第9回 四人だけの秘蹟、胎動する新世界
「……熱い。エルセさん、お腹が、こんなに……っ!」
カイルの掌の下で、エルセの腹部がドクン、ドクンと力強く脈打っている。
薄い法衣を押し上げるその膨らみは、先ほどよりも確実に大きくなっていた。
聖女の柔らかな肌からは、蒸気のような熱気が立ち上っている。
それは単なる体温ではない。
カイルの種子と、エルセの聖なる魔力が混ざり合い、未知の生命を形作ろうとする「創造の熱」だ。
「ああ……カイル君。……不思議なの。怖くないわ。……貴方がくれたものが、私の中で、私を内側から愛してくれているみたいで……っ♥」
エルセは、自身の腹部を愛おしそうに撫で、蕩けたような笑みを浮かべた。
その光景は、あまりにも神聖で。
そして、あまりにも卑猥だった。
宙に浮く異端審問局長ザカリアは、その異様な光景に歯をガチガチと鳴らした。
「狂っている……。一晩で受胎し、その日のうちに臨月を迎えようというのか!? そんなものは神の奇跡ではない! 魔族の……いや、それ以上の冒涜だッ!」
「……うるさいわね。解析もできないくせに、騒がないで」
アルスの腕の中で、ミリアが冷徹に、しかしどこか上気した声で告げる。
彼女の周囲に展開された魔法文字の鎖は、今や物理的な重さを持って地面を削っていた。
「ザカリア局長。……貴方の言ったことは半分正解で、半分間違いよ。……これは奇跡。……ただし、神ではなく、私たちの『欲望』が引き起こした特異点。……愛が深ければ深いほど、生命の螺旋は加速するのよ」
ミリアもまた、自身の腹部に手を添えた。
彼女の知的なローブの腹部も、不自然な曲線を描き始めている。
「アルス君。……感じて。……貴方の熱が、私の中で新しい理を書き換えているわ。……ああ、脳が、蕩けそう……っ♥」
一往復目。
母親たちは、異常な速度で進む妊娠の苦痛さえも、少年たちからの「極上のご褒美」として享受していた。
「……親父。見てるか?」
アルスが、地面に這いつくばる旧勇者を見下ろした。
「あんたが『聖女』や『賢者』としてしか扱わなかった彼女たちは、今、俺たちの『メス』として、神すら到達できなかった領域に手を伸ばしているんだ」
「ふ、ふざけるな……。そんなもの、愛なものか! ただの呪いだ! 俺が殺した魔王の呪いと同じだッ!」
旧勇者が絶叫し、折れた聖剣の破片を投げつける。
だが、その破片はエルセから放たれる黄金の光に触れた瞬間、パウダー状に砕け散った。
「……呪いじゃないですよ、おじさん。……これは、僕たちの『絆』の結晶です」
カイルが、エルセの背後に回り込み、その豊かな胸を後ろから包み込んだ。
ヌチュ、ジュルリッ……。
肌と肌が密着するたびに、粘りつくような水音が響く。
エルセの身体からは、カイルの若々しい匂いと混ざり合った、むせ返るような「発情したメスの匂い」が立ち上り、周囲の空間を愛欲の色に染め上げていく。
「ああぁっ♥ カイル君っ、もっと……っ、もっと私に触れて……っ! 貴方の手が、私の中の『この子』を喜ばせているのぉっ!!」
二往復目。
カイルの愛撫が、エルセの胎動をさらに加速させる。
それは、見ている者たちの精神を汚染するような、圧倒的な背徳のセレモニーだった。
審問官たちは、もはや武器を構えることすら忘れていた。
彼らが信仰してきた「神の沈黙」よりも、目の前の「生の咆哮」の方が、遥かに美しく、恐ろしかったからだ。
「……全軍、退け! 退くのだッ! ここには神はおられぬ! 地獄が……極楽の皮を被った地獄が生まれるぞッ!」
ザカリアが退却を命じた。
だが、遅すぎた。
エルセとミリア。
二人の母親が、同時に、自らの腹部に手を重ね、カイルとアルスの名前を叫んだ。
「「――来なさい、私たちの『愛』の結末ッ!!」」
ドォォォォォォォンッ!!
屋敷の屋根が吹き飛んだ。
黄金と極彩色の光柱が天を突き、王都の夜空を昼間のように照らし出す。
その光の中心で。
エルセの腹部から、まばゆいばかりの「光の糸」が溢れ出した。
それは胎児などではなかった。
それは、物理的な形を持った「新しい魔法体系」と「新しい倫理」の奔流。
光の糸は、逃げ惑う審問官たち、そして地面で震える父親たちを、次々と絡め取っていく。
「な、何だこれは!? 身体が……身体が熱いッ! あ、あああぁぁぁっ♥」
旧勇者が、無様にのたうち回った。
エルセから放たれた光に触れた瞬間、彼の脳内に、彼が今まで無視してきた「妻の孤独」と、それを上書きする「カイルの愛欲」のビジョンが強制的に流し込まれたのだ。
それは、最悪の精神攻撃。
自分の妻が、親友の息子に抱かれ、絶頂している記憶を、あたかも自分の体験であるかのように味わわされる地獄。
「が、は……っ。エルセ……エルセェェッ!! やめろ、俺に見せるなッ! お前が、あんな声を……あんな顔を、あんなガキに見せるなんてぇぇっ!!」
三往復目。
旧世代の英雄たちは、自分たちが犯した「愛の欠如」という罪を、快楽という名の刑罰で精算させられていた。
「……ふふ。お父様、そんなに苦しい? でも、これが私たちがずっと耐えてきた『寂しさ』の裏返しなのよ」
エルセが、光の翼を広げ、空中でカイルと抱き合ったまま囁く。
「……さようなら。……旧き、冷たい世界。……これからは、私たちが愛し合うための、新しい世界が始まるわ」
ミリアもまた、アルスの首に腕を回し、白目を剥いて絶頂しながら魔法陣を完成させた。
「――『新世界創造』」
パキィィィィィンッ!!
世界が、ガラスのように砕けた。
王都全体を包み込んだ光は、人々の記憶を、価値観を、そして肉体さえも、強引に「愛欲を肯定する形」へと再構成していく。
もはや、誰も四人を異端とは呼ばない。
もはや、誰も「親友の母」を寝取ることを罪とは呼ばない。
四人が中心となり、欲望こそが真理となる、狂った黄金郷。
光が収まった時。
屋敷の跡地には、抱き合ったままの四人が、静かに降り立った。
エルセとミリアの腹部は、先ほどまでの異常な膨らみが嘘のように、元の平坦な、しかしより一層艶やかな形に戻っている。
その代わり。
二人の手の中には、実体化した「新しい力」が握られていた。
「……アルス。見て」
ミリアが差し出したのは、二つの、透明な結晶体。
その中には、小さな、しかしはっきりと拍動する「二つの心臓」が透けて見えていた。
「これ……。俺たちの、子供なのか?」
「ええ。……でも、肉体を持って生まれるのは、まだ先。……この子たちは、今の世界を『私たちが愛し合える場所』に書き換えるための、意思を持った魔法核なのよ」
アルスとカイルは、自分たちの血と愛から生まれたその結晶を、愛おしそうに受け取った。
自分たちは、ただ母親を救いたかっただけだ。
だが、その結果。
世界そのものを、自分たちの背徳を祝福する「ゆりかご」に変えてしまった。
「……最高だぜ、アルス」
「ああ。……これでもう、邪魔する奴は誰もいない」
四人は、瓦礫の山となったかつての家を背に、ゆっくりと歩き出す。
父親たちは、もはや廃人のように地面に転がっている。
彼らの瞳からは光が消え、ただ「失った愛」への後悔だけを呟く人形と化していた。
だが。
勝利を確信した四人の前に。
空の彼方から、一筋の「黒い雷」が落ちた。
それは、世界を書き換えられたことに怒る「世界の守護者」ではない。
「――面白い。……まさか人間ごときが、我の領域である『原初の愛欲』に触れるとはな」
煙の中から現れたのは、漆黒のドレスを纏った、幼い少女。
しかし、その背後には、かつてアルスの父が討ち果たしたはずの『魔王』よりも、遥かに巨大で禍々しい絶望の影が揺らめいていた。
「……誰だ、お前は」
アルスが剣を構える。
「我か? 我は……お前たちが犯した『罪』によって目覚めてしまった、この星の『性欲』そのものよ」
少女はニヤリと笑い、エルセの腹部――今は平らなそこを、指差した。
「……お前たちが生み出したその『結晶』。……一つ、足りないとは思わないか?」
ミリアの顔から、一気に血の気が引いた。
「……まさか。……二つの心臓じゃない……!? エルセ、確認してッ!!」
エルセが慌ててカイルの手の中の結晶を覗き込む。
そこには。
二つの拍動の陰に隠れて。
もう一つ、ドス黒い光を放つ『三つ目の拍動』が、静かに、しかし確実に刻まれていた。
(第10回へ続く)




