第8回 異端審問、聖域の防衛線
「――汚らわしい。神聖なる勇者の屋敷が、これほどまでに淫らな魔力に汚染されているとはな」
上空に浮かぶ巨大な光の魔法陣。
そこから降り立った男は、白金の甲冑を纏い、冷酷な眼差しでアルスたちを見下ろした。
教会の最高戦力、『異端審問局』の局長ザカリア。
その後ろには、顔を歪ませた旧勇者が立っている。
「見たか、ザカリア! あいつらだ! 俺の妻と戦士の妻をたぶらかし、あろうことか息子同士で交換して溺れている……ッ! これは神に対する明白な反逆だ!」
旧勇者の叫びは、もはや英雄のそれではない。
手に入らない愛への嫉妬と、自尊心を傷つけられた敗北者の醜い遠吠えだった。
「……五月蝿いな、親父。せっかくの朝食が台無しだ」
アルスは、ミリアの肩を抱いたまま、優雅にコーヒーを啜った。
その隣では、カイルがエルセの腰を引き寄せ、彼女の項に鼻先を埋めている。
「アルス君。……あの方たち、私たちの『愛』がそんなに怖いのかしら。……可哀想な人たち」
エルセが、潤んだ瞳でザカリアを見つめる。
昨夜の情事の余韻が残る彼女の肌からは、清廉な聖女の香りに混じって、カイルの情熱が染み付いた「熟れきった雌の芳香」が立ち上っていた。
「……異端確定だ。聖女エルセ、大魔導師ミリア。貴様らはもはや人類の希望ではない。……ただの、獣に成り下がった」
ザカリアが手を挙げると、周囲を囲む数十人の審問官たちが一斉に法力剣を抜いた。
「殺すな。……四人とも捕らえ、公開処刑とする。……この屋敷の『汚れ』を、聖火で焼き尽くせ!」
命令と共に、白銀の波がアルスたちへと押し寄せる。
だが、アルスは動かなかった。
「さあ、カイル。……母さんたちに、俺たちが生まれてきた『理由』、こんな風に育てられた『理由』を、見せてやろうぜ」
「ああ。……母さん、ミリアさん。……僕たちを信じて。そして力を貸して」
カイルの声に、聖女エルセと賢者ミリアが深く頷いた。
次の瞬間、四人の間に、かつてないほど濃厚な魔力の奔流が渦巻いた。
それは、昨夜の「結合」によって完全に同期された、四人の魂の共鳴だ。
ドクン、ドクン、ドクン……!
粘りつくような水音を伴って、アルスとカイルの背後に巨大な影が立ち上がる。
それは、エルセの「治癒」とミリアの「魔導」を、息子たちの「武力」と「神聖力」で練り上げた、背徳の魔神。
「――『聖域展開・四重奏』」
アルスの一喝。
押し寄せた審問官たちの法力剣が、アルスの周囲数メートルでピタリと止まった。
空間が、まるで硬質な「愛の粘膜」に覆われたかのように、あらゆる攻撃を無効化している。
「何だと……!? 審問官たちの法力障壁が、通用していない!?」
ザカリアが驚愕に目を見開く。
「……解析不能でしょうね、ザカリア局長」
ミリアが、アルスの胸元から冷徹な笑みを向けた。
「貴方たちの法力は、神への『恐怖』と『契約』に基づいている。……でも、私たちのこの力は、誰にも支配されない『純粋な愛欲』、相手を求め合う想いに基づいているの。……汚れている? いいえ。……これこそが、人間の持つ最も強靭な力よ」
ミリアがアルスの手の甲に自分の手を重ねる。
すると、アルスの振るう剣に、極彩色の炎が宿った。
「カイル、行くぞ!!」
「ああっ!!」
アルスとカイルが、弾かれたように飛び出した。
一撃。
たった一撃で、最強を誇る異端審問官たちの甲冑が紙細工のように砕け散る。
「ぎあああああっ!!」
「何だ、この熱気は……っ! 肌に触れるだけで、意識が、理性が溶かされる……っ!!」
審問官たちが、快楽に似た絶叫を上げて次々と崩れ落ちていく。
アルスたちの攻撃には、エルセの慈愛とミリアの魔導、そして何より「親友の母を抱いた」という圧倒的な肯定感が宿っていた。
それは攻撃でありながら、受けた者の理性を破壊し、強制的に「快楽の深淵」へと誘う救済でもあった。
「……化け物め。……貴様ら、人であることを捨てたか!」
旧勇者が、震える手で聖剣を構える。
「捨てたんじゃない。……進化したんだよ、親父」
アルスが、父の目の前に音もなく現れた。
「あんたが『所有』することでしか扱えなかった母さんの心。……俺が、こうして『一人の女』として愛することで、解き放ったんだ」
アルスが旧勇者の剣を、素手で掴んだ。
ミシ、ミシッ……!!
「な……っ!? 聖剣を素手で……っ!?」
「……彼女たち二人の愛が、俺の肌をダイヤモンドよりも硬く、太陽よりも熱くしている。……あんたじゃ、もう俺には触れられない」
アルスが力を込めると、伝説の聖剣が、飴細工のようにぐにゃりと曲がった。
「ひ……ひぃいぃいっ!!」
英雄と呼ばれた男が、地面に尻餅をつき、無様に後退りする。
一方、カイルもまた、旧戦士を圧倒していた。
エルセの治癒魔法が、カイルの拳に「無限の再生」と「過剰な生命力」を与えている。
「……あなたの筋肉は、もう古い。……エルセさんが教えてくれた本当の『強さ』、その身で味わってください」
カイルの拳が、旧戦士の腹部にめり込んだ。
ドシュゥッ!!
「が……はぁっ……」
旧戦士が、白目を剥いて崩れ落ちる。
その顔には、苦痛ではなく、あまりにも過剰な生命力を注ぎ込まれたことによる「不本意な絶頂」の表情が浮かんでいた。
「……これが、私たちの新しい力よ。……分かったら、もう二度と私たちの前に現れないで」
エルセが、冷酷なまでに美しい聖女の微笑を、かつての夫へと投げかけた。
ザカリアは、自分の軍勢がたった四人に蹂躙される様を見て、唇を噛み締め、懐から一つの漆黒の器を取り出した。
「……よかろう。ならば、禁忌の力をもって、その背徳ごと葬り去ってくれる!」
ザカリアが器を叩き割ると、中から溢れ出したのは、神の血とも、魔神の涙とも呼ばれる、どす黒い液体だった。
それは、四人の周囲に広がる「愛の障壁」を、腐食するように浸食し始める。
「アルス君! 気をつけて! それは、あらゆる感情を無に帰す『忘却の呪水』よ!」
ミリアが叫ぶ。
だが、その呪水がアルスたちの足元を濡らそうとした瞬間。
――ビクンッ!!
エルセとミリアの身体が、同時に激しく跳ね上がった。
「あ、あああぁぁぁっ……♥」
「何……これ。……身体の、奥が……っ、疼く……っ!!」
二人の母親の秘所から、まばゆいばかりの黄金の光が溢れ出した。
それは、ザカリアが放った呪いに対し、彼女たちの身体に刻まれた「カイルとアルスの種子」が、防衛本能として過剰反応を起こした結果だった。
「……え? エルセさん……?」
カイルが驚いてエルセを支える。
エルセの瞳は、激しい欲情と、聖なる覚醒が混ざり合った、未知の色に輝いていた。
「……カイル君。……熱い。……貴方のくれたものが、私の中で……膨れ上がって……っ!!」
黄金の光は、一瞬にして屋敷全体を包み込み、ザカリアの呪水を蒸発させた。
そして。
光が収まった時、そこに立っていたのは、以前の彼女たちではなかった。
エルセの背中には、淫らな紋様を描く光の翼が。
ミリアの周囲には、この世のものとは思えない高度な魔法言語が、物理的な鎖となって渦巻いている。
「……受胎告知」
ミリアが、トランス状態のような声で呟いた。
「アルス、カイル。……私たちの身体は、もう……ただの英雄じゃない。……貴方たちの愛を苗床にして、神の領域へ到達してしまったわ」
ザカリアは、恐怖のあまり腰を抜かした。
そこにいるのは、不浄な罪人ではない。
愛欲という名の極上の供物によって降臨した、真の『神の代行者』だった。
しかし。
その奇跡のような光景の中で、カイルだけが、エルセの腹部に手を当て、顔を蒼白にさせていた。
「……エルセさん、これ……」
エルセの腹部が、目に見える速さで、微かに、しかし確実に膨らみ始めていた。
「……カイル君。……私、感じるわ。……貴方との『結晶』が、もう……生まれようとしているのを」
一晩。
たった一晩の情事が、神の奇跡と混ざり合い、異常な速度で「新しい命」を形作っていた。
だが、その命から放たれる気配は、あまりにも巨大で、あまりにも……禍々しいものだった。
(第9回へ続く)




