽菜だけが一瞬だけ、窓の外を見ていた。
昼休み。
屋上。
風は昨日より少し強い。
三人はフェンス際に並んで座っていた。
「ねえ」
陽菜が、唐唐とした声で言った。
「もしさ」
「うん?」
「誰かが急にいなくなったら、どう思う?」
空気が止まった。
颯太が一瞬だけ真顔になる。
「……物騒な話するなよ」
「たとえ話だってば」
陽菜は笑った。
いつもの、軽い笑い方。
でも幸太郎は気づいた。
その笑いは、少しだけ“遅かった”。
「普通に嫌だろ」
颯太が言う。
「そりゃな。友達なら」
「そうだよね」
陽菜は空を見上げた。
その横顔が、少しだけ遠く感じた。
幸太郎は弁当の蓋を開けながら言った。
「いなくなる前提で話す意味ある?」
「……ないかも」
陽菜は小さく笑った。
でもその笑顔は、すぐに風に消えた。
その日の午後。
教室はいつも通りだった。
しかし、ホームルームで先生が言った一言で空気が変わる。
「水瀬、今日も欠席か」
数人が顔を見合わせる。
「また?」
「最近多くない?」
幸太郎の手が止まった。
颯太が小声で言う。
「朝倉、お前聞いてる?」
「……知らない」
「だよな」
幸太郎は窓の外を見た。
陽菜の席。
鞄だけが静かに置かれている。
それがやけに目に残った。
放課後。
颯太は帰っていった。
幸太郎だけが教室に残る。
気づけば、陽菜の机の前に立っていた。
「何やってんだ俺」
そう呟いた瞬間。
「朝倉くん?」
後ろから声。
振り返ると、別の女子が不思議そうに見ていた。
「水瀬さんなら今日は休みだよ」
「……知ってる」
「仲いいんだっけ?」
「別に」
そのまま立ち去ろうとした時だった。
女子がぽつりと言う。
「でもさ、水瀬さんってさ」
「?」
「毎週同じ曜日休むの、ちょっと変じゃない?」
足が止まった。
毎週同じ曜日。
ただの体調不良ではない。
ただの偶然でもない。
幸太郎は初めて、その事実を“線”として認識した。
帰り道。
夕焼けが街を染めていた。
幸太郎は一人で歩いていた。
いつもなら颯太が隣にいる道。
今日は静かすぎる。
頭の中に残るのは、昼の陽菜の言葉。
「誰かが急にいなくなったら」
あれは、ただのたとえ話だったのか。
それとも――
「考えすぎか」
そう言い聞かせた瞬間。
スマホが震えた。
メッセージ通知。
送り主は、陽菜。
『明日、屋上行ける?』
短い一文。
ただそれだけなのに。
なぜか、少しだけ怖かった。
幸太郎は空を見上げた。
桜はもう、ほとんど散っていた。
風が吹く。
花びらが一枚、足元に落ちる。
それを見つめながら、彼は小さく返事を打った。
『行く』
送信。
既読はすぐについた。
しかし、そのあとに続く言葉はなかった。
静かな夕暮れ。
その沈黙だけが、なぜか胸に残った。
そして幸太郎はまだ知らない。
“いなくなる前提の言葉”は、
ただの比喩ではないこともあるということを。




