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『最後の春、君と見た空』  作者: 優貴(Yukky)


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第29話 『残るもの、消えるもの』

月曜日の朝。

週末を挟んだ学校は、少しだけ空気が違っていた。

窓の外では新緑が増えて、春の終わりが近づいている。

朝の風も少し湿っていて、季節が次へ進み始めていた。

でも、朝倉幸太郎にとっては、そんなことどうでもよかった。

気になるのは一つだけ。

三日空いたあと、水瀬陽菜が何を覚えているか。

それだけだった。

教室。

扉が開く。

陽菜が入ってくる。

少し眠そうな顔。

髪が少し跳ねている。

いつも通り。

幸太郎を見る。

そして。

すぐ笑った。

「おはよう、幸太郎くん」

その一言で胸がほどける。

名前は残ってる。

ちゃんと。

でも。

陽菜は席に着いてから少し眉を寄せた。

幸太郎が見ると、気づいて小さく笑う。

「大丈夫」

そう言った。

でも。

その笑顔の奥に少しだけ影があった。

昼休み。

図書室。

青いノート。

陽菜が自分から開いた。

最近はそうだ。

忘れることが怖いから。

確認するようにページをめくる。

一枚ずつ。

二人で書いた日々。

その指が、あるページで止まった。

第23話。

クレープの日。

陽菜が少し首を傾げる。

「……これ」

幸太郎の胸が固まる。

「覚えてない?」

陽菜は困ったように笑った。

「行ったのは分かる」

「でも」

一拍。

「味が思い出せない」

その言葉は、思ったより重かった。

場所でも名前でもない。

感覚。

味。

その記憶から消えていく。

陽菜は自分でも驚いていた。

「いちごだったよね」

「そうだ」

「甘かった?」

幸太郎が少し笑う。

「お前、美味しいって言ってた」

陽菜は少し安心したように頷く。

「そっか」

でも、その表情は寂しかった。

放課後。

今日は寄り道しなかった。

図書室でノートを書いて、そのまま帰る予定だった。

でも。

校門を出たところで陽菜が足を止めた。

「……ちょっとだけ」

「ん?」

陽菜は空を見る。

薄曇り。

夕方。

少し風がある。

「川、行きたい」

幸太郎は頷いた。

何も聞かず。

二人で向かった。

川沿い。

水面が夕日を反射して揺れている。

花びらはもうほとんどない。

少しだけ草の匂いがした。

陽菜はフェンスにもたれて川を見る。

黙ったまま。

幸太郎も隣に立つ。

しばらく無言。

でも苦じゃない。

その時。

陽菜がぽつりと言った。

「最近ね」

「ん」

「夢みたいに感じることある」

幸太郎が見る。

陽菜は川を見たまま続けた。

「ノート読んで、“ああ、こうだったんだ”って思うの」

「でも」

唇を噛む。

「その時の気持ちだけ、少し遠い」

胸が締めつけられる。

陽菜は自分の胸元を握る。

「好きって分かる」

「大事って分かる」

「でも、その時のドキドキとか」

「嬉しかった感じとか」

少し震える声。

「ぼんやりする」

幸太郎は何も言えなかった。

言葉が見つからない。

陽菜は少し笑う。

泣きそうに。

「ひどいよね」

「記憶って、そんなところから消えるんだ」

その一言で、幸太郎の中で何かが決まった。

幸太郎はポケットからスマホを出した。

イヤホンを取り出す。

片方を陽菜に渡す。

陽菜が不思議そうに見る。

「何?」

「聞け」

再生。

静かなピアノ曲。

クレープ屋で流れていた曲だった。

陽菜が目を見開く。

風が止まる。

曲が流れる。

静かな旋律。

その瞬間。

陽菜の表情が変わった。

驚いたように。

胸に手を当てる。

「……これ」

目が潤む。

「思い出す」

幸太郎は少しだけ笑った。

「店で流れてた」

陽菜の目から涙が落ちた。

「すごい」

小さく笑う。

「急に、思い出した」

「いちごの味も」

「ベンチも」

「手、繋いだことも」

その声が震えていた。

陽菜はイヤホンを外さず、そのまま幸太郎を見る。

涙を浮かべたまま笑う。

「ありがとう」

その一言で、幸太郎はようやく気づく。

全部消えるわけじゃない。

きっかけがあれば戻る。

場所。

音。

匂い。

触れた温度。

繋がってる。

まだ失われていない。

陽菜が一歩近づく。

制服の袖を少し掴む。

「ねえ」

「ん」

少し照れながら。

でも真っ直ぐ。

「木曜日じゃなくても」

一拍。

「好きって言っていい?」

幸太郎の心臓が大きく鳴る。

でも答えは一つだった。

「……言え」

陽菜が笑う。

涙のまま。

そして。

小さく。

でも確かに言った。

「好き」

夕方の川沿い。

風が吹く。

イヤホンから流れる曲。

その音に混じって。

幸太郎は初めて思った。

まだ、終わってない。

失うだけじゃない。

残せる。

繋げられる。

それなら。

何度だって、取り戻せる。

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